3. 安い夢なら墓場まで

 アタック当日。

 ライカの目の下にはクマができていた。


「何その顔」

「緊張して眠れなかった」

「バカじゃないの」


 朝一番に顔を合わせたジャスミンの、冷ややかな一言がぐさりとライカの胸を貫く。遠足前の子供か、と更に突っ込まれたがライカには遠足という行事に馴染みがなく疑問符を浮かべた。ジャスミンは無意識のようだが、特に彼女は転生前の世界の言葉をよく使う。それが彼女にとっての常識だったのだろうが、そのせいで時折ライカには彼女の言葉の意味を十全に理解できないことがある。聞き返すと百倍返しくらいの嫌みが来るので深入りできないのもある。

 ともあれ、コンディションがそんな状態でもライカはアタックを辞めるつもりは毛頭なかった。


「作戦を練りに練ったが、実戦はこれが初めてだからな。通用するかどうか」

「不安?」

「いや。ワクワクしてる」

「……そういう奴だったわねあんたは」


 夢幻回廊のギミックについて、何度もギルドで話し合った。特にエミリオとは相当の時間をかけて議論を重ねた。「ライカにしては珍しいくらい慎重ですね」と言われたが、「ギルドメンバーの命を預かっているんだから当然だ」と応じたらそれきり何も言ってこなくなった。ライカ自身、気恥ずかしいことを言ったかなとは思う。

 証言と事象をもとに、ライカとエミリオはとある仮説を立てた。そしてそれをもとに夢幻回廊に風穴を開ける。サポートメンバーはほとんどをアジトに残していく。ジャスミンやルゥルゥも例外ではなかった。


「むしろ、そんな作戦で大丈夫なの? あんたたち二人だけでのアタックなんて」


 そう。今回夢幻回廊にはライカとエミリオの二人だけでアタックする。

 現実主義で毒舌なジャスミンでなくても、その作戦の無謀さに物申すだろう。だからこそだ。外見だけですべてを語れるとは限らない。ライカは緊張こそすれ、己を疑ってなどいなかった。


「ああ。内側は最小限でいい。数が多すぎると厄介だ。今回の作戦のキモは内側と外側の連携にある――ジャスミン、ルゥルゥ、くれぐれも見失わないでくれよ」

「あんたに発破かけられなくたって、役割の重要性は理解してる」


 ジャスミンは厳しい眼差しでライカを睨んだ。


「……あたしがいる限り、あんたたちの生体反応は見逃さない。よくわからないまま命を落とすなんて真似、絶対にさせないわ。だから」


 不自然な間が空く。ジャスミンの口が中途半端に開き、それからきゅっときつく閉じられた。それから鋭く息を吸って、普段の勝ち気な居住まいでライカたちに吐き捨てた。


「回廊で、せめてマシな夢を見なさい」


 ***


 かつて、父が語ってくれた。父はエリンダス王国ではない……いや、「この世界ではないどこか」から来たのだと。

 子供心をくすぐる話だった。まだ幼かった少年は王都でさえ散歩で出歩く範囲しか知らなかった。ちょっと街の外に出るだけで大冒険に思えたし、未知なるものに対する興味は人一倍あった。というのも父が語り聞かせてくれた物語がどれも面白そうに感じたからだ。この世界はエリンダス王国の外にも広がっている。だけど陸にも海にも空にもいつか果てはあって、その先に進むことはできないのだ。物理的に、とあのとき父は言っていた気がする。


 けれど。父はその世界のどこでもない、どこからも行けない、「異世界」からやってきたのだと言った。


 異世界とは何? 聞いてみるとここではないどこかなのだと言う。ここではないとはどこ? 王国の外のこと? それよりもずっと、ずっと遠いところから来たのだと父は言った。

 異世界にはどんなものがある? この世界と何が違う? 少年の興味は尽きず、父に異世界の話をしきりに迫った。


 父はたくさんのことを話してくれた。とにかく建物が密集している土地だったと。エリンダス王国の城よりもずっと高い長方形の建造物がたくさん並んでいる。道は人とが歩きやすいように平らに整備され、油を注ぐと動く様々な乗り物で道がないところも進むことができる。陸や海を進む乗り物はわかるが、空は魔法でないのならどんな乗り物で進むのだろう。父は金属でできた鳥を飛ばすんだと言っていた気がする。


 ――きっと父はこんな世界から来たのだろう。


「……は……」


 ライカは刹那、呼吸をすることを忘れた。目の前が急に開けた。意識を取り戻したと思ったら目の前には想像を絶する世界が広がっていたのだ。

 周囲を取り囲む長方形の建物の群れ。圧迫感すらあるそれたちの間を区分けするかのように整備された灰色の道路。白いラインが引かれているそこを、恐ろしいほどの数の人が整然と行き来している。そして、白いラインの向こう側には四輪の鋼鉄の箱が……それこそ数えきれないほど、想像を絶するスピードで走っていた。


「ここ、は……」


 とても黒い塔のたかだか一階層に収まる高さをしていない。真上を見れば背の高い建物よりも遥か上空に見慣れた青い空が広がっている。とても作り物には思えない。ライカは確信した。今ライカがいるこの場所こそが人々に幻を見せるフロア――夢幻回廊に足を踏み入れたのだ。

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