十話 デバッグアバターの真価

 「うぅ……」

 

 あちらこちらから苦しそうなうめき声が聞こえる。起こった事態の深刻さから考えて、大怪我をしているのが数人程度で済んだと捉えるべきか、あるいは一人ならず命の危険にさらされてしまっていると捉えるべきか……。

 

 「マスター?」

 「そうだな、できることをしようと思っている」

 

 確認するような、あるいは促すような、何ともいえないソルの問いかけに曖昧に答えながら周囲を見回す。このロビーにレイジベアが出てきてからはすぐに対処したから、ここではせいぜいが転んで足を挫いたらしい職員がいるだけ。

 

 「奥にひでぇ怪我をしたセンター職員がいるみたいだ。他の連中を逃がすために囮になったらしいな」

 

 近づいてきた重武装中年にロングソードを返し際、そんな話を聞く。

 

 ……なるほど、あれか。

 

 奥の集積場で大怪我をした人たちはロビーに一旦寝かされて、職員や旅人が街中へ治療ができる人間を呼びに走っている。しかし動かすことも憚られるくらいの大怪我をした一人は、血臭漂う集積場に寝かされたままのようだった。

 

 「ソロンっ! いやぁ、死なないでぇ」

 

 生きているのも不思議なくらいの大怪我をした男性職員――服装からしておそらく受付ではなく職人――に、こちらは受付の制服を着た女性職員が縋りつくようにしてむせび泣いていた。

 

 よく見るとその女性職員の顔には見覚えがある、レイジベアを斬った時に横でへたり込んでいた女性だった。左手の薬指には揃いのシンプルな指輪をしているところから、おそらくは夫婦なのだろう。

 

 まだ息があるなら、なんとかできるか?

 

 「あの、先ほどはありがとうございました。ですがここは、その……」

 

 別の若い男性職員がそっと近寄って声を掛けてきた。僕が報奨金をせびりに来たとでも思ったのか、どこか責めるような雰囲気がある。もはや夫を看取るしかないこの女性をそっとしておいてやれとでも言いたそうな表情だ。

 

 「ものわかりよく諦めて、ただ沈痛な表情を浮かべるだけのあなたにそんな態度をとられたくはないですね」

 「えっ」

 

 自分でも驚くほどに刺々しい声を出してしまった。過去のトラウマが刺激されたとはいえ、これは良くないな。

 

 「いや、……失礼。それよりここには制作区画が――調薬部屋があったはずですね、案内してほしい」

 

 一言詫びつつも強い口調で告げる。

 

 しかしこの男性職員はただ怪訝そうにするだけで動こうとしない。

 

 「ですからここは――」

 「場所はわかるので勝手に使わせてもらう。苦情や賠償請求は後で聞こう」

 

 段々と口調も崩れてきてしまった。けど今は一刻を争う状況だ、押し問答をする暇はどう考えても無い。

 

 「あ、ちょっと」

 

 依然として止めようとする男性職員を振り切って、集積場にある扉をくぐって隣の倉庫へ、そしてそこから階段を上がって職員専用区画である二階へと上がっていく。

 

 後ろから何人かの職員がついてきているようだけど、何だかソルがうまくあしらってくれているようだった。焦りから早歩きになる僕の元までは苦情をいいにこず、ただついてきている。

 

 二階は装備品や消耗品を制作する各種制作部屋が並んでいる。旅人から集めた素材で高く売れるものを作ったり、仕入れた素材で作った簡易な装備品を安く旅人へ提供したりするためだ。

 

 その中でこの部屋が――

 

 「よし、そのままだ」

 

 薬草や獣の内臓などから薬品を作るための調薬部屋、ゲーム的にはドロップアイテムから回復アイテムを作る場所だ。プレイヤーキャラクターの技能次第で相当な貴重品まで制作可能なこういった制作スポットでは、ゲーム『オルタナティブ』ではプレイヤーの所持品から材料を選んでアイテムを作ることになる。

 

 「よぉし、よし、これだけあればいけるな」

 

 思わず声が上擦った。ただの装飾品として設置していた棚や箱、というかその中身。そこには超の付く貴重品こそないものの、大体の調薬素材が揃っている。ゲームではない今この場所において、そこにある材料が使えない道理は無い。

 

 そして矛盾するようだけど、ゲームのスキルとして『デバッガー』を持つ僕は、もちろん調薬も高い技能でこなせる。リアルでは化学も医学も素人のはずなのに、どの素材をどの器材でどう加工すれば、あの彼を救えるかが瞬時に頭に浮かんでくる。

 

 「え、え、な、なにを?」

 「いいから、いいから、マスターに任せておいて、ね?」

 

 大人しくついてきていた数人の職員が、無造作に備品を漁り始めた僕に戸惑いの声を上げたものの、やはりソルに宥めすかされている。僕のことを全面的に信じてくれているソルの自信満々な態度には妙な説得力があるらしく、職員たちも制止を行動に移そうとはしなかった。

 

 「よし! 出来た!」

 

 あっという間に必要な作業を終わらせて、近くにあった適当な小瓶に綺麗な翡翠色の液体を詰めてふたをする。

 

 「すぐ戻ろう」

 「はーい、皆さんも戻りますよー」

 「え、は、はい」

 

 なんだかわからないけど、職員たちはもはや従順になってきてるな。これはソルの神威というやつなのか、あるいは職員たちとしても同僚を救う可能性に期待しているのか。

 

 「そろ、ん……、い、やぁ、息を……」

 

 集積場へと戻ってきた瞬間、あの女性職員の小さく、そして悲痛な声が耳へと入ってきた。

 

 ソロンと呼ばれているあの重傷の男性職員が呼吸を停止している。ついに残りわずかだった生命力が尽きたようだ。――いや、今まさに尽きようとしている、だ。

 

 「何をっ!?」

 

 小瓶のふたをあけながら大股で無造作に近寄る僕を、さっきの若い男性職員がまた止めようとしてくる。が、もう相手にしている暇は一秒たりとて無い。

 

 無言で小瓶の中身を、ソロンの全身へと振り掛ける。

 

 「え……?」

 

 僕の行動には見向きもせず、じっとソロンを見続けていた女性職員の口から、何ともいえないニュアンスの吐息が漏れた。

 

 「傷、が?」

 

 若い男性職員が目の前で起こった現象を理解できないというように呟く。瀕死の、というより死の淵にあったソロンの悲惨な傷口が瞬時に塞がり、息を止めたはずのその口から血の塊を咽て吐き出す。

 

 ――上級回復ポーション。一般人をはるかに凌駕する生命力を持つゲーム終盤のプレイヤーキャラクターが、万が一の切り札として用意しておく回復薬だ。その効果は絶大で、瞬時に多量の生命力を回復するものの、ダンジョンの宝箱からの低確率ランダムドロップか、あるいは調薬技能を十分に伸ばすことでしか手に入らない。まぁ技能さえあれば比較的ありふれた材料から作れてしまうから、これは要調整だなと思いつつも放置していたことが、ここで役に立つとは思わなかった。

 

 「あれ、レイジベアは?」

 

 すぐに身を起こしたソロンが周囲を見渡して発した能天気にすら聞こえる声が、呆然とする職員たちの間にやけに大きく響いていた。

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