六十四話 泰然たる魔王
統一魔族連邦統一府城内、族長代表の居室、そこには独特の空気が張りつめていた。
厚みのある扉が開かれたままになっている入り口から軽装の兵士が駆け込み、ひっきりなしに報告をしては去っていく。
「散発的な攻撃は徐々に規模を増してきています」
焦りを表情と声に多分に含ませたその兵士は、言葉の途中で焦りが減じて、代わりに落ち着いた様子を纏って退出していく。統一府が魔族から攻められるという緊迫した状況にあって、異常といえる現象だった。
しかしそれはこの部屋にいる魔族にとっては当然のことであり、目に見える“理由”は質実剛健なデザインの執務机について思索を巡らせていた。
「やはり問題となるのは例の黒い獣か」
「はい、まさかかの厄介な存在が反逆者どもの仕業であったとは……」
威厳だけで非常時の狼狽すら抑えてしまう族長代表シャフシオンは、脇に控える猫族族長カッツノーレンと言葉を交わす。続々と持ち込まれる情報を直接に聞き、整理していくのはこのカッツノーレンが担当し、シャフシオンは状況を打開すべく彼にしか見えない高みからの思考に集中していた。
「現状は犬族と鳥族が隙なく防衛についておりますが、時折攻撃に加わる黒い獣どもの群れによって徐々に被害も大きくなっています。地上部隊は城内に詰める我ら猫族や代表殿の羊族も健在ですが、鳥族の兵が崩れれば頭上から城内を攻撃されることになるかと思われます」
蛇族に部族として賛同した主戦派部族は馬族、猿族、猪族であり、シャフシオンの意に従うことを表明した魔王派部族である羊族、猫族、犬族、鳥族と数の上では拮抗していた。しかしいずれも武闘派揃いの魔王派に比して知略を得意とする蛇族と猿族を含む主戦派は戦力として大きく劣っている、はずであった。
日和見派としてどちらにも参戦していない虎族、兎族、熊族に統一府権限で徴兵する必要もないと当初思われたこの反乱内戦は、魔族領内でも散見されていた黒い獣が組織立って統一府攻めに利用されだしたことで状況が一変していた。
それはもはや日和見派の三部族へ使者を送りたくてもその余力がない、という程であった。
「また黒い獣の襲撃ですっ!?」
「空か、陸か?」
酷く取り乱して駆け込んできた兵士に、カッツノーレンは努めて冷静に聞き返す。しかし今度はシャフシオンの座すこの空間に入っても落ち着きは取り戻せないようだった。しかし、統一府城を守る護衛兵としての矜持故か、震える口でその兵士は何とか問いに答えようとする。
「り、両方です、これまでの比ではない規模で……押し寄せていますっ!?」
「むぅぅ」
ここまで何度も繰り返された十数から二、三十匹による編成でも、黒い獣は統一府城を守る魔王派部族の兵に打撃を与えてきた。それで戦力を逐次投入した主戦派の息が切れることを願っていた目論見はここに崩れた、という現実にカッツノーレンの口からは呻きのみが漏れた。
「っ!?」
平時以上に表情を引き締めたシャフシオンが大柄な体躯を音も無く立ち上がらせ、部屋の中央へと進み出たのを見て、カッツノーレン以下この部屋にいる魔族たちは息を呑む。絶大の信頼を寄せる今代の魔王が動くという安心感と、それほど追い詰められたという絶望感を、彼らは今同時に味わっていた。
「カッツノーレン、猫族の半数は城内の守りに残せ。特に文官の安全に気を配ることを忘れるな」
「~っ! はっ!!」
尊敬する族長代表の、冷静さを失わないながらも内から戦意を滲ませる姿に、カッツノーレンは頭頂部のネコ耳を震わせながら歯切れよく返答する。
「その指示が済んだら残りの半数を率いて中庭に出てこい。羊族は全軍で我に続け、奴らに魔王の異称が示すモノを見せてやるぞ」
「承知っ!」
先ほどのカッツノーレンのように、羊族の将軍も身を震わせて受け応える。そしてさっそく指示を果たすべく駆け出していったカッツノーレンを見送ってから、羊族の将軍はそれでも拭えなかった不安から質問を紡ぐ。
「シャフシオン様、率いられた様子とはいえ迎え撃つ敵は獣。どのように中庭まで誘導いたしましょう? 何ぞ策でもございますか」
「……策?」
その質問を受けて、常に理知的で冷静なシャフシオンの瞳が、不意に剣呑な色を灯した。
「我が中庭に立つのだ、敵は死力を尽くしてそこに殺到するしかなかろう」
傲岸にして不遜なその物言いに、さきほど駆け込んだ伝令の兵士までも持ち場に戻ることを忘れて見入っていた。これこそが武人の里として知られる羊族において全幅の信頼を寄せられ、精強ながらも種々雑多で纏まりのない魔族を率いる統一府族長代表にも任じられた史上においても最強の魔族、“雷鳴の炎角”シャフシオンだ、と。
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