第5話 秘密

 六つ目は、蝶を見た、そして視線を薔薇バラへと向けた。月明かりに照らされた大輪の黄色い薔薇、今はもう蜜を集められる程に開いている。


 蝶の言葉は、ほんわかとした穏やかな気分に浸っていた六つ目を冷たい雨だれのように打ち据えた。


「そっ、そうだ、名前は、君の名前は何て言うんだい?」

 慌てて、六つ目は話しをそらせた。


「わたしの名前はステファニーよ、ふふふ」

「ステファニー」

 六つ目は、繰り返した。

(なんて良い響きだろう)

 黄色い薔薇という彼女の言葉が凍らせた自分の身体が、再び暖まってくるのが分かる。

「俺の名前は…」

「あなたは六つ目さんでしょう?そうよね、あの蟷螂カマキリが言っていたもの」


 本当の名前ではないとはいえ、名前で呼んでもらう事は嬉しいものだ。

「えっ、あっそうそう、六つ目、俺、六つ目」

 六つ目は、自分の名前の事など、もはやどうでもいいような気がしている。他の者ならともかく、ステファニーがそう呼ぶなら、それもいい。この会話をもっと続けていたい。


「ステファニー、いい名前だ、君にピッタリだね」

「ふふ、ありがとう、お上手ね」

「いや、本当にそう思っているんだ、ここ数日、君を見ていたんだよ、美しい羽の君をね」

「それ、何度も聞いたわよ」

(やはり、彼女は俺の話を聞いていたんだ)

「それに比べて、俺は全身毛だらけで、ずっと這い回っているし。君のように生まれてきたかったな」

自分の口から出た言葉に六つ目は驚いた。

(蝶のように生まれてきたかったって??俺が?!いつからそんなことを考えていたのだろうか)


それを聞いたステファニーは、横を向いて黙ってしまった。

「どうしたんだい?」

 蝶は、醜い蜘蛛クモが蝶に生まれたかったと聞いて、笑い出したい気持ちをこらえているのだろうか。

(きっと誰でもおかしいだろう)

彼自身も自分の言ってしまったことが恥ずかしくなった。今からでも、‘’冗談だよ‘’と否定したいと六つ目は考えた。だが、それを口にする前にステファニーの呟くような言葉を聞いた。


「うまく説明できないけど…」

 ステファニーは、口ごもり、言おうか言うまいか迷っているようだ。

六つ目は、不安そうな面持ちでステファニーの言葉を待つしかない。

ステファニーは、意を決した様に口を開いた。

「私、前はこんなじゃなかったの」

「こんなじゃないって?」

 六つ目は、自分が予想していた言葉と違うことを言い出したステファニーに、益々不安を感じた。

「誰にも言わないでくれる?」

 そう言われた六つ目は、何故だかドギマギとして、ステファニーを真っ直ぐに見られない。

「もちろん、誰にも言わないよ」

 誰かに話せと言われても、六つ目には話し相手などいない。

「本当に、誰にも言ったら嫌よ」

「う、うん」

「じゃあ、言うね」


 ステファニーは、満ちていく月に顔を向けて話し始めた。月光は彼女の瑠璃色に光る羽を照らし紫色を幻想的に創り出す。


「私、前はね、あなたと同じ様に、その辺を這い回っていたのよ。脚も今より多くあって、その脚が太くて短くて不細工で。体中に長い毛がいっぱい生えていて、その毛が今なんかよりずっと目立っていて、とても自分が綺麗だなんて思えなかった」


「えっ嘘だろう?」

 反射的にそう言ってみたが、彼女が何を言いたいのか見当もつかない。そして、

 ステファニーの言葉を思い返してみても、素直に受け取ることが出来ず、からかわれているのだと、六つ目は思った。


「だって君はとても綺麗だし、俺は君より美しい蝶を見たことがない。いや、鳥だって花だって、君みたいな綺麗なのは知らないよ」


「黙って聞いて頂戴」

 ステファニーの真剣な調子に、六つ目はからかわれているのではないと感じ始めた。 

「わたしは、とても醜い姿だったのよ。色もヘンだし、まるで地面に散らばる砂に、死んでしまった葉っぱのような痣が所々にが浮いている。そんな色よ」


(まるで、おれの体みたいだ)

 六つ目は複雑な気持ちを持ったが黙っていた。


「ある日ね、私の目の前に、朝早くに降った雨垂れが一粒落ちてきたのよ。その中にモゾモゾと動く気味の悪い虫がいたの。そして、その虫が……その虫が私だと気が付いた時の私の驚きと悲しみ。私、泣き続けたわ、気が変になりそうだった」


ステファニーは、その時の自分を思い出したのか、今にも泣きだしそうに肩が震えている。


「それからの私は、いつも綺麗になりたいと思い続けていたの、そのことを忘れていた時間なんて少しもなかった」

ステファニーは濡れた瞳で、六つ目の方を振り返った。月の明かりがキラキラと涙を輝かせている。

 六つ目は今、その涙の粒を今迄見た全ての物の中で、一番綺麗だと思いながら見つめている。

「私、糸を作れたのよ、あなたのように。もっとも、私の場合は口から吐き出していたのだけれど」


「えっ?今、何て?」

 ステファニーの涙に心を奪われていた六つ目は、一瞬遅れて、驚きの声をあげた。


「驚いた?とにかく、綺麗になりたいって、ずっと思っていたのね。そしたらね、ある日とても眠たくなって、とにかく今迄にないくらい、ひどく眠たくなったの。そして私隠れなきゃって思ったの」


 六つ目は我慢できずに訊いた。

「何から?君は何から隠れたかったんだ?」


「解らない。でも誰にも見つかってはいけない、そんな気がした」


(ステファニーは何が言いたいのだろう?蝶が糸を作る?)


「とにかく、隠れなきゃと思って何かの葉の陰まで登って行ったのよ、私、必死だった」


「それで?」


「それでね、口から糸を吐き出して、その場所に自分を結び付けたの、自分を縛って動かないようにね」


「うん、それで?」


「その仕事をやり終えたら、安心したのか直ぐに眠ってしまったのよ。そして私……」

 ステファニーは、ためらったのか口ごもった。

 六つ目はステファニーの次の言葉を辛抱強く待った。


「信じられないとおもうけど、目が覚めた時、私は蝶になっていたのよ」


(なんだって)

 六つ目は話について行けていない、そんな彼にかまわずステファニーは続ける。


「目を覚ましたら羽を持っていた、憧れだった青い羽を。それから空を飛んだの。最初はうまくいかなかったけど、直ぐにコツが分かって来た。とても楽しかった。あんなに気持ちが良いと思った事はそれまでなかった。それまでの私は、いつもモゾモゾと何処へ行くにも這いながら、空を踊るように飛ぶ蝶たちを見上げて思っていたの、なんで私は、あんなふうに生まれてこなかったんだろうって」


 六つ目は自分の身体の奥が、ざわつくのを感じているが、それが何故だかは解らない。胸の奥でもう一匹の自分がそこら中をかきむしっているような落ち着かない感覚があり、とてもではないが、ジッとしていられない。ステファニーの言葉が彼の頭の中で蝶の羽をつけて飛び回っている。そのひとつずつを捕まえる為に、糸を頭の中に張り巡らさなければならない。


(彼女は沢山の脚を持って這い、まるで俺の身体のような色をして全身毛むくじゃらで糸を吐出して眠ってしまった。そして目を覚ますと蝶になってた!!!はあ?信じられない、だが彼女が冗談を言っているようにはとても思えない。そんなことして、一体そんなことをして、何になるというんだ?)



 

 六つ目の中にいる誰かが目を覚まして、キョロキョロと辺りを見回す。そこは暗い穴の中だ。

『お前、やっと気が付いたのか?俺は、ずっと前からここにいたんだぞ』

(何だお前は、誰なんだ、お前は?)




「やっぱり、あなた信じてくれないわね」

 黙り込んでしまった六つ目の顔を凝視しているステファニーに、彼は彼女の目を強く見返して断言した。


「信じるよ」

(そうだ、俺はステファニーを信じる)


「そう言ってくれて嬉しいわ。私が目を覚ました後、沢山の蝶たちに会って仲間に入れて貰ったのだけれど、この話は皆にはしていないの。もし昔の私が、醜い毛虫だったことが皆に知られたら……。私、生きていけない」


(冗談じゃない。死なせるものか!ステファニーを苛める奴らは、俺が殺す)


「どうして、俺にはその話をしたんだい?」

「どうして……どうしてかしら?でも、ずっと秘密を抱えて生きるのって、とってもくたびれるのよ。だから…」

 そこで一度、ステファニーは言葉を区切った。

「だから、誰かに知ってもらいたかったんだと思う、あなたなら解ってくれると思って」


あなたなら解ってくれる、あなたなら、あなたなら、あなたなら、あなたなら……

六つ目の頭の中にその部分だけがリピートされる。


 蝶は、六つ目の容姿が醜いのだと間接的に言っているのと同じなのだが、自分だけが、この美しいステファニーの秘密を知っているのだという優越感が、彼にとっての不都合な事実に蓋をしていた。

 

あんなにも遠い存在だった美しい蝶を、彼は、今、すごく身近に感じることが出来るのだった。


                 つづく






 次回予告 ステファニーは、なぜ蝶になる事が出来たのか?彼女が考える夢を叶える方法。それは蝶の社会で流行している歌にヒントがあった。それを聞いた六つ目は……。

 次回 六つ目と蝶 第6話 ファンキーバタフライズ! ファンキーバタフライズにご期待ください。



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