第15話 予言と約束の行方 強き母のバラード

「ゔぁああーっ、いでー痛い」

 六つ目の身体は激痛で飛び上がった。痛みの信号を発している場所に目をやる。

「おっぐぅお!俺の脚がない」

 六つ目の右の前脚は綺麗に無くなっている。


 六つ目は辺りの様子を見回す、と言っても出来る範囲でだ。

(ここは?えらく薄暗い陰気な場所だ。そうだ!ステファニーは?)

「ステファニー、ステファニー」六つ目の声が小さな空間に反響する。


「なんだ、あんた生きてたの」

 暗がりの中、六つ目の側から一匹のめす蜘蛛クモが彼の顔を覗き込んでいる。

「なんだ、誰だお前は?ステファニーをどこへやった?」

「ステファニー?」

「そうだ、ステファニーだ、青い羽の俺のステファニーだ」

「なんだい?うるさいね、ここは狭いんだ、もう少し静かに話せないの?」

「蝶だよ、蝶のステファニーだ!」

(静かになんてしていられるか)

「ステファニー?女か。知らないね、あたしがここに来た時、見たのはあんただけさ」

「ウソをつくな、俺達は一緒に旅をしていたんだ、美味しい蜜を探すために」

「噓つき呼ばわりはやめな、あたしは噓は大嫌いなんだ」


 雌蜘蛛は、困惑した表情を見せた。何を言っているのか理解しかねたのだろう。

「噓つきはあんたのほうだろう?大体聞いたこともないね、蜘蛛と蝶が一緒に旅なんてさぁ」

「それは…それは確かに信じられないと思う。だけど、俺たちは本当に一緒に……えっ……今、何て…何故、この女、俺が蜘蛛だと思っている?」

 

六つ目は黙り込んだ、凍りついたように動きを止める。

(何かがおかしいぞ、さっきから話が嚙み合っていない)


そして恐る恐る自分の残った左の前脚に視線を落とす。本当に恐る恐るにだ。


「どうしたんだい?急に黙り込んでさ、あんたの脚なら一本頂いたよ。死んでると思ったからさ、まあ、生きていたとしても食べるけどね。あんただってそうだろ?」


六つ目の体から伸びている脚は、か細い蝶のそれではなく、見慣れた無骨な毛むくじゃらの蜘蛛の脚が当たり前のようにそこに存在している。


「うわぁーっ、あーあっああ」

 思わず声を上げる。五つになった目は、大きく見開かれたままだ。


(そうだ、俺の羽は、白い大きな、使い事に慣れ始めた新しい俺の相棒)

六つ目は、羽を急いで動かしてみる。彼の体は浮き上がるどころか、胸の下から伸びる三番目の両足が地面を弱々しく叩いただけだった。


「俺は蜘蛛、蜘蛛のままだ。まさか!」

「さっきから、あんたの言っていることが、一つも理解できないんだけど」

「教えてくれ、俺は、蜘蛛か?」

 六つ目の必死さに、雌蜘蛛は不気味さを覚えた。

「本当に、あんたおかしいよ、可哀想に気が違ってるんじゃない?ヘンな虫を食べたとか?」

「俺の質問に答えろ!俺は、何に見える?」

 六つ目は怒鳴り声を上げた。

「静かにしてったら、うるさいんだよ」

「頼む、質問に答えてくれ、頼むよ」

 六つ目は俯き、懇願するように言った。

「あんたは、蜘蛛さ、あたしたちと同じ蜘蛛の仲間さ。それ以外の何だっていうの?」

 雌蜘蛛は面倒くさそうに答える。


(やはり、俺は蜘蛛のままだ、どういう事なんだ、まだ少し時間が早過ぎたのか?)


必死でステファニーの話を思い出そうと記憶を再生する。

(あっ、そうだ、そうだぞ、ステファニーは言っていた、何かから隠れなければいけないと思ったって。確かにそう言っていた。そうか、蝶に変わるまでは誰かに見つかってはいけなかったんだ、俺は、蝶になる前に、この女に見つかってしまったんだ。)


「もういいかい?」

 六つ目は雌蜘蛛を見上げた。

「何が?」

「あんたを食べてもさ?」

 そんなの、当たり前でしょ?といわんばかりに軽く返された。まるで、『そのケーキ、一口もらってもいい?』という女子会での会話のように。言われた方はまさか『ダメよ』と断るわけにもいかない。一口の加減が解らない女友達に限ってやりたがる、あの儀式だ。だが、六つ目は女子会のケーキではない、気軽に頼まれて、『はいどうぞ』なんて言えるはずがない。


「待ってくれ!これは何かの間違いだ。俺は、今から蝶になるんだよ、いや、違う。もともと蝶の仲間なんだ。だから、ちょと待ってくれ」

 雌蜘蛛は啞然とした。作り話にもほどがある。決して物知りとは言えない彼女でも、これは有り得ないことだと思った。

「あんたは、狂ってるのよ、きっと。それとも男というのは皆そうなのかい?」

 雌蜘蛛は、ため息をついて洞の天井を見上げた。


「本当に、男というのはロクデナシばかりだ。あたしの前の男もそうさ、あんたみたいに夢みたいな事ばかり言っていたよ。自分は貴族の出身だーとか言ってね」

「……」

「そりゃ、あたしもね最初は、ポーっとなっちまったんだ。あたしの姉妹達は、そりゃもう意地悪でね、いつもあたしに仕事を押し付けて、あたしを虐めていたんだよ。ほら、あたしチョット可愛い顔をしてるだろ?妬まれてたんだ、きっと」

「そっそうだね、俺もそう思う」

六つ目は、今一つ納得していない。明らかにこの雌蜘蛛は彼の好みのタイプではない。だが、話を続けないと食べられてしまう。彼は、調子を合わせた。


「いつも辛くて、だから、あたし、いつか王子様があたしを迎えに来てくれるんだって信じることにしたんだよ。それだけが、あたしの希望、夢だった」

「で、王子様は来たんだろう?夢は信じていれば、きっと叶うんだ」

(そうだ、そうでなければならない)

 六つ目の目は真剣だ。


 雌蜘蛛は、少し寂しそうな目を六つ目に向けた。

「ああ、確かに現れた」

「ほらな、本当にそう願えば夢は現実になる」

 六つ目の声は、生気を取り戻した。


「そう思ったよ。ダンスが上手くて、話が面白くてね。すごく優しいし、この辺の蜘蛛とは全然違う。いつかあたしを夢の王国、東方ディステネーランドの蜘蛛の巣城へ連れて行ってくれるって言ってた。そこは、姉妹達に虐められた娘が幸せに暮らせる場所なんだ。あいつのお父さんはそのお城の王様だって」


「すごいな、ほんと夢みたいだ」


「王様が勝手に何処かのお姫様とあいつを結婚させようとして、あいつは一人で空を飛んで家出した。本当の愛を探しに」


「なかなかやるじゃないか、本当のアイ。よくは分からないが、かっこいいぜ」

 六つ目は、素直にそう思った。雌蜘蛛は、六つ目のことなどお構いなしに続ける。


「お姫様って言っても、よっぽどブサイクな雌に違いないよ。あいつに初めて会った

時、『君みたいな、可愛い雌は初めて見た』って言ってたもの。あいつが言った事で本当の事といえるのは唯一それだけだね。ふん、でも、他はみんな嘘っぱちさ、あいつはあたしの腹ん中に子供を残して、何処かへ消えてしまったんだ、あたしに食べられる前にね。逃げ足の速い男さ」


「えっ?あんたその男を食べようとしたのか?」


「当たり前だろ、男は子供が出来たら身を捧げて栄養にならなければいけないんだ。そんなことも知らないのかい」


「知らない……」


六つ目は、自分の子供を持つ事について考えたことがない訳ではない。だが、このような恐ろしいカラクリを伴っていたとは、夢にも思っていなかった。


「坊やだね、あんた」


 子供を作る恐ろしさに呆然となってはいたが、坊や呼ばわりされて、六つ目はムッとしたのか言い返した。

「ちょっ、まてよ。話がおかしいだろ」


「何が?」


「だって、その男のお城に連れて行ってもらって幸せに暮らすはずだろ。そいつを食っちまったら、その夢が叶わないじゃないか」


「あんたは、本当に坊やだよ。夢は夢、いつまでもそんなもの追っかけてたらいけないんだ。女は子供が出来たら現実を生きなきゃ駄目なんだよ。これはあたしたち一族の……。いや、女の《掟》なんだ。掟は何よりも優先されなければならないんだ。自分勝手は子供のすることさ」


掟という言葉が六つ目の胸に刺さる。

(それは、捨てたんだ。夢の為に……この女と俺は真逆だ)


「それでね」

 雌蜘蛛は、喋り続けた。よほど誰かにこの話を聞いて欲しかったのだろう。

「あいつは、言ったんだよ。約束するって」


「約束?」

「逃げながら言い残して言ったんだ。『俺の代わりに他の蜘蛛を食わせてやるから』って。でもね、それっきり何の音沙汰もないんだよ」


(おいおい、他の蜘蛛の身にもなれよ。そんなバカな蜘蛛が、何処にいるんだよ)



「聞いてるの?」


「うん、聞いてる」


「チャンと聞いてて、あいつが私に〔乗った〕後、あいつたらあたしの大事なところを壊していったのよ、他の男の子供が出来ないように。ねえ、凄いでしょ?!普通そこまでする?子供の作れないあたしを他の男共は素通りさ!だから他の男を喰うチャンスもないんだよ」


(何でもありだな、ほんとに雌蜘蛛は怖いぜ。俺も早いとこ蜘蛛なんてやめないと)


「酷いでしょ?解る?」


「うんうん、それは酷いね」

 酷いのはお前だ、と思いながら何度も頷く。


「でもね、独占や束縛は愛している証拠だって」


(縛ったらアイなのか、俺は得意だぞ)

 六つ目は、シヨンとステファニーがダンスの話題で盛り上がっている想像に胸が苦しくなった自分を思い出した。そして、ステファニーを一晩、自分の巣に縛り付けておいたことも。


「それは、少し分かる気がする。ところで、アイってなんだ?」


 六つ目は疑問を口にした。聞くは一時の恥だ。

「そんなことも知らないのかい?坊や。それは、自分以外の誰かのために何かをしたいっていう気持ち、愛ってそういうこと。あんた経験ある?あたしは、あるような、無いような……」

何やら、ぶつくさと独り言を雌蜘蛛は言っている。


(誰かのために何かをしたい、だって?!まさに俺のことじゃないか、愛と夢、その両方をたった一日、ステファニーに会ってからのたった一日で、俺は自分のモノにしたぞ、やっぱりステファニーは凄いな)


 雌蜘蛛は、返事のない六つ目にさらなる質問をした。

「それとも、あたしが悪かったの?ねえ、どう思う?早く言って、何かあたし悪いことあいつにした?」


「えっ?」


「あいつとあたしのことよ」

 雌蜘蛛は、大きな声を出すなといっておきながら、自分は六つ目よりも大きな声で喋りまくる。


「悪くない、君はぜんぜん」


「そうでしょ?あたし悪くないよね?分かってくれる?」


「もちろん、まったく、これっぽっちも君は悪くない」


(下手に反論すると面倒な事になる)

 女の扱いにうとい六つ目にもそれは分かった。彼の危険を察知する本能は、女にどう思うか聞かれて、自分の本当の意見を言わないという正解を導き出すことに成功した。


「だよね、だからあたし、あいつには謝罪と賠償を要求しようと思うのよ」


(謝罪と賠償?)

 その言葉を幾度となく聞いたことのある六つ目は、ウンザリしてきた。

(この女の言いたいことは、私は被害者で悲劇のヒロインだということだ。こういう奴は何処にでもいるんだな)


 それからも、延々と雌蜘蛛の話は続いた。同じ話が何度でも無限ループのように繰り返される。六つ目は必死に相槌を打ち続けた。だが、とうとう話し疲れたのか、雌蜘蛛の話は唐突に終わりを迎えた。


「いっぱい話して、お腹が空いたわ」

 いきなり、雌蜘蛛は、六つ目の左前脚に噛みついた。


「うぁー待てって」


「待てって、いつまで待てばいいのよ。お腹の子供たちは充分な栄養が必要なのよ。あたしこれでもいい母親になるつもりなの」


「俺が蝶になったら抜殻が残るから、それを食べてくれ」


「そんなの栄養あるの?」


「頼むよ」

 雌蜘蛛にとって満足できる条件とは言えないが、今のところ六つ目の助かる道はこれしかない。


 雌蜘蛛は少し考えて、

 「分かったわ、あたしは理解のある女よ。待ってあげる。あんたはあたしの話を最後まで聞いてくれたしね」


「そうだろ?恩に着るよ」


「ただし、あんたが死んでしまったり、いつまで待っても蝶にならなかったりしたら、直ぐに、あんたを食べるわよ。いいわね」


「俺は、蜘蛛じゃない。蝶の仲間なんだ。夢は叶うはずだ、信じていれば」

「だといいけどね、あんた騙されてるんじゃないの?その女に」


「馬鹿言え、あの綺麗なステファニーが噓なんかつくか!」


 肩が凝っているのか、首を振りながら雌蜘蛛は言う。

「ふーん、つまり綺麗な女は、噓はつかないというんだね?」


「俺が言ってるのは、ステファニーのことだけだ、彼女は別だ。彼女のことを知りもしないで、噓つき呼ばわりはやめろ」


「あんたは、そのステファニーのことをどの位知ってるの?」


「彼女は俺に……。それは、秘密だ、誰にも言えない。約束したんだ。とにかく俺には分かるんだ、彼女は噓つきじゃない」


「ロマンチックな話、嫌いじゃないわ。それは、あたしが失くしてしまったもの。夢が叶うといいわね」


その言葉に噓はないと六つ目は感じた。


「あたしは、あんたを食べる。だけど、もし、あんたが蝶になったら、あんたの抜殻だけで勘弁してあげるわ、そして、もう一度信じてみるわ、あいつのことを……。いつか、あいつが子供達の為に、食料になる蜘蛛を連れて帰ってくるんだ。さんざん噓をついてきたあいつが、あたしとの約束だけは守ってくれるの……」


 最早、六つ目に雌蜘蛛の話を聞いている余裕はない。

(早くもう一度、眠らなくては、そして早く蝶の姿に変わるんだ。待っていてくれステファニー、これは、夢が叶う前に起こる最大の難関だ。幸せの手前にあるお約束の危機だ)


 六つ目が焦れば焦る程、目は冴え、おまけに甦ってくる空腹感を無視出来なくなっている自分に気付き始めている。【空腹】それを感じた時、六つ目の中で何かが弾けた。

(何か食いたい!食いたい?何を?)


だが、その思考を雌蜘蛛の声が遮った。


「もういいかい?」

(うわぁー)

「まーあだだよ」


              つづく


 次回予告 ダンスコンテストでの優勝を目指すステファニーとその夢を自分の夢に重ねた蜘蛛の六つ目の物語。完結!

 次回 六つ目と蝶 最終回 第16話 その女 ステファニー! 

 その女 ステファニー にご期待ください。

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