第11話 夢見る蜘蛛達と現実主義者

 六つ目は、地面に無数に伸びる、木の根の一つ蟷螂カマキリからは見えない位置に身を寄せている。蟷螂の前では平気な顔をしていたが、攻撃で受けたダメージは大きかった。実際、肩の傷は比較的浅いが前脚に力が入らない。潰れた目は、完全に機能を失っているようだ。背中は火事を背負ったように熱い。かなり深い傷だ。ここまでこられたのが不思議な位だ。だが今は、強敵を倒した興奮が六つ目に本来の痛みを感じさせてはいない。しかし、それもしばらくの間だけだろう。そのことは六つ目自身がよく解っている。


  悪魔の化身、ジューダスプリーストと名付けた蟷螂との戦闘を前に、入念な準備を怠らなかった六つ目の作戦勝ちではあったものの、完全勝利とはとても言えない。最後の怒りに任せた体当たりは余計であった。あれがなければ、背中に深手を負うこともなかっただろう。しかし、どうしても直接、一撃与えておかなければ、六つ目の気持ちは済まなかったのだ。蟷螂に与えた攻撃の感触を六つ目の体は欲していた。だから彼に後悔はない。


(俺は、奴を倒した)

 六つ目はニヤリと笑った。


(奴に俺の本当の名前を名乗ったのは、俺の蜘蛛としての最強、最後の戦いの相手に、誇り高い俺の名前を名乗っておきたかったのだろうな、戦闘蜘蛛、阿修羅として生きてきた証として。あれが最後だ。もう俺は、阿修羅と名乗ることはない。俺は、これから夢を叶えるのだからな)


六つ目は、傷ついた体が伝える本来の痛みを、今、初めて感じた。たが、それを無視して歩き出す。あの黄色い薔薇へ行くつもりなのだ。ステファニーとの約束を果たす為に。


 六つ目は、突然シヨンの事が頭に浮かんだ。

(あいつ、今頃どうしているかな?自分を特別だと思い込んでいる、あのくそ虫は。まさか、あいつが真面目に巣を張って、まともに働いていたりはしないだろう。そんなことは有り得ない。今も誰かに、自分は貴族だとかなんとか夢みたいな事を言っているに違いない)


ふぅーっと、大きなため息を六つ目は、吐き出した。彼の歩みは遅く、少しの移動にも時間を要する。


(俺は、何故、今シヨンの事を思い出したのだろうか?)

 ぼんやりとそう思った六つ目の脳裏にシヨンとの思い出が映し出されていく。

(自分を大きく見せるのが大好きで、ハッタリだけで生きている嫌な奴だが、蜘蛛としての最後の闘いを終えた今の視点で振り返れば、あいつと過ごした時間。それは、それで楽しかったと言えるのかな、何だか上手く言えないが、今日までの全てが俺という物語を作っているのだから、あの馬鹿との事も、いい思い出なのかもしれない。もう会いたくもないが……)


 さらに六つ目は思うのだった。

(まてよ、奴の噓と俺の夢とどこが違うのだろうか?あいつは、自分を貴族だと言っていた。恐らく、奴自身、自分がそんなものじゃないと分かっているはずだ。自分を自分以上の者に見せる。そうして他の者よりも優位に立つ、それは解る。そのようにして生き残ろうとしている虫達は多い。例えば、背中に大きな目のような模様を背負った蜘蛛に会ったことがある。俺は、あの時は最初、鳥に睨まれているのかと思い、思わず身構えた。あのジューダスプリーストの鎌を広げた構えもしかりだ。

だが、シヨンの噓は只それだけの理由ではなさそうだ。奴は、心底そうありたい。そうであって欲しいと願っている。俺にはそう思える。では、そうありたいと願う事と、夢を信じるという事に違いはあるのだろうか?俺の蝶に生まれ変わり、ステファニーと一緒にいたいという夢と、シヨンの貴族でありたいと願う事は同じ事なのではないのか?)

考えれば考える程、その二つに違いは無いように思える。


≪夢は叶う、信じていれば≫そう歌う、ステファニーの声が六つ目の頭の中で鳴り響

く。


(今、蝶になってステファニーと一緒にいたいと願う俺がいる。きっと、誰も信じない夢。この事をシヨンに話したら、きっと面白がって俺を馬鹿にするだろう。あいつと一緒なんて嫌だし、二度と関わりたくもないが、もう俺は、決して奴を笑う事は出来ない。今は俺も、あいつと同じ……自分の夢を見て、それを信じている蜘蛛なのだから)

シヨンは、六つ目の影のように何処までも彼について来ている。それを望んでいるのは、実は六つ目自身なのだ。だが、そのことに彼が気が付くには、彼に残された時間は、あまりにも少なかった。


 六つ目はやっとのことで、木の根元までたどり着いた。その木の枝には蟷螂カマキリジューダスプリーストが吊るされている。蟷螂から六つ目を見る事は出来ない。もちろん、六つ目からもそうだ。沢山の枝と葉が視界を遮っている。彼の吊るされている枝から丁度、反対側の幹を六つ目は登り始めた。

(あの野郎、強がっていたが、今頃怖くなってションベン漏らしているかもしれないな。もしそうなら、逆さ吊りだから、かなり悲惨なことになってるかもな。フッフフフ)

 六つ目は、意地悪く頬を歪めた。



 逆さ吊りにされ、鳥の餌にされるというはずかしめを受けたうえ、ジューダスプリーストと不本意な名を付けたられた蟷螂は、阿修羅と名乗った蜘蛛、六つ目の姿を体を回して探した。 注意深く見回し蜘蛛が近くにいないことを確認すると、背中に隠されたはねを広げて飛行を開始した。葉の上から延びる脚に巻き付いた蜘蛛の糸が彼の後に続く。そして、そのまま元の木の枝の上に着地した。


「馬鹿め、俺があのまま鳥の餌になんかなってたまるか」

 流石に六つ目も蟷螂の背中に収納されている能力に気が付いてはいなかった。


 蟷螂は、自分の脚に巻き付いた蜘蛛の糸をジッと見つめる。

(奴は仕込んでやがった。俺の動きを封じる仕掛けを入念に準備して俺の薔薇まで乗り込んで来やがった。あんな奴は初めてだ、阿修羅とか言ってたな)

 無敵を誇ってきた蟷螂も、阿修羅と名乗った蜘蛛、六つ目の用意周到さを認めざるを得ない。

「ふん、だれが奴を阿修羅と呼ぶものか!あいつは、六つ目で上等だ。もう俺と同じ五つ目だがなっ」

あまり知られていないことだが、蟷螂には五つの目があり、ほぼ360度の視界があるのだ。誰かが彼らの背後から近づいても彼らには、死角というものは存在しない。これ一つだけでも、恐ろしい能力を要する彼に勝利した六つ目を褒めるべきなのだ。

 

 蟷螂は、六つ目の行動がどうにも腑に落ちない。

(確かに奴は用心深く準備してやがった。太陽の目潰し、葉の上のトラップ、俺に許しを請う演技、それに粘性を自在に変えれる奴の糸。だが、だからと言ってあいつも無事に帰れるとは限らない)

 蟷螂は、自分の左右の鎌が削り取った、六つ目の背中の肉を丁寧に口で取り除きながら思考を巡らす。

(なぜだ?なぜ奴は危険を冒してまでやってきた?)


 蟷螂は、顔を上げ六つ目の巣を見る。

(蝶がいない!奴めついに食っちまったか?昨日の夜は、確かにあそこに蝶が見えていた。あの蝶は何処へ行ったのか……解らない。だが、奴の行動は、あの蝶に関係あるとみて間違いない。なぜなら今まであの蜘蛛、六つ目はあの巣の上にいつもいて、普通に暮らしていただけだ。蜘蛛の巣にたまに掛かる間抜けな虫だけを食べて、つつましく暮らしていた。だが、昨日になって突然、俺の狩りを邪魔してきた。奴ら蜘蛛も«掟»は解ってるいるはずだ。なのに…)

 蟷螂に六つ目の行動の動機は解らない。だが、原因があの蝶にあることだけは解る。

(とにかく、奴は何かをしに薔薇までやって来た。奴は目的を果たしたのだろうか?)


ジッと自分の薔薇を見ながら暫くの間、思いを巡らせてみる。


(いや、それはない。奴が薔薇の上で何かしていた気配はなかった。ただ奴は上を向いて何かを探しているようだった。何を探していたのか?薔薇の上にあるもの……、それは、蝶?!いや、まさか、奴が蝶を探しているはずがない。探すくらいなら、とっくに食っちまってる。蝶を逃がしておいて、探して喰う?俺ならそんな馬鹿な事はしない)

 

 自分以外の者の為に何かをする発想が皆無の蟷螂に、六つ目の行動は理解できるはずもなかった。当然、蟷螂の結論は、的外れの所へ落ち着いた。


(奴は、あの蝶を喰って味を占めたのではなかったか?つまり、あの蝶があまりに美味だった為に、薔薇に誘われてやって来る他の蝶を求めてやってきたのではないか?

俺の縄張りにも拘わらず、あの黄色の薔薇を自分のものにしようとしてたのではないのか?あの糸のトラップで俺を完全に倒せると、奴が思っていたのなら……)


蟷螂の恐ろしい顔が、もっと恐ろしく歪んでいく。


「ゆるせねー俺を誰だと思ってやがるんだ!」

(ということは、奴は、まだ目的を果たしていない。俺の薔薇を侵略しに奴はもう一度やって来る、俺が生きているとも知らずに。その時こそ奴を地獄に叩き込んでやる)

 蟷螂は、六つ目への復讐を心に誓った。


                  つづく


次回予告 六つ目を狙う蟷螂の頭上から一匹の蜘蛛が降りて来る。奴の正体は?そして奴の目的は?

 次回 六つ目と蝶 第12話 約束! 約束にご期待ください。


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