第二幕 夢と、居場所と、三匹の子トラ その1

「着いたわ。ここが私の家」

 わかとらが三人娘の教官となってから、わずか二時間後。

 最初の壁にぶち当たった一同は、その解決のためにの家を訪れていた。

 わかとらの住むサイト0Dゼロデイーより、緋音の運転で一時間半。閑静な住宅街の一角、緑溢れる公園の隣。その緑の一部であるかのように蔦が張り廻る、大変年季の入った建物。

 びやくだんの自宅である、その建物は。

「わぁーっ、すっごい! はーちゃんち、ホントにお医者さんだ!」

 ガラス張りの正面扉に「スサノオ医院」と刻まれた、古びた病院であった。


 ◇


 遡ること、二時間前。

 わかとらの教官としての初仕事……今後の方針を決める作戦会議において、早くも無視できない問題が発覚した。

「とりあえず、今のままでは認定試験を受けること自体ができません」

「な、なんですとーっ!?」


 竜医局主導の認定試験。

 竜医になるためのこの試験、受験資格を得る方法は大きく分けて二つある。

 ひとつは、が以前通っていたような竜医養成学校に入校し、所定のカリキュラムを修了したうえで卒業試験をパスすること。

 もうひとつは、国内いずれかの病院の竜医科に「候補生」として籍を置き、現役の竜医または元竜医の教育者等の監督下で一定期間──最低6ヶ月の指導を受けること。

 子供にしか務まらない竜医という職業の特殊性ゆえに、様々な特例が認められてはいるのだが、それでも最低限の受験資格としてこの二つのどちらかを満たす必要がある。

 そして、ざっと話を聞いた限り、たちはいずれの条件もクリアしていなかった。

「ど、どどどどうしよう……!? せっかくトラせんせーに先生になってもらえたのに、試験受けられなきゃ意味ないよー!?」

「落ち着いてください、さん。さ、牛乳でも飲んで」

「はいっ。んくっ、んくっ」

「……き、緊張感無いわね……」

「ぷっはーっ! やっぱり美味しい朝ごはんの後の牛乳はサイコーだねーっ!」

「…………おひげ……」

 ふきふき。

「むぐむぐ。えへへ、ありがと、みーちゃんっ」

「…………(にこっ)」

 しばし微笑ましい空気を堪能してから、話を本題に戻す。

「多分、これに関してはさほど問題はないでしょう」

 子供たちに変な不安を植えつけないよう、わかとらは柔らかく微笑んで続けた。

「まず、養成学校に今から編入するのは少々難しいですし、そもそもそうなると僕が教えられません。なので、どこかの病院の竜医科に候補生として所属してもらうことになります。僕が七年前まで所属していて、あか姉ぇが今も竜看として働いている病院……せいきよう総合病院の竜医科に、どうにかして掛け合ってみようかと思います」

 星京の竜医科は、国内でも最大規模の人員と設備を擁する竜医の花形だ。直属の養成学校も全国に十数箇所あり、新人教育の門戸も広く開かれている。優秀な候補生は積極的に招き入れ、所属する現役竜医の指導のもと、即戦力のエースを数多く育成してきた。緋音や絃も、養成学校出身ではなく星京竜医科での候補生時代を経て竜医となっている。

 もっとも、今のわかとらの立場から交渉するのは難しい。だが現役の竜看である緋音の推薦があれば、今の時期でも候補生三人の受け入れくらいはしてくれるはずだ。

「……っ」

 しかし星京の名前を出した途端、たち三人は一様に息を呑んで固まってしまった。

「……どうかしましたか」

「あのね、トラくん……すっごく、すぅ~っごく言いづらいんだけどね」

 あまり言いづらそうには聞こえない。

ちゃんたちが退学になっちゃった養成学校は、星京の系列なの……」

「…………なるほど」

 笑みを崩さないようにと固まった表情のまま、わかとらは短く答えた。

「ん? ……?」

 ふと疑問に思う。養成学校を退学になったというのは、の話だったはずだ。

「そっか。私からはちゃんと話してなかったわね」

 が曇り顔で、どこか投げやりに語った。

とは別の学校だし、もっとずっと前の話になるけど。私も、星京系列の養成学校を退学になってるのよ。竜医の適性皆無って言われてね」

「……そうでしたか」

 そして、必然。ぱちりと目が合う。

かすみさんも?」

「…………(こくり)」

 おどおどしつつも、ゆっくりと首肯。

かすみちゃんの方は、学校じゃなくて、もともと星京の系列病院に候補生として所属してたんだけど……その、竜医には向いてないって、追い出されちゃったんだって」

「……………………なるほど」

 今明かされる衝撃の事実。

 ……というほどではない。既知の情報で予想はできたことだった。

 緋音は一番最初に彼女たちを紹介した時に、色々あってどの病院や学校からも指導を拒否されてしまった子たちだと語っていた。頼れるのがわかとらしかいないというのも、星京系列の病院をあてにできないという意味なら納得できる。

 星京は、優れた竜医を数多く輩出する反面、適性の薄い者には徹底して厳しい。積み上げてきたエリート教育のノウハウで能力の有無を判断し、「向いていない人間」は早々に切り捨てる。どんなに幼く秘めた才能があったとしても、一度落ちこぼれと判断されてしまえばそれで終わり。同じ門を二度くぐるのに、要する努力は計り知れない。

 医師は命を預かる仕事。当然、能力の足りない人間には任せられない。その思想自体は間違っているとは言い切れない。横暴にも感じられる極端なやり方ではあるが、星京竜医科はそのスタンスを貫くことで国内トップの座に君臨し続けてきたのだ。

 加えて、竜医とは子供だけが務められる特殊な医者だ。その生命は短く、即戦力以外を悠長に育成していけるような余裕がない。賢竜褒章のような制度を設け、業界全体で竜医同士の競争を促しているほどに。

 ……とはいえ。

「そういうことでしたら、星京は無理ですね。他の病院を探しましょうか」

「…………えっ?」

 制度や風潮は、どうやったって変えようがない。今問題なのはそこじゃない。

 さしあたって対処すべきは、あてが外れたタイムロスだけだ。

「ま、待って……先生。聞かないの?」

「何をでしょう?」

「何をって……どうして適性がないって言われたかとか、色々よ!」

「話したいなら構いませんが……それはあくまで前の先生の評価ですよね? 今のあなたたちの先生は僕です。適性の有無も、長所も、短所も……これから僕が実際にこの目で見て判断していくべきことでしょう」

 ぽかん、と呆気にとられた様子のの横で、が心底嬉しそうに笑う。

「きっと前のセンセーたちは、たまたま見る目が無かったんだよっ。はーちゃんも、みーちゃんも、優しいし頭もいいし、テキセーもあって、絶対竜医なれるもん!」

「お二人だけでなくさんもですよ。昨日お聞きした限りでは、あなたの前の先生の意見もてんで的外れでしたからね。少なくとも僕は信用してません」

「えへへー」

「で、でも私……!」

 なおも納得がいかない様子のをよそに、わかとらは緋音へと向き直る。

「それとも、あか姉ぇ。さんってもしかしてそんなにヤバいの?」

「まさか~。みんな、ちょっと個性的なだけだよ~」

「なら問題ありませんね。はいこの話はここまでです」

「……なんか、がもう一人増えたみたいだわ……」

 溜め息をつきながらも、どこか嬉しそうに小さな微笑みを浮かべる

 もとより、このポジティブさこそがわかとらの領分だと、が思い出させてくれた。

「星京以外にも、候補生の受け入れを積極的に行っている病院はあります。とはいえこの業界において星京の影響力は非常に大きい。一度星京がダメと言った子たちを、二つ返事で受け入れてくれる病院を探すのは……少々、時間がかかるとは思います」

「時間がかかっちゃうのは、よくないね~」

「最悪、試験の6ヶ月前までに見つからなかったら不戦敗だからね」

 今現在、星京と関わりのない竜医の知人など数えるほどしかいなかったが、まずは彼等をあたってみるのが最善だろうと思索を巡らせていると。

「あ……あの! そういうことなら、私に提案があるんだけど」

 一同の注目が集まる中、遠慮がちに手を挙げたはこう続けるのだった。

「……うちの実家、一応病院よ」

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