三十四話 モータ

 「っ!?」

 

 逃げる人たちの間を縫って村内へと入ったところで、思わず歯噛みする。

 

 「モータが!」

 

 ソルも思わず悲鳴じみた声を上げた。

 

 そこにはあの露店の広場で暴れまわる黒いヘラジカと、それに体当たりを定期的にかましながらも敵わないモータ、そしてそんなモータへ石を投げる一人のドワーフがいた。

 

 話がちらと聞こえていたドルフとかいう奴か。立ち向かうとか言っていてまさかとは思っていたけど……。

 

 ドワーフらしく遠目にも質の良さそうなナイフを手にしているけど、ドルフは渦中へ近づく気は無いようだ。そして位置関係的に向こう側になるから、いちいちあれを止めに行くよりも、先にモータを助けに入らないと。

 

 「モータっ、クホルンさんから依頼を受けてきました! 君は一旦下がって!」

 「おぉっ、助かったでよぉ!」

 

 僕が張り上げた声に、モータはほっとした顔をこちらへ向けた。と、それをどうとったのか、それまで規則性なく暴れていた黒ヘラジカが、急にその角先をモータへと向けて、一瞬の内に突撃する。

 

 「バファッ!」

 「ぐ、もぉっ!」

 

 焦ったけど、間一髪、ぎりぎりのところでモータは貫かれる前にその黒い角を掴み止めていた。

 

 「あ……、くっ」

 「僕が接敵して引き離すから、追撃は任せた」

 

 黒ヘラジカとモータが組み合ったことで、『ソーラーレイ』が使えなくなったソルが鼻白んでロングソードの柄に手をかけたけど、ここは僕が突っ込んだ方がいい。

 

 「せいっ!」

 「ブモッ」

 

 一足飛びに近づいて正拳を黒ヘラジカの横っ腹に叩き込む。

 

 「おいらが抑えとるから、攻撃を」

 

 勢いをつけた全力の攻撃に少しよろけただけだったということに動揺したけど、今度はモータと黒ヘラジカが組み合っていることが幸いした。屈強な牛族に角を掴まれ、横から僕に殴りつけられた黒ヘラジカは、相当に頑強なようだけど反撃も逃走も満足にできないようだ。

 

 「あっ……」

 

 と、そこに後ろからソルの、どこか気の抜けた声が聞こえる。驚いたというよりはただ起こっていることに息が漏れただけというような……。

 

 続いてとんっ、というすこし軽く何かがぶつかる音。

 

 「が……あ、ぐぁ……」

 

 続いて、モータの苦鳴。

 

 「何を――」

 

 うまく言葉がでなかった。必死の形相でモータの背中に突き立てたナイフを捻るドルフに、驚けばいいのか怒ればいいのかもわからない。

 

 「……、っぁあ」

 「っ!?」

 

 モータが口を大きく開いて血混じりの息を吐くと、突き立ったままのナイフから手を離したドルフは大柄な牛族の放つ決死の迫力に接して露骨に怯えをみせた。

 

 モータはあの状態でドルフを追い払えるか? 僕がなんとかして一気に黒ヘラジカの方を仕留めてしまわないと……。

 

 しかし、次にモータが開いた口から出たのは、そんな僕が思考していたのとは全く違う言葉だった。

 

 「……なに、を……しとるだで。……と、とっとと、逃げ、ろぉ」

 

 モータはしっかりと掴んだ黒ヘラジカの角は放さず、目線だけを背後に向けている。

 

 「ぁ、ぁぁ、あ……」

 

 動揺しているのか言葉にならない音を漏らすドルフ。

 

 今、僕にできる……、いや、すべきことは糾弾や断罪じゃない。

 

 「もう少し、抑えててくれ」

 「お、……おぉ」

 

 低い声で告げると、弱々しく、しかしはっきりとモータは返答した。

 

 明らかに黒オオカミよりも頑強なこの黒ヘラジカを確実に、かつ一気に仕留める必要がある。

 

 「着火」

 

 構えた右拳に炎が灯る。

 

 「帯電」

 

 燃える拳の周りを電流が迸る。

 

 「すぅぅぅぅぅぅ」

 

 細く長く息を吸って、身体と、攻撃の意思を整えていく。

 

 「炎雷発勁」

 

 瞬時に押し当てるように、一見軽くぶつけた拳の威力は黒ヘラジカの内部で頂点に達し、込められた魔法の力をともなってその獣の体内で吹き荒れる。

 

 炎と雷の二種の魔法を乗せたアジリティ敏捷性系格闘術スキル『発勁』は、断末魔を上げることすらさせずに黒ヘラジカを絶命させた。

 

 「……、やった、でよ……」

 

 空気に溶けるように消えていく黒い獣の死体に驚くような余裕も無く、モータはその場に膝をつく。

 

 「マスターっ」

 

 すぐに近づいてドルフを取り押さえたソルが、焦った表情で声を掛けてくる。

 

 「わかってる」

 

 背中を向けたソルの圧縮鞄から上級回復ポーションを取り出して、ふたを開けるとすぐにモータの全身へと振り掛ける。

 

 「なっ!?」

 

 破れた服の隙間から見えていたモータの傷が、音も無く瞬時に塞がるのをみて、僕が今使ったものが何かを察したらしいドルフが驚愕する。

 

 「モータ、もう大丈夫ですよ。黒ヘラジカもいなくなった」

 

 ドルフのしたことは許せないけど、モータが必死に抑えていてくれたおかげで、あの頑強な黒ヘラジカを、ガーテンに大きな被害も出さずに討伐出来た。モータがいなかったら追いかけ回しているうちに相当な破壊を許したか、あるいは色々と巻き込むのを覚悟で大きな魔法を使うしかなかった。

 

 「モータ?」

 「……」

 

 ソルが不思議そうに名を呼んだけど、しゃがみ込んで俯いたままのモータは返事をしない。

 

 「…………」

 「……え?」

 

 微動すらしないその姿に、僕の口からも表しようのない感情が漏れた。

 

 「………………」

 

 上級回復ポーションは瞬時に身体の損傷を修復する。しかしこの世界に、失った命を蘇らせる手段は、存在、しない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る