第2話 悪魔の予言
蟷螂は突然、突きを放った。いわゆるテレフォンパンチのような準備動作も無く、4本の脚のバネ、足裏からの反動の力を無駄なく身体に通して大鎌に伝える技(刈突き)空気を切り裂くような、そのあまりの速さに残像だけが蜘蛛の
(まるで稲妻だ)
(奴の食料と化した者たちは、気が付いた時には、ガッチリと奴の腕の中に抱かれている。そして、熱い抱擁を受けるのだ。泣き叫び、許しを請い、うかつだった自分の行動を後悔し、今自分に起きていることが夢であってくれと願うだろう。生きながらに食される激痛を伴いながら……。やがて食物連鎖の一部たる自分を受け入れる頃には、彼らの身体の大半は、奴の体内に収まっていることに気が付くのだ)
蜘蛛は、この蟷螂に囚われた者の運命を、同じ捕食者として容易に想像できた。
実際、今迄にこの蟷螂にねらわれた者は皆そういう最期を迎えた。今しがた蜘蛛に横取りされた、あの青い羽の蝶以外は。
「おい、六つ目」
蟷螂は声を発した。錆びた鉄をこすり合わせたような声だ。
「お前のことだよ、この間抜けが!」
蜘蛛はハッと我に返った。
(六つ目とは俺のことらしい)
そして、あらためて蟷螂を見た。
「そうだお前のことだよ、む・つ・めー。これは予言だ!俺の邪魔をする者は必ず死ぬ、少しずつ削り取られるように食われながらなぁ~。楽には死ねんぞ!」。
もはや、あれは事故だったなどと言い訳が通じる相手ではない、戦闘する一族として生まれた蜘蛛は蟷螂の挑発に応えた。
「そいつは楽しみだ、相手をしてやってもいいぜ! お前がここへ来られたらな」
語気は荒いが、蜘蛛の身体から力は抜けて、どの方向にも素早く動くことができる体制を作っている。
六つ目と呼ばれた蜘蛛は続けた。
「何が予言だ!俺がお前をぶっ殺してやる、俺の名前を覚えておけ! 俺の名前は…」
蜘蛛が言い終えないうちに蟷螂の姿は、すでに何処かへ消えていた。
「話しを最後まで聞けよ! てめー」
蜘蛛の叫びに応える者はない。
蟷螂は、『お前は只の俺の食料に過ぎない』という態度だ。彼は、ここまで
蟷螂への怒りは収まらないが、今の蜘蛛に本当に蟷螂と戦う意志があったのか、といえば、そうとも言えない。なぜなら、彼を守る蜘蛛の巣を突破できる者はいないと彼自身が考えていたからだ。それは、あの蟷螂も同じだろう。地雷原に守られた独裁者の王国。それと同じことだ。防御がそのまま攻撃になっている。彼の国を侵略出来る者がいるとすれば彼と同じ蜘蛛の仲間だけだ。そんな場所へあの見事な突きを見せ、戦闘に慣れた蟷螂が入ってくるとは思っていなかった。
さて、この蜘蛛の名前を知る
怒り心頭の蜘蛛、六つ目の目に蝶の青い羽が映った。
(そうだ、あの娘を自由にしてやらないと)
そう思いながら蝶へと近づく。だが彼の体は思っていたことと反対の行動を取り始めた。すなわちガッチリと彼女の身体を巣に縛り付けてしまったのだ。いつもの習慣なのか、蜘蛛の本能なのか?自分の巣を揺らす者を縛るのは、蜘蛛としては当然の行いなのだが……。
作業を終えた六つ目は自分のしたことに驚いた。そして混乱している。
(なぜだ?何かがおかしい。どうかしている、俺はどうしたのだ?今日は何度驚かされるんだ、それも俺自身のしたことに俺が驚いている、この蝶を見た時から俺はおかしくなってしまったようだ)
彼の気持ちとは裏腹に、正常な蜘蛛としての彼はこの時までだったと思われる。
盛んに首をひねり、自分自身に戸惑いながらも、六つ目は蝶に話し掛けてみた。
「やあ」。
返事はなかった。
もう一度声を掛けてみる。
「こんにちは」。
返事はない、六つ目は蝶の顔を覗き込む。蝶の顔には苦悶の表情がうかんでいる。
それもそのはず、蜘蛛の糸は彼女の首にきつく巻き付いている。六つ目は慌てて首元の糸を外しに掛かった。
「待ってろ」
首元の糸が外れ首を振る蝶の顔に生気がよみがえってきた。蝶の荒い息がしばらくつづく。
「すまない、すまない」
六つ目は謝った。
「俺は、あんたを殺したり喰ったりするつもりはないんだ。この糸は普段の習慣というのか、俺の身体が勝手にやったことで……そのなんだ、つまり安心していいってことだ」
それでも蝶は返事をしなかった、蒼ざめた顔は硬い表情のままだ。
蜘蛛の恐ろしさを蝶は知っているのだった。蜘蛛の巣に触れかけ、かろうじて逃げ帰った者達の冒険話を聞いたことがあるし、なによりも受け継がれた遺伝子の記憶が、これからの彼女の運命を、その小さな脳へ絶体絶命の危機として伝えているのだった。
六つ目は、すぐにも彼女を自由にしてやろうと思っていたのだが、また別の考えが頭をもたげてくる。
(そうだ、俺は彼女と話しをしてみたかったんだ、美しい羽の持ち主と親しく話しをする。そんな夢を彼女を見かけて以来、見てきたんだ。今、ここで糸を解いて彼女を放してしまえば、その機会は永久に失われてしまう。それは確実だ)
六つ目は、もはや彼女が言葉を話すのを待っていられない気持ちになり、一方的に話し始めた。ここが安全な事、数日前から彼女を見かけて以来、話しかけたかった事、この巣に掛かってしまった事は偶然で意図的ではない事等だ。返事のない彼女に根気よく話しかけ続け、子供の頃の話にまで六つ目の一人語りは及んだ。ついに話しが尽きてしまったが、もう一度話しを繰り返した。そのうちに、そんなことを続けている自分自身がおかしくなってきた。六つ目は、声を上げて笑った。そして、ついに歌まで歌った。彼女に聞かせるというよりは無意識の独り言のような歌だ。
(何をやってるんだ俺は、こんなところを誰かに見られたら、あの蜘蛛は頭がおかしくなったと思われてもしかたがない)
普段、恐ろしがられている蜘蛛としては、何とも体裁の悪いことである。彼自身のやっていることに対する違和感は次第に強くなってきている。だが、巣に掛かった獲物を食べもせず、仲良くなりたい等という気持ちが一体どこからやってくるのか?
この不思議な感情の正体を突き止めたい欲望が、今の彼の行動を支配していた。
(俺の中に俺以外の誰かが居る?)
そんな奇妙な感覚さえ覚えるだった。
「あんた、腹減ってないか?」
六つ目は蝶に尋ねた。
腹をすかせているのは、むしろ六つ目の方であるはずだった。なにせ、ここ数日間、気がつけば蝶のことを、ぼんやりと考えている時間が多く、今朝方まで巣の修繕を怠けていたのだから餌にありつけるはずもない。だが、不思議なことに彼には思ったほどの空腹感がないのだった。
六つ目は、蝶の為に食料を用意することを思い始めている。蝶と会話するのは時間が掛かると、彼なりの理解があったのだろう。
(蝶を放してやれば彼女は勝手に何処かの花から食事を得るだろう)
六つ目は思った。
しかし、それでは彼の蝶と親しくなるという希望は叶うことはない。この蝶を助けたために、蟷螂という恐ろしく厄介な敵を作る事になってしまった彼は、せめて彼の当初の目的を果たしたかった。
(蝶は蟷螂に殺させなかったし、いずれ放してやるのだから彼女は何も損はしていない。少し窮屈な思いをしているだろうが、蟷螂に捕まっていたらと思うと、その程度の事、どちらが良いか比べるまでもない。だが俺はどうだ、俺だけが割を喰っているのじゃないか?もう少し彼女にここにいてもらうのは、俺が罪悪感を感じるようなことじゃない)
六つ目は自分の都合のいいように考えた。
どの様に考えてみても、蟷螂の襲撃から逃れ、蜘蛛の巣に掛かって無傷で帰る者などいない。六つ目は自分の望みが正当で、ささやかなものだという思いを強くしたのだった。
とりあえず蝶に何か食糧になる物を取って来ようと辺りを見回す。
もちろん、最初に目にしたのは、あの黄色い薔薇だ。しかし、六つ目は直ぐにその考えを打ち消した。黄色い薔薇に
(あれだけは駄目だ)
六つ目は、蝶に声をかけた。
「俺、あんたの食い物を取ってくるわ」
返事は、もちろんない。
彼は黄色い薔薇を背にして巣の上を移動した、そして、木の枝へと移った六つ目は、近くに適当な花はないかと見回した。おあつらえ向きにシモツケが咲いている。
木を降りて花へとよじ登った六つ目は、蜜を集め始めた。
やがて、自分の脚にたっぷりと蜜を塗り付けた六つ目は、自分の巣へと引き返した。
(こんなところを蜂の奴らに見つかれば、ひどい目に合うぞ)
今の自分の状況が天敵の格好の的になるということに、彼は、たった今気が付いた。そんなことを思い始めると、
蜘蛛が、花の蜜を集め、そのために天敵から狙われる。それが、蝶の為とは、まったくもって滑稽。だが、六つ目は知っていた。今、自分が楽しんでいることを。
「腹が減っただろ?食べなよ」
自分の巣まで何事もなく帰った六つ目は、そう言って、集めた蜜を蝶の胸の上に置いた。
そして、黄色い薔薇を見張るように彼女に背中を向けた。
(なんて日だー!)
六つ目は巣の補修をおえてから今までの事を目まぐるしく思い出した。六つ目は疲れが出たのか、ウトウトと眠りに落ちていった。
夢かうつつか、彼の体は、どんどん硬くなっていく、動かそう思っても脚一本ピクリとも動かない。やがて彼の皮膚は乾いた果実の皮のようにパリパリと音を立てた。
(ああ、俺はまた脱皮するのだな、今日、何度も感じた命の危機が、俺の生き残る本能をプッシュしたのかもしれない。前回の脱皮の前にも同じ様な事があったからな)
蜘蛛は、脱皮する度に身体が大きくなる。固くなった彼の皮膚は、六つ目に他の蜘蛛との縄張り争いに辛うじて勝利した過去を思い出させた。
だが、彼の背中を割って出てきた物、それは真っ白な蝶の羽だった……。
つづく
次回予告 蝶の為に蜜を集めに行った六つ目、彼の留守中に現れたもう一匹の蜘蛛。彼は何者なのか? そしてその目的は……。
次回 六つ目と蝶 第3話 訪問者! 訪問者にご期待ください。
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