第12話 約束

 六つ目の縛り付けた糸は、蟷螂カマキリの脚に絡みつき、うかつに手を出すことはできない。強引に切断しようとすると、前脚の自由も奪われそうだ。

(さて、どうしたものか)

 さすがの蟷螂も糸を外す方法を見つける事が出来ず。時間だけが過ぎていった。

 

「お困りですか?」

 蟷螂の視界に僅かに影が映る、と同時に、頭の上から声がする。見上げると一匹の蜘蛛がぶら下がっている。最初、蟷螂は六つ目が帰って来たのかと思い、一瞬はギョッとしたが、よく見ると全然違う種類の蜘蛛のようだ。

「なんだ、お前は?」

 蟷螂は身構えた。

「その糸は切れませんよ」

「お前は誰だって聞いているんだ。俺に何か用か?」

「私は、怪しい者ではありません」

 目の吊り上がった蜘蛛は言った。

「蟷螂さん、えーっと名前は確か、ジューダスプリースト、ジューダスプリーストさんと呼ばれてましたね」

「俺は、そんな名前じゃない。六つ目って蜘蛛が勝手に、そう言ってるだけだ」

「六つ目?、ああーなるほど、阿修羅ですね。私はさっきから、あなた方を見てましたから大体分かります。あいつは、直ぐに誰でも勝手な名前で呼ぶんですよ。私のような高貴な血統の蜘蛛にまで、名前を付けてくるんですから、全くもって無礼な奴です。解るでしょ?」

「あいつを知っているのか?お前、六つ目の仲間か?」

「とんでもない、あれは私が面倒をみてやっていたんですが、反抗的で、どうにもこまった奴でしてね。まあ所詮、下賤げせんのヤカラですよ。いつも自分が正しいと思ってる鼻持ちならない男です」

「ふん!それで、その高貴なるお蜘蛛様が俺に何の用だ」

 蜘蛛は、前足をこすり合わせる

「流石に話がお早い」

 蟷螂は、蜘蛛の物言いにイラっとする。

「言ってみな」

「阿修羅、いや、六つ目の奴を殺してもらいたいんです」

 蜘蛛は、八本の脚をクネクネと動かした。蟷螂から見ても気味が悪い。どうやら六つ目を殺すところを思い浮かべているようだ。

「そんなことは、お前に言われなくてもやるぜ」

「そうでしょうね。あなたにはその力がおありになる。ですが……」蜘蛛は、もったいぶって言葉を区切った。

(本当にイライラさせるのが得意な奴だ、ここまでくると一種の天才だな)

 蟷螂は顔をしかめた。

「その、糸はどうします?御自分で外されますか?」

「お前には、この糸が外せるのか?」

「私を誰だと思っているのですか?私は貴族出身の高貴なる蜘蛛ですよ。もちろん外せます。私なら簡単にね」

「じゃあ、さっさとしろよ」

「その前に、わたしからリクエストがあります。一つ約束して頂きたい」

「めんどうくさい奴だな、言ってみろ」

「では、その糸を外す条件として、六つ目を殺したら、奴の身体は私が頂く」

「何だって?俺は、これでも好き嫌いしない良い子なんだぜ。生きてるものなら何でも喰うのが、俺のモットーなんだ」

「それは、よく解ってます。しかし、そのお約束を頂きませんと、糸を外すことは出来ません」

 蜘蛛は、強く言い切った。そして、身体を回転させながら八本の脚を器用に動かす、それぞれの脚が螺旋を描き出す。フィギュアスケート選手のスピンのような動きだ。

蟷螂にとって、そんなものは何の意味もなさない。ただ、吐き気がするだけだ。

蜘蛛の動きを完全に無視して、蟷螂は質問を投げた。

「奴は、そんなに美味いのか?背中の肉は少し味わったが、そうでもなかったぞ。奴の体に美味い部位でもあるのか?グルメを唸らせるようなよー」

「さあ、知りません。只、私には必要なんです」

「まったく、お前たち蜘蛛って連中は理解できないぜ。六つ目といいお前といい、どういう生き物なんだ?」

 蜘蛛は、その質問には答えず、事務的に話を進めようとする。

「もし、お約束頂けないのなら、他をあたります」

「全部お前にってのは、欲が過ぎるぜ」

 蜘蛛は、蟷螂に尻を向けて自分の糸を登り始める。

「まて、身体半分でどうだ?」

「問題外ですね」

 蜘蛛は、足を速めた

「脚一本だ!一本だけ食わせろ!」

 蜘蛛は足を止め、体を逆さに再び降りてきた。そして、蟷螂の顔の前にぶら下がった。

 二匹の目線が同じ高さで交わる。

「いいか、俺達、蟷螂は遊びで命を奪ったりしない。相手によって食ったり食わなかったりするわけねーだろ。こいつは賢いから食わないとか、綺麗だから可哀想とか言う奴らは、脳みそが足らないんだ。しかも、そんな奴らに限って、ろくでもねー糞だ。キャッチ&リリースとか言う奴らにも反吐がでるぜ!俺は、俺様の命以外、全て食い物として扱う。差別が嫌いなんでな。だから、殺した奴の脚の一本だけでも食わなくてはならない。それがルールだ!」

「フーッ、解りました、奴の脚一本をあなたに渡す。その条件で契約は成立です」


 蜘蛛は、糸を伸ばし蟷螂の乗る枝へと下りた。そして、後ろ脚を絞り上げている六つ目の糸を外していく。少々不器用だが、やはり、蜘蛛は蜘蛛だ。


「さすがは、高貴なるお蜘蛛様だ。感心したよ。六つ目の奴とは大違いだな」

「フフフ、解ってらっしゃる~。違いの分かる男、大した蟷螂さんだ」

 二匹の虫は、お互いに笑顔を見せあった。

「さあ、この糸が最後だ、こいつを外してしまえば、自由になれますよ」

「ああ、六つ目の奴をぶっ殺して、お前に食わせてやるよ」

 蜘蛛は、またクネクネと脚を動かした。

「よし、これでOKです」

 蜘蛛は、踊りだした。器用に身体を回転させ、おどけたポーズで仕事の終わりを表現して見せた。

「おお、どれどれ」

 蟷螂は、少し後ろへ下がりながら全ての脚を動かしてみる。

「完璧だ、とても気分がいい」

 そう言った瞬間に、蟷螂の両目は怪しく輝いた。その目を見たもの全てをを石に変      えるという伝説の怪物のように。 

 あっ、という間もなく蜘蛛の体は身動きが取れなくなった。気がつけば知らぬ間に蟷螂に抱かれている。


「何を……」

 言葉を発した時、笑顔のままの蜘蛛の肩の一部は、もう既にブラブラと細い肉で腕をだらしなくぶら下げている。


「うっぎゃーっあああ」

 自分の状況を認識した蜘蛛は、怪鳥の鳴き声のように叫んだ。彼自身、何処からそんな声が出ているのか解らない程、高いピッチの音が出た。


「お前は、たいして美味しくないな。だが、残さず頂くぜ。お前の命は無駄にはしない。だから安心するんだ」

蟷螂の言葉が子守唄のように響く、とても優しく、故郷に帰ったような錯覚さえ覚える。だが、すぐに激痛が後を追ってやって来た

「俺の名前のことだがよー、どうも落ち着かないんで名乗らせてもらうぜ。俺の名前は、D⋆Eだ。意味は自分で考えろ。E.Dじゃないぜ、間違うなよ」

そう言うと、もうひとかじり蜘蛛の肩を食う。


「ぎゃぁーっひっりゃおー」


「ところでお前、なんで六つ目の体が欲しいんだ?」

「約束が違うだろークソがー」

「約束?ああ、お前は誤解しているな。俺は約束を守るぜ。俺の腹の中で待ってろ、チャンと六目の死体が届くからな。元々脚は一本俺のだが、それもお前にくれてやる。これでも俺は気前はいい方なんだぜ」

「俺を騙しやがって、この下等生物がーF**K YOU!簿嫌っく阿保んっ糞寒煮多ッ」

「お前、急に下品になりやがったな。何が高貴な生まれだ、アーッ?ありえねえんだよ!何だ?あのクルクルはッ。あんなのじゃブスな女しか騙せねーぜ!

一目見ただけで分かったよ。お前はクズだ!約束?約束ねー。お前守ったことあるのか?あーっ?ねーよな?!。ない!ない!ない!ない!ない!ない!ない!なあーーーーーーいっ!泣き虫、弱虫、糞虫がー。自分との約束も守れねーよお前は!お前の下品な顔にそう書いてあるぜ!知ってるか、お前みたいなのをお里が知れるって言うんだ!この辺じゃな。オラオラ」

 そう言って、蜘蛛の腹に膝蹴りを何度もくらわせる。


「げーっう。ごふっ、おえっ、こっ、こんなことしやがって、謝罪と賠償を要求する。解るだろ?えっ、解るだろ?」


「はあ?何言ってんだ?誰も解りゃしねよ。俺が聞いてるのは、六つ目の体をどうするかってことだー、アーッ!」

 今度は、反対側の肩が無くなった。


「ぎゅわーあああっつくっぶっ」


 蜘蛛の叫びは、D⋆Eにとって甘美なメロディーだ。

「お前の鳴き方は、今までに聞いた中でもベスト3に入る。いい声だ、こういうのを一期一会と云うんだな。フッ、フッ、フ~ン。。六つ目の野郎は、俺に歌は解らないと言ってたが、これでも俺は、音にはうるさいんだぜ。オラッ」

 膝蹴りが再び蜘蛛の腹に入る。

「ギュボエー、オゲッ、ゴウエッ」

「いい音を出すな。お前は楽器だ。それも中々の上物だ」

「俺は約束を……」

「だ・か・らー守るって言ってんだろー。心配しなくていい、もう大丈夫だ。」蜘蛛の脚がかじり取られ、ポトリと落ちた。


「やっくそきゅ……おれの…こっ……。」


「おいおい、汚ねーな、ションベン漏らしやがってよ。やめてくれよな、そういうのはよー。そーだ、俺の栄養になった記念にお前に名前を付けてやるぜ、俺はセンスいいからな」

 哀れな蜘蛛の尿は、一滴残らず、盛大に木の枝の上にまき散らされた。


「おれ……おれのこ…にあしゅ……ら」


 失禁に続き蜘蛛は、脱糞した。蜘蛛は、懐かしい故郷、糞にまみれた故郷の匂いに包まれた。


「そうだ、お前はシヨン。ションベン漏らしのシヨンだ。気に入ったか?お前の糞だ!食ってみろ、好きだろー。確かてめえの故郷では、糞喰うのと体が良くなるんだろ?好きなだけ喰え。ボケが!」

 蜘蛛からの返事はなかった。


 蟷螂の大鎌に比べれば、一瞬で命を刈り取る死神の鎌の方がまだ幾分にも慈悲深い。蜘蛛の体に食い込んだ蟷螂の前脚が、その部分を予めひき肉のように潰していく。チョットしたひと手間をかけることで、柔らかい肉と固いまま残した肉が食感のハーモニーを創り出す。最後まで飽きずに完食する為の彼独特の知恵だ。彼は食べ物を残すのが何よりも嫌いだった。だが、糞が詰まった内蔵は流石にそっくり残しておいた。きっと、奴の一族が喜んで食べるだろう。これでもこの世の食物連鎖は、理解出来ている蟷螂であった。


グジュギュジャ、グチョグチョ、ブチュビュチュ、ビリバチャ、ブウバキ、チューチュー、ウギャリ、パキパキパキパキ、ビブーッ、ズビズズバー



 吐き気を催す禍々しい音を立てて食事は続く。テーブルマナーも何もあったものではない。


「フーッ、ゲフッ。さて、これでひとごこち付いたぜ」


 D⋆Eと自ら名乗った蟷螂は蜘蛛を平らげた。楽しいお食事タイムの後は、ションの体液と肉がこびり付く汚れたカトラリー、すなわち大鎌の手入れに取り掛かる。彼は自分の仕事道具から、いつでも最高のパフォーマンスを引き出せるようにメンテナンスを欠かさない。彼の習慣はプロフェッショナルハンターの鏡だ。

『一流の仕事は、一流の道具からしか生まれない』これは、彼のモットーである。

 

 愛用の道具を手入れをしながら、六つ目への対策を練る


(奴は俺が飛べる事を知らない。これを使わない手はない、あいつは再び俺の薔薇へとやって来る。その時、木の下に俺がぶら下がっていないのを見て、既に俺が鳥に食われたと思うだろう。そして安心し、気を緩めるに違いない。俺はその時、上空から飛び降りて奴の背に乗り、この鎌で残った奴の目を順番に潰してやる。

 奴の弱点は真上だ。上から攻撃すれば奴の体当たりも、糸も食らうことはない。よしんば俺の奇襲が成功しなくても、俺は飛びながら奴を常に上から攻撃していればいい。必勝だ。)


 D⋆Eは自分の考えと手入れを終えた大鎌の切れ味に満足した。


 それにしてもだ、と今腹の中に収めたばかりのシヨンのことを思い浮かべた。

(まさか、六つ目もシヨンのように、わざわざ俺を助ける蜘蛛がいるとは思っていなかっただろう。六つ目の奴、そうとうに恨まれてやがるぜ。これから奴が迎える悲惨な運命は、六つ目自身の甘さが招いたことだ。俺にしてもシヨンの奴にしても、さっさと殺しておかないからロクなことにならねえ。この事は俺も肝に銘じておく必要がある)


「情け容赦は禁物」

 そうつぶやくと、D⋆Eは背中に隠されたはねを広げ、六つ目を待ち伏せする最適な場所を求めて飛び去った。




              つづく



次回予告 手負いの蜘蛛、六つ目こと阿修羅は、傷ついた身体を休める為に木の洞に身を休める。抵抗できぬほどの睡魔に襲われる中で、ステファニーの言葉を思い出す。

 次回 六つ目と蝶 第13話 メタモルフォシス! メタモルフォシスにご期待ください。

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