十九話 不審者は慌てて走り去っていく

 「やったね!」

 「ん……」

 

 喜ぶソルから視線を逸らして、少し離れたところに生えている数本の木々を見つめる。別に照れたわけでも、まして気を悪くした訳でもない。

 

 「さっき索敵した時、ここに居たのは黒オオカミだけじゃなかった」

 「え!?」

 

 ぽつりと呟いた僕の言葉に、ソルは驚いている。うまく隠れているし、気配も巧妙に周囲へと紛らせているから、意識して高レベルの『索敵』技能を使わないと、とても気付けなかっただろう。

 

 「……」

 

 無言のまま、戦闘態勢を解かずに警戒心を木々の裏側へと向ける。――と、そこでかさり、とほんの小さく地面を踏みしめる音が聞こえてくる。

 

 相手もこちらの警戒には戦闘も辞さない意思があると気付いたようだった。

 

 「こ、攻撃するなよ」

 

 聞こえてきたのは甲高い声だった。女声というより、子どもの声だった。やや掠れ気味ながらも可愛げすら感じるそれは、声変わり前の少年のものに思えた。

 

 「見ていたのは君か……、何故隠れていた?」

 

 一本の木の裏から現した姿へと、問いかける。しっかりとした厚い生地ながらも動きを阻害しないような服装に、腰の後ろには二本のダガー。両太ももにはポーチが付いていて、膨らみ具合から色々と入っている様子だった。背負っている圧縮鞄も、一般的なものよりも小型で、服装と相まって明らかに動きやすさを重視している装備だ。

 

 そんな格好をした女の子のような可愛らしい顔の少年、あるいは男の子のような凛々しさを備えた少女、は必死な様子でこちらを窺っている。

 

 「あんな恐ろしい獣がいて隠れるに決まってるだろっ!」

 

 釣り目が生意気そうな印象を与える顔に似合った、こちらも如何にも勝気な口調でそう言い募ってくる。しかしその声は震えていて、恐ろしかったのは本当のようだった。

 

 「そうじゃなくて、さっきあれを倒した時点で出てきたら良かっただろ? なぜ“僕らからも”隠れようとしたって聞いているんだ」

 

 少しだけ声に圧を込めて、再度質問をする。元々の僕であるいね 慎太しんたは童顔で声も高かった。その僕の憧れから形作られた今の体であるテスト・デ・バッガはスマートな紳士然とはしているものの十分に厳ついといえる顔立ちで、高身長。加えて声も低くて重い。

 

 そんな今の僕に、それもあんな戦闘を見せられた後で、こうも詰問されるとまあ怖いだろう。実際に、少年は目には反骨心が残っているものの顔色は出てきたときより青みを増している。

 

 「そ、それはっ……」

 「ん?」

 

 なおも言い逃れようとしていた少年は、さらに圧力を加えられてようやく観念したようだった。

 

 「……じ、ジブンは、その……、えと、いわゆる? 盗賊? 的な仕事をしてるから、さ」

 

 随分としどろもどろに少年はそう自白した。なるほど、後ろ暗い職業の人間だから、逃れようもないほど強い僕らに捕まって衛兵なりなんなりに突き出されるのを警戒したのか。

 

 けどこういっては何だけど、それを警戒するほどの賞金がかかっている程の大物にはとても見えないな。相手のステータスを直接確認する手段は無いから確証はないけど、仕草とか目線の動かし方とかから判断するに、ぎりぎり一人前くらい、プレイヤーでいうと中盤に差し掛かるくらいのレベルといったところだろうか。

 

 「えと……、行っていい?」

 

 気まずそうに、頬を掻きながらそう言ってくる。へらへら笑いは必死の愛想ということだろうか。

 

 「一つだけ聞きたい。さっきの黒オオカミについて知っていることは?」

 「な、何もない! ジブンが池で一休みしてたらあれが来て、慌てて隠れて出られなくなってたんだよ!」

 「…………」

 

 矛盾は無いし、そもそもこの状況で騙して得も無い……か。

 

 「行っていいぞ」

 「っ!?」

 

 短く告げると、少年は飛ぶような勢いで走り去っていった。というか、結局少年かどうかさえわからないままだけど、まあもう会うこともないだろうし、どうでもいいか。

 

 「ねぇ、マスター」

 「どうした?」

 

 そこでソルに後ろから肩を指でつつかれた。今の対応に不備があっただろうか。

 

 しかし振り返るとソルは少年が走り去ったのとは全然違う方向を見ていて、そして動揺しているようだった。

 

 「あれ……」

 

 ソルの視線の先、そこには何もない。ただ池の縁が削れ、地面と草花が焼けた跡があるだけだ。

 

 「え? 消えた?」

 

 そう、そこにはさっきまで死闘を繰り広げた黒オオカミの死体が倒れていたはずだった。

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