第9話 潜入

 六つ目は一旦葉の後方へ下がった。六つ目の体重が掛かり、薔薇バラの方へ下がっていた葉の先端部分は、今は、元通り上へ向き、太陽の光を眩しく反射している。


「今に見てろ、あの野郎」

 六つ目は、しばらくの間、葉の上を前後左右に身体を動かしていたが、遂に意を決したのか、葉の先端部分へ顔を出した。まだ、蟷螂カマキリの姿は発見できない。六つ目は黄色い薔薇へと軽いジャンプを伴って跳び降りた。八本の脚で蹴られた葉のジャンプ台が持つ反動が、彼の計算よりやや前方、花芯の近くまで彼の身体を押し出した。辺りを用心深く見回す、やはり蟷螂は留守のようだ。


(これは、案外と楽に事が終わるかもしれないぞ、ここで蜜を集め安全な場所まで運べばいいのではないか。この薔薇を見下ろせる木のどれかにステファニーがいる。彼女に合図を送ってこの事を知らせなくては)

 

 六つ目は上方の木々にステファニーの姿を探した、体を回しながら木の枝ひとつずつを確認していく、そして丁度、身体が360度回るかどうかというその時、彼の六つある目の内、上段の一番左のそれに、紅色の物体が映り込んだ。

 彼は本能的に全左脚で、薔薇の花弁を蹴る。その反動を利用して右側方向に身体一個分一瞬で移動した。蟷螂との対決に備えて準備しておいた動きだ。これを六つ目は、ステファニーが眠りについてから、木の枝の上に移動し、納得できるまで何度でも繰り返しておいた。

 

 だが、六つ目の予想よりも蟷螂の鎌は速かった。


 奴の手と言える部分が見えたと思った瞬間、鋭く尖った右鎌の先端が六つ目の目の一つをえぐり取った。もう少し深ければ、六つ目は戦闘不能になっただろう。

 

 六つ目の素早いサイドステップは、蟷螂のがら空きの右の側面に自らの身体を送り込む。そのまま飛び掛かろうとした六つ目を、返す蟷螂の右鎌の刃がぎ払った。六つ目の肩は斜め下から引き裂かれ、体液が噴水のように派手に飛び散る。


 蟷螂は薔薇の中心、花芯の側に身を潜めていたのだ。そして今、その全身をゆっくりと表した。間近に立ち、六つ目を見下ろす蟷螂の姿は恐ろしく巨大だ。


 後退する六つ目にジリッ、ジリッと間合いを詰めてくる。大鎌を前に突き出し、時折、その上に紅い目を覗かせる。普通の者なら、これで遠近感が失われ、次の攻撃を回避する事は至難の業だ。当然、この蟷螂は計算してこの動きをしている。しかし、今は一つ失って五つになってしまったとはいえ、六つの目を持つ蜘蛛の能力には通用しない。

 ただ、この蟷螂ほどの身体能力を持つ者が、それだけに頼らず、これほどの狩りの技術を習得している事に、六つ目は舌を巻いた。


(こいつは一流だ!超が付くほど一流のハンターだ。それに奴の目だ、濡れたように光る奴の両眼。心を全て持っていかれそうになる)

 まるで、呪われた伝説の宝石。それが、蟷螂の顔に二つはまっている。


 六つ目は素早く後退しながら方向転換をした。そして、蟷螂に向けた尻から糸をおみまいした。蟷螂は事もなげに、それを薙ぎ払う。

「なんだこれは?効かん、効かん」

 六つ目の糸は、全て簡単に払い除けられてしまった。

「これが、蜘蛛の糸か?ふんっ、なんということもない」

 蟷螂の圧力に六つ目は吞まれ始めている。

「今日のところは、これくらいにしておいてやるぜ」

 そう言うが早いか、六つ目は逃げ出した。この薔薇へ来たルートを逆に辿るべく、最終ジャンプ台になった葉へ飛び移る。六つ目の背中を太陽の光が一瞬、眩しく照らす。六つ目の出した糸は薔薇から木の葉へと一本の線を描いて繋がった。


(道案内、御苦労)

 そう言うが早いか蟷螂は、二本の鎌で葉を引き寄せて、蜘蛛の糸を踏み台にし、六つ目の後を追う。蟷螂は太陽の光を正面から浴びながら、自らの重みで下を向いた葉の上に立ち、上方の枝から生い茂った葉が作った暗がりに身を伏せる六つ目の姿を発見した。


 六つ目は足をいっぱいに開き、王を迎える臣下のように身体を低くしている。

「便利なものだな、お前の糸は。こいつのお陰で楽に追ってこられたぜ」

「ちょっと待ってくれ、俺が悪かったよ。そんなつもりじゃなかったんだ。あれは、間違いだ。あんたの狩りを邪魔するつもりはなかった」

 六つ目は生まれて初めて出会った圧倒的な存在に観念したのか声を上ずらせた。

 蟷螂は満足そうな笑みを浮かべて六つ目に近づく。

「フフフ、そうこなくてはなぁー。許しを請いながら俺に抱かれて死ぬ奴は大好きだぜ」

 蟷螂は自分鎌の刃をべろべろ舐めながら、楽しくてたまらないといった表情を浮かべる。

「おっ、俺を食うのかよ?待てって。俺、おいしくないから」

「不味いのか?お前」

「そうなんだよ、マジで不味いよ俺、腹壊すよ。ホントやめたほうがいい」

声が震えている。

「どうしようかなー?俺、こう見えてもグルメだから」

「そうだろ、お願いだからやめてくれよ、俺は、二度と、あんたの前に現れないから」

少しずつ後退り、六つ目は今にも泣きそうな声を出した。

「駄目、だーめ、残念だったねー」

 そう言いながら、無慈悲な蟷螂は獲物を逃がさない絶対の間合いへと入りかけて、ピタリと動きを止めた。いや正確には動けなくなった。が正しい。

「!? なんじゃこりゃー??」

 蟷螂の中脚は、葉の上から離れない。六つ目が葉脈に沿って埋め込む様に、予め仕掛けてあった糸が蟷螂の足にベッタリと張り付き足を葉から離せないでいた。


≪縦の糸はー私のため、横の糸はーあなたへ≫

                             作詞作曲 神様


 六つ目は、出来るだけ丁寧に歌い上げた。

「なんだてめー、意味のない歌なんか歌ってんじゃねーぞ」

「ハハハ、ハーッハアハハハアハハ!クックク」

 肩を震わせた六つ目の笑い声が響く。

「それがあるのよ、この歌に意味はあるのよ。フハハハハハガハハハハッ」

 蟷螂の目の赤は、よりどす黒く変色し六つ目を睨み付ける。

「歌っていいよな。解る?お前らのような野蛮な虫にはわかんねーだろうなー」

 蟷螂はなんとか糸から自分の中脚を放そうと、後ろ足を様々な場所に置き換え踏ん張っている。

「やめとけよ。よく見てみろ。そんなに乱暴にするから後ろ足も俺の糸に捕まったみたいだぞ」

 蟷螂はできる限り身体をひねり、自分の後ろ足を見る。

「なんだ!俺の脚が!上がらねー。こんなことをしてタダで済むと思うなよ!」

「俺の説明は、まだ途中だぞ」

 六つ目は、蟷螂を哀れな敗者を見下すように、優しささえにじませて、教師が生徒を教え諭すように話す。

「お前の悪い癖だよ。話はチャンと最後まで聞きなさい、分かりましたか?」

「くそー」

 六つ目は、自分の足元の糸を手繰り寄せる。その糸が作った輪が蟷螂の左右両方の後ろ足を絞り上げ、蟷螂の後ろ足を不細工なオカマの内股のようにした。

「うっ、」

「さて、講義を始めるぞ、有難く聞きなさい。エッヘン」

 

蟷螂は巻き付いた糸を切ろうと身体をよじってみるが、自分の中脚が邪魔して鎌が届かない、無理に切ろうとすると自分の中脚を切断するしかない。仮に糸に鎌が届いたとしても、糸を切ることができるかどうかは分からない。


 六つ目は、蟷螂の虚しい努力に構わず話し始めた。

「俺が最初にお前に薔薇の上で放った糸や、この葉の上まで繋げた糸、あれは、いわゆる縦糸だ。これは強いが、あんまり粘着性はなくてな、俺達蜘蛛は巣の上ではこの縦糸の上を移動している。まず、お前の糸への警戒心を解く為に、俺は、そいつをお前にぶっかけた。案の定、お前は糸を舐め切って俺を追って来た、この葉の上までな。俺は予め横糸の罠を無数に仕掛けて置いたここへ、お前をおびき出すことに成功した。それが、最初からの俺の計画だったのだよ。ちなみに横糸は獲物を捕らえる為の糸ね。それ、くっついたら、なっかなか剝がれないから。あっ、それはもう、解ってるよなー」

 六つ目がニッコリとしながら説明するのを蟷螂は無言のまま、歪んだ表情を見せながら聞いている。

「そんなに落ち込まなくていいぞ、お前は強すぎたんだ。だから俺も苦労した。普通なら、お前はこの横糸の罠に気が付いたろう。幸運だった。ここなら太陽は俺の背中に位置している。太陽の目潰しを使える場所は、この木では幾つかあるにはあるが、薔薇に最も近く、尚且つ、上方の葉が作る影の中でお前を待っていられる場所は、ここだけだ。ここを発見出来た時、勝負は既に俺の勝利で確定していたんだ」


「まだ、勝負はついてないぜ。お前は死ぬ、俺の予言は絶対だ」

 六つ目は、まだ少しも衰えない蟷螂のファィティングスピリットに感心した。そして、敵ではあるが、決してこの蟷螂を嫌いではないと気が付いた。

「フッ、もう一つ教えておいてやるがよ、あの歌は、俺がまだ卵の中にいた頃に、お袋が俺達兄弟に歌ってくれた歌なんだ。卵から出た後も兄弟達とよく歌ったよ。親ってものは、ありがたいものだな」

 蟷螂は唾を吐いた。

「ふん、親なんてものは、俺が生き残る為の食料に過ぎない。お前の親なんて知るか!どうせ、くそビッチだろうが!はん?」

 六つ目の顔色はみるみるうちに変わった。

「どうやら、お前へのお仕置きは、まだ足らないようだ」

 六つ目は、再び低い体制を取った。

「怒ったか?さあ来いよ。お利口さんのお喋りは聞き飽きたぜ」

  

                  つづく

 


次回予告 圧倒的不利な戦いを入念な準備で勝利への道を切り開いていく六つ目。遂に決着か?! 

     次回 六つ目と蝶 第10話 罪と罰 THE HANGED MAN! 

        罪と罰 THE HANGED MAN にご期待ください。 


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