九話 鮮烈なデビュー

 自分が作った記憶のある部分も、ない部分もそれぞれに違った理由で直接見に立ち寄りたいという誘惑を必死で振り切って、三階建てレンガ造りのしっかりとした建造物――ファストガ依頼センター――へと辿り着いた。ソルは「寄ってもいいよ」と言ってくれたけど、一度寄り道を始めたらもう今日中に目的地へ辿り着ける気がしなかった。

 

 「寄り道してもよかったのに」

 「一度タガがはずれたらきりが無くなりそうだったから」

 「マスターとだったらいくらでも付き合うよ? せっかくの初デートになりそうだったのに……」

 

 いや、それデートか? まぁただの仲間というより娘みたいに大切に思っているソルからそんな風に言われると素直にうれしいけどさ。

 

 「……」

 

 やや目を細めたソルが無言で僕の顔を見ている。見るからに何かが不満そう。そんなに寄り道デートがしたかったのだろうか。

 

 「街の散策はまた今度な」

 「……はぁ、そこじゃなくて、なんかマスターが不本意なことを考えてたような気がする」

 「――?」

 

 よくわからないけど、よくわからないからまぁいいか。

 

 頑丈そうな扉を開けると中の景色が目に飛び込んできて、一気に意識がそちらへ持っていかれる。

 

 きれいに手入れされた内装に感心した訳でも、中を行き交う人の多さに感嘆した訳でもない。そこがあまりにも“見覚えのある”景色のままだったからだ。

 

 「よかったねぇ、マスター。ここは頑張って作り込んでたから」

 「あぁ……」

 

 ソル自身もどこかしみじみとした面持ちで言っている。彼女が直接に関わったのはこの街の気候に関してであって建物内装についてソル・ツールは使っていない。だけどやっぱり同じチームで『オルタナティブ』を開発したという意識というか感慨がソルにはあるようだった。

 

 「どうした、あんた? そんなとこ突っ立って?」

 「――っと、失礼」

 

 後ろからきた重武装の中年男から肩を軽く叩かれて我に返った。入ってすぐに立ち尽くしていたから邪魔になっていたようだ。

 

 「依頼を出しにきたのか? それとも受ける方か?」

 

 鼻の頭に十字傷があり、禿げあがった頭部にも無数の傷があるこの重武装中年は、迫力ある見た目に反して親切な性分をしているようだ。僕たちがどうしたらいいかわからなくて困っているのだと思って案内をしてくれるようだった。

 

 「あ、あぁどうも。僕たちは受ける方で……」

 「それならあの――」

 

 とっさに返事をした僕の言葉を聞いて、重武装中年が奥の方にあるカウンターを指差す。当然知っているけど、親切に対してお礼を言おうとしたところで、ばぁんという木材が破裂するような乾いた大きな音に遮られた。

 

 「わぁぁぁっ!」

 「うわっ、わ、わわ!」

 

 口々に悲鳴を上げながら、複数のセンター職員がロビー奥にある大きな扉から飛び出してきた。

 

 あそこはこのセンター一階にある集積場と倉庫、討伐された獣の素材や報酬としてストックしてある物品を置くスペースへと繋がるはずだ。

 

 「何か――」

 

 「あったのか?」と口にしようとしたところで、その答えは悲鳴の一つとして届けられる。

 

 「捕獲したレイジベアが逃げ出したぁっ!」

 「なっ!」

 

 知らされた職員の大失態に、隣から重武装中年の驚きの声が聞こえた。

 

 レイジベアはこの辺りでは比較的強い獣だ。特殊な能力は持たない大きなクマだけど、力が強く、爪と牙は鋭く、体毛は強靭。この依頼センターに集っている旅人であれば十分に対処できるだろうけど、逃げまどう職員たちにとっては絶望的な強さだ。

 

 状況の位置関係が悪い。ここまで微かに漂ってくる血の匂いからして奥の扉の向こうは既に惨事だろう。そして十数人程度は居合わせている武装した旅人は皆僕の近く、ロビーの入り口周辺に立っていて、扉から顔を出して吠えるレイジベアとの間には何人もの職員がいる。

 

 混乱して逃げまどい、倒れたり這ったりしている者もいるこの状況では、さらなる被害は避けられない。

 

 ――ここに僕がいなかったのなら、だけど。

 

 「マスター、アタシが」

 「いや、ソルはここから援護を」

 

 ソルがこの世界でどの程度戦えるのかは不明だけど、僕、というかテストがどの程度戦えるのかはよくわかっている。フスラ丘陵で目を覚ました直後のファングウルフの時は混乱していたけど、このデバッグ用テストアバターの力であれば、この辺の獣は敵じゃないし、この状況で素早く接敵する手段もある。

 

 素早く確実に仕留めるなら武器を……、あ、これでいいか。

 

 「お、おいっ」

 

 重武装中年の腰に差した鞘から武骨なロングソードを素早く抜き取ると、当然のこと抗議の声が上がる。けど、今は説明している時間も惜しい。

 

 「後で返す」

 

 それだけ言って腰を落として身構える。行使するのはスキル――この世界における絶対的な“力”――だ。

 

 ゲーム『オルタナティブ』では、基本的に戦闘もクラフトも基本行動のみで行う。剣であれば振るう、魔法なら火や氷塊を放つ、鍛冶でも流通品を作る程度だ。しかし技能を十分に高めることで奥義に該当するスキルを習得できる。NPCなら一つでも持っていれば十分に達人級といえるこのスキルをいくつ習得できるかが、『オルタナティブ』におけるプレイヤーキャラの最終エンドコンテンツ的な強さであり幅の広さともいえる。

 

 今は僕自身でもあるこのテスト・デ・バッガの持つスキルは『デバッガー』。文字通りデバッグ用に用意した特殊スキルで、ゲーム内で習得可能なあらゆる技能を最初から高度に使える上に、特殊なものを除いた各技能のスキルも使えてしまう。システム的にプレイヤーには使えないものは使えないけど、逆に言えば最終的にプレイヤーに使えるようになるものなら使える。

 

 ちなみにあくまでデバッグプレイ用に用意したものであって、これは断じてチートなどという不正行為ではない。アマチュアとはいえゲーム開発者として安易にチートなんて呼称するのは、心中での独り言であっても許容できない。

 

 「うむ」

 「どうしたの、マスター?」

 

 構えてから一瞬の内に脳内早口で思考して満足した僕が頷くと、不思議そうにソルが聞いてくる。ちょっと気恥ずかしいから、さっさと戦うとするか。

 

 この状況で使うのはアジリティ敏捷性系の剣術スキル。

 

 「瞬刃一閃」

 

 声に出した瞬間、周囲の全てが遅く――いや、僕の動きが速くなる。

 

 全てがスローに動く中、職員たちを躱し、間を縫って、十数メートル先にいたレイジベアの面前に数歩で辿り着く。

 

 そして武骨なロングソードを振り上げ――

 

 「しぃっ!」

 「ガァァァッ!」

 

 ――鋭い呼気とともに、振り下ろした。

 

 袈裟に斬られたレイジベアの断末魔をきっかけにするように、全てが通常のスピードで動きを取り戻していく。

 

 「へ、え、あれ?」

 

 僕のすぐ隣、つまりはレイジベアの爪の間合い内でへたり込んでいた女性職員が、急に現れたように見えたのであろう僕の姿に当惑している。自身の血溜まりに倒れたレイジベアと剣を振りきった姿勢の僕を交互に見ているけど、まだ状況が把握できないようだ。

 

 『瞬刃一閃』は間合いを無意味にする程のスピードで接敵して必中の大ダメージを与えるスキル。アジリティステータスと剣術の技能を育てた先で習得するスキルだけに、魔族領から遠く強い獣もいないファストガ依頼センターでは職員とはいえ目にしたことは無くても不思議じゃない。

 

 それにしても、ファストガの依頼センターに入った時のイベントとして、こんなことを設定した覚えはない。

 

 そう、周囲で慌ててケガ人の処置へと走る職員たちを見ながら、思いを馳せる。

 

 テスト・デ・バッガの身体がゲーム通りのスペックを発揮したことへの安心と、この世界そのものはゲーム通りではないということの新たな証拠への不安を、同時に胸中に抱いていた。

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