第14話 また逢う日まで

 蜘蛛クモ六つ目への復讐を誓った蟷螂カマキリD⋆Eは、六つ目を待ち伏せするのに最適な木の枝を発見した。だが、その枝に降りた時、彼自身、自分が何故そこへやってきたのか思い出せずにいた。

(俺は、何をしようとしていたのだろう?何か大事なことをしようとしていたことは分かるのだが、それが何かは思い出せない)


 蟷螂は再び飛行を開始した。一刻も早く行かなければ、という思いが彼をそこへ留まらせることを固く禁止している。飛び続ける彼の目には、何匹もの他の虫達が映る。シヨンを平らげたせいなのか、今の彼には何の興味もわかない。ただただ、彼を呼ぶ匂い、そして音が聞こえてくる方角に飛び続ける。今すぐそこへ行きたいというどうしようもない欲求、それだけが彼を動かしている。


 D⋆Eの中で誰かが彼を呼んでいる声がする『おーい、わたしはずっと前からここにいるよ』


 飛び続ける彼の前方に、同じ方向に向かっている様子の一匹の蝶を発見した。何故かその蝶だけは、他の虫達と違い気になって仕方がない。以前から見知っている気がしてならないのだ。


「あれは、あれは……、あの青い羽は、知っているぞ。絶対に。……! 六つ目、そうだ六つ目だ。あいつは六つ目の、六つ目が俺から横取りした蝶だ!思い出したぞ。六つ目の奴め。六つ目?……六つ目とは何だ?」


 独り言を言いながら飛ぶ蟷螂に気が付いた他の虫達は、関わり合いになるのを恐れて、自分のねぐらに潜り込み固く戸締りをした。


『忘れなさい、今はわたしのことだけ考えていればいい、そのためにお前は生まれてきたんだ』

 D⋆Eの中の暗い穴の中から指示が届いてくる。その命令は絶対だ。それに逆らうことは出来ない。それはずっと昔から伝えられてきた掟だ。掟を破る事は、彼の流儀に反する。

 

 D⋆Eは、命じられるままに飛び続け、ついに川岸へと舞い降りた。頭の中に大音響で水のせせらぎの作るメロディーが流れる。普段は僅かに感じられる水の匂いが、何十倍もの情報量を伴って、得も言われぬ快楽の園へ誘いをかけている。水面をキラキラと反射する光の中に見える蟷螂のパラダイス。そこは、殺戮と暴力的な死の世界、サディストの楽園だ。虫けら共の悲鳴のオペラが、順序良く歌われて終わることはない。


 D⋆Eは、ここが目的の場所だと確信を持った。一歩一歩、川に近づいていく。だが、D⋆Eは何かに脚を引っ掛けてつまずき、両の鎌を川辺に付いた。その足元に転がる蟷螂の死骸、外傷はないように見える。


「なんだ、こいつ?」

その時、今まで見ていた幻覚から現実に引き戻された。顔を上げて、周りを見回す。ここはどこだ?― D⋆Eは、必死に辺りを見回して、自分の状況を確認しようとする。

「うわぁーっ」

恐れるものなど何もないと豪語し、無敵を自負するこの蟷螂も思わず震えた声を上げた。そこには、無数の蟷螂達の死骸が転がっている。大半は、体の半分を水につけた状態だ。ある者は、生きているように思えたが、魂のない模型のように虚ろな目をしている。


「ここは、どこなんだ?ここで何があったんだ。」


 D⋆Eは、辛うじて生きている他の蟷螂の一匹に駆け寄った。

「おい、おい!」

 生き残った蟷螂達は、動き出す者も返事をする者もいない。だが、声を掛けられた蟷螂は、D⋆Eを目で追っていることだけは分かる。

「冗談じゃねぞーこんなとこ」

 急いでこの場を離れようと、飛び立とうとしたが、いっこうに浮き上がる気配がない。彼は、はねさえ開いてはいない。それどころか少しずつ川の流れに近づき、水の中へと入って行こうとする。

「どういうことだ、俺に水遊びの趣味はない。いや、本当にそうか?……俺は、俺は…」


『考えるな、感じるんだ』

「誰だ」

『わたしはお前、心配しなくていいのだよ。ただ、お前はここへ来るために生き残ってきた』

「ここへ来るために?」

『これは、«掟»。こうしてお前の命は価値のあるものになって来た。ずっと前から変わらずに』


 気がつくと、身体の大半は川の水に浸かっている。流されそうになる寸前、D⋆Eは水の上に頭を出している石のひとつに、やっとの思いで両方の鎌で掴まることができた。


「死んでたまるか」

『それでいい、その姿勢、よくできました』  

(まてよ、前にもこんなことが、生まれてくるよりもずっと……)

 その時、D⋆Eの下腹部に引き裂くような鋭い痛みが走った。

「ゔぁああー」

 たまらず声を上げる。だがそれは、直ぐに恐ろしくなるほどの快感へとすり替わっている。

「ゔぁあああああああ、ああ、あああああっあああああはひぃーっおゔぅえっぼー」

D⋆Eは前とは違う意味で声を上げた。


「じゃあこれで、失礼する。今まで楽しかった。離れてもわたしはお前、皆元は一つだ」

彼の後ろのほうで声がする。

 

 まるで、脳が紐のように解け、身体から抜け出ていくように彼の記憶は完全に抹消されていった。ギャリギャリと音を立てて片方の鎌が石の表面を滑っていく、右の前脚は石から離れた。肩越しに振り向いた蟷螂の尻から細長いひも状のものが長く伸びている。D⋆Eがそれを見た時を最後に、この蟷螂の身体は暗い洞のように空っぽの物体になった。


 いつの日からかD⋆Eと共に生きてきた細長い紐状の寄生虫は、ハリガネムシとしての新しいステージへと旅立って行った。子孫を残す為に。


 そして、残された蟷螂の形をしたモノは水に流されることもなく、今は只そこに漂っているだけだ。


 そこへ、何処からか一匹の雌蛙(メスガエル)が現れ、大きく跳ねた。その水音と一緒に、この心を失くした蟷螂の形は身体も残さず、この世界から消え失せた。


                  つづく


 次回予告 突然、六つ目の前に現れた一匹のめす蜘蛛。六つ目は彼女から衝撃の事実を伝えられる。彼女が語る女の現実とは?

 次回 六つ目と蝶 第15話 予言と約束の行方 強き母のブルース! 

 予言と約束の行方 強き母のブルース にご期待ください。

   

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