五十四話 港町の入り口
善は急げというか、他に妙案もなかったから僕らはすぐにマリヨン帝国へと入ってきていた。緩衝地帯が大きいこともあってマリヨン側国境は比較的警備も緩く、帝国で祀られるマレ・トゥールが一緒にいたけど気付かれることもなく通り過ぎてきた。
「港町マーマルへと向かいますワ!」
張り切るマレが告げたのは、ここからも近い位置にある大陸西岸の大港町の名だ。マリヨン帝国の帝都は領内南側内陸部にあるけど、北側にあるマーマルがこの帝国の商業的な中心地で、さらにいえば人族領にとっても重要な要衝地だった。
というのも、交易をする相手である人族の町々はこの帝国より南側にあるのに、何故この大きな港町が領内でも北側にあるかということに関係する。理由は簡単で、北側への防衛のためだ。
しかし防衛といっても魔族相手に海上防衛をしているということではない。これが船で蛇族の集落を目指すうえでの困難でもあるのだけど、大陸北部――つまり魔族領側――の海域は凶暴かつ強大な海獣が多く、基本的に人族や魔族の手を出せる領域ではない。そして海獣の縄張りではない人族領側を安全に保つためにも、マーマルの位置に防衛線を張る必要があった。
そんな訳で商業港であり軍事港でもあるマーマルは、僕らの目的からしてもちょうどいい場所といえる。
「マーマルにも大きな教会がありますから、きっと盛大に出迎えてくれると思いますノ」
「いや、まあ先触れでもだせばそうかもしれないけど」
合流順の事をまだ引きずっているらしいマレが、やや食い気味でアピールしてくる。可愛げはあるけど、申し訳なさもわいてくるな……。
「って、あれ……」
「盛大……ってほどではねぇけど、確かに結構集まってんな」
ソルとジオが遠くに見えてきたマーマルの街門に何かを見つけたようだ。
「何人かが集まって……、中心に固まっているのは確かに教会関係者っぽいな」
ぐるりと住人たちに囲まれているのは、服装からして海洋神教会の神官たちか。その神官たちも、何か……誰か? を囲っているように見える。
「出迎えではなく揉め事に見える。偶然騒然」
「かもしれないですわネ」
とどめのようにデータムが断言したのを受けて、マレはつっと目線を遠くへ逸らす。いや、まぁ何が起こってるのかは知らないけど、特にマレが気まずくなる必要もないんじゃ?
急ぐでもなく歩いて近づいていると、まだ結構距離があったにも拘らず、神官のうちの一人がこちらに気付いたようだった。
「マレ・トゥール! 我らがマーマルへよくいらっしゃいました!」
「ええ、構いませんことヨ」
「っ! あ、と……あれは……ですね」
揉み手する勢いで挨拶を始めた神官は、すぐに僕らの視線に気付いて、弁解しようとする。けど騒ぎが起きていることは誤魔化しようもないと思ったのか、微妙にマレからは視線を外したままで、言い辛そうに言葉を続ける。
「不審者がマレ・トゥールや他の神々の事を聞いて回っていたので、どういうことかと事情を聞こうとしたところで血気盛んな若い神官が、その、強く言い過ぎたようでして、逃げてしまったのです。それでようやく先ほど話し合いが再開したところでして……」
話し合いが再開のところで露骨に声が小さくなったあたり、あれが話し合いではなくて“取り押さえた”現場にしか見えないのは僕の目が悪いわけではなさそうだ。
うん、よく見直しても、小柄な誰かが複数の神官に抑えられて地面に押し付けられているようにしか見えない。殴ったり蹴ったりしているというわけではないけれど、現行犯だっていうならともかく……、ただの不審者に対しては明らかにやり過ぎで、それを冷静になって自覚もしているというところだろうか。まさに集団心理の怖さを見た気分だ。
「ねぇ、マスター」
「うん、わかってる」
大分近づいてきた現場を凝視しながらのソルの言葉に頷き返してから、神官の方へと視線を向ける。
「まずは放してやって、乱暴にしたことは謝るべきだろう。話し合いはその後だと思うが?」
「は……? しかし、不審者には違いないのでそんな甘いことは……」
おそらくソルと同じく、かつてガーテンで出会った気のいい牛族青年の顔を思い出していた僕は、つい強めの口調で言ってしまう。それに対する反感からか神官は明らかな不満を顔に出している。
こっちも横から急に口を挟んだし、彼の態度自体には思う所はない。けど、そうはいかない子もいるようだ。
「ご主人様の言った通りに対応なさい。今すぐに」
「は? え? ごしゅ……? へ?」
唐突に雰囲気の変わったマレの言葉に、神官は混乱している。独特のイントネーションと明らかに作った感じのお嬢様キャラ的空気が無くなると、長身で美しいながらも怜悧な顔つきをしているマレは、仕事ができて迫力のある上司って感じだ。あるいは生徒指導の先生か。……つまり怖い。
「聞こえませんでしたか? 同じことをもう一度言いましょうか……?」
「ただちにぃっ!」
マレが青く澄んでいながらも深く暗い海底のような瞳で見据えると、可哀そうなくらいに震えあがった神官は転びそうになりながら慌てて人だかりの方へと戻っていく。
「対応していただけるようですワ。さすがワタクシたちのご主人様ですわネ!」
「え、あ、うん……、ははは……」
両手を頬の横であわせてニッコリしているマレの変わり様に、僕は乾いた笑いで返してしまうのだった。
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