三十九話 不安に飲み込まれそうな紳士と狼狽する魔王
「な、なんだったの?」
「ああ、雰囲気からして気に食わない野郎だったぜ」
ソルは面食らっているし、ジオは露骨に不機嫌だ。
「思わず……言わなくていい事言ってしまったかな」
僕は僕でちょっと落ち込んでいる。動揺して失敗した。
「あれってやっぱり……?」
ソルが曖昧な言葉で問いかけてくる。
「ああ、僕と同じ世界の人間だったっぽいな」
僕も確信の薄さから微妙な言い回しで返した。
あの少年――突然近寄ってきて
ソルとはゲーム『オルタナティブ』についての話もしてきたし、ジオも同じようにそれは認識しているようだ。だけどそれでも彼女たちは“現実世界の人間”じゃない。そこに関してだからどうと思っている訳でもないけど、それによって僕の中で元いた現実世界のことを考える機会が減っていたのも事実だ。
そもそも今の状況がなんなのか、この世界が何なのか、それすらわからないのだから、帰りたいとか僕のいない間に仕事はどうなっているだろうとか、そういうことは考えるだけ無駄だ。という言い訳で目を逸らしていた。
そこにきて、突然のハッカーだ。目を逸らしていた“現実的な”問題を突き付けられたような気分だったし、あるいはそれはこの世界についてのヒントなのかもしれないと思っている。僕が無意識にファンタジックなものと認識していたこの世界は、ハッカーというある種のエンジニアが興味を持つようなデジタルなものなのだろうか……。
*****
「それはどういうこと……?」
羊族の族長であり、統一魔族連邦の代表でもあるシャフシオンのいつもの愚痴を聞いて、モノクロの少女はいつもとは違う動揺を見せていた。
いついかなる時でもどこか遠くを見るように茫洋としていた黒い瞳が明らかに揺れているのに気付いて、シャフシオンの方がそれに輪をかけて心を乱す。
「む……、だから、やっかいな獣がでて領内を荒らしているらしいのだ」
相当な手練れでないと歯が立たない強力な獣の出没。それは統治者として非常に頭の痛い問題であり、魔族全体を愛しているシャフシオンにとっては心まで痛い懸案事項だった。
「黒い……獣?」
「そうだ。毛の一本まで全て黒いのが共通する特徴らしい」
「そんなの、知らない」
「それは――」
「知らないことくらいあるだろう」と言いかけて、シャフシオンは口をつぐむ。神に寄りそう神描と彼が信じるこの少女は、知識神の神描なのだ。“知らない”ということはそれだけで驚天動地の重大事件といえた。
「あの人は……、あるじはそんなの作ってない」
見たことのない動揺で聞いたことのない情報がもたらされたことに、シャフシオンの動揺は深まっていく。
「(あるじ……、作る……? データム・トゥールは知識を統べる神であって、創造神ではない。自然というのは文字通り自然に生じたものであって、それを管理するのが神だ。故に知識神こそが唯一神で、人族の信じる創造神シンティーネなる存在は妄想に過ぎない、と我らは信じてきた。しかし神描様のこの言葉は、まるで……)」
何事か考えを巡らせていたモノクロの少女は、セミロングの黒髪を揺らして身を乗り出す。
「もっと、教えて。あるじと合流する前に原因の仮説と対策案くらいはたてておきたい」
「む、あ、あぁ……。初めに目撃されたのは――」
少女の言葉一つ一つに狼狽えながらも、根が真面目なシャフシオンは丁寧に説明を始めるのだった。
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