4. 空から降り注げ鋼鉄の
「でも、いつの間に……」
切り替わる感覚がわからなかった。いつ自分は夢幻回廊に足を踏み入れたのか? その記憶が定かではない。意識を取り戻した時には目の前の光景が広がっていたのだ。エミリオと二人で第四十四階層にワープし、近くの階段を目指したことは覚えている。ワープから階段まで距離がないとはいえ魔物に喰われたらお笑い草だと言って、エミリオに後ろを任せて駆けていた。そこまでは覚えている。階段が近づき、ライカは武者震いをしてから階段へ足を伸ばした。
「……っ」
頭が、痛い。
夢幻回廊は対象者それぞれに異なる幻覚を見せると言う。ライカの場合は父の語り聞かせてくれた「異世界」のようだ。こんな光景見たことがない。ライカの想像する異世界がきっとこれなんだろう。幻覚を見せられているのか、夢を見ているのかによっても対処が異なる。試しに拳を何度か強く握ってみる。身体は言うとおりに動く。近くの建物にも触れてみた。ガラス張りのショーウィンドウからはひんやりとした感覚が伝わってくる。五感も機能しているし、触れる。
幻覚世界で意識が乗っ取られたり、目的を失っては閉じ込められてしまう。ライカは目的を見失ってはいない。すぐに外にいるジャスミンと交信を行う。魔法を用いた念話だ。
「ジャスミン。ライカだ、聴こえるか」
しかし、ライカの声に応える者はない。魔法がシャットアウトされているのだろうか。そう考えてライカは首を横に振る。外界からの強制的な空間転移が可能なのだ、魔法が使えないということではないはず。ならどうして? 内側からでは何か障害があるのだろうか。
いずれにせよ、この幻覚を突破しなければどうにもならない。だが無策で来たわけではない、想定内だ。ならばこの問題は外側の人間が尽力してくれるはず。であればライカは内側の人間としてできることをするだけだ。
見慣れない街並みを歩いてみる。行きかう人々の表情はよく見えない。数々の喧騒もどことなくガヤガヤとはしているが、いざどんな話なのかと聞き耳を立ててみても雑踏に溶けて消えていく。人間が見えてこないあたり、空虚な幻想だと言われると妙に得心がいった。
父が語って聞かせた世界。空の向こうか海の彼方か――そういった理屈の外にある、転生者がかつて生きていた世界。
「ああ、くそ」
また頭痛だ。後頭部がズキズキと痛む。まるで思考することを妨害するかのようだ。何か、何かが引っ掛かる。意識はある。幻覚世界においては世界にのめり込むことがもっとも危険な状態だ。意識を保て、保てと訴える。
「出口を、探さないと……いけねぇのに……」
考えるほど頭痛がひどくなる。どうやって出口を見つけようと思っていた? どうすればこの閉鎖された世界から脱出できると考えた? 信じた人がいたはずだ。一人のアタックでは呑み込まれて終わりだ、だから信頼して託したはずなのに。
その名前を思い出せない。
そのとき、雑踏の向こうに何かを見つけた。顔さえもうまく視認できない、まるで認識する必要がないと言われているかのように構築された世界のなかで、人影ひとつ見つけるなんて至難の業だ。それでもライカが彼を見つけたのにはきっと重要な意味があるんだろう。
車がひっきりなしに行き交う道路を挟んで向こう側、人の波が彼だけを避けている。ぽつねんとそこに立ち尽くしている男性の姿に、ライカは強い既視感を覚えた。
いつ、どこでかはわからない。もしかしたら夢の中なのかもしれない。もし語り聞かせてくれた世界の中で生活を営んでいたとしたら、こんな風に過ごしていたんだろうかというイフ。
見知った姿からは面影なんて少しも感じられない。黒髪に黒目、それは転生者の姿としては多く見られる特徴だ。けれど彼は、ライカの知っている彼はまったくそうではなかったから、黒髪にラフなジャケット姿の男性を見ても「そう」だとはわからなかったはずだ。
はじめまして。でも知っている。
「……おや、じ」
ライカの唇から、自然と零れた。
その男は何も言わない。雑踏の向こうでは声も届かないかもしれない。叫びたかった。手を伸ばしたかった。駆け出して確かめたかった。在りし日の父親の姿を。夢でもいいから語りたかった。彼が夢見た世界の話を。
でもライカの身体は動かない。どういうわけか微塵も動かなかった。声すらも喉の奥に張り付いて出てこない。どうして。どうして……
男はやっぱり何も言わない。それが正しいと言うかのように。
「…………」
ただ、静かに微笑んだ。
暗転。
「~~~~~~っ痛えええええええ‼」
そして、脳天にタライがクリティカルヒットした。
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