3. 為すべきこと
「僕、結構いい感じにお役目を果たせたと思うんですけど。ね、どうですか、お師匠さま」
師匠は借りた宿のベッドに地図を広げて何やら思案顔である。この地図の調達もシリルが師匠に頼まれた任務のひとつだ。他にもたくさん言われた指令をこなした。けれど師匠はシリルを褒めるどころか気にする素振りすら見せず、地図を睨んではぶつぶつと呟いている。
面白くない、と思うのは否定しない。シリルは単純な飼い犬だ。主人が与えた命令を忠実にこなすことだけに全力を注ぐ。犬だからできたら主人に報告するし、報酬だってもらいたい。エサでなくてもいい、頭を撫でたっていいのだ。村の人たちもすごく純朴だったからシリルを時に叱咤し時に激励した。田舎特有のコミュニティの中で、シリルは若いせいもあってか非常に可愛がられていた。
「ねえ、お師匠さま――」
「うるさいぞ小童。待てもろくにできんのか」
「待てって命令してもらえればできます。でもお師匠さま、ずっと喋らないから」
師匠はあからさまにめんどくさそうな顔をしたがシリルは微塵も気にしない。むしろ師匠がやっと自分を見てくれたことに喜びさえ感じていた。師匠は溜め息をひとつついた後「我がよいと言うまで黙って待っておれ」と命じた。シリルは嬉々とした表情で頷き、花の咲く笑顔を浮かべたまま師匠と地図を見つめていた。もしシリルが本物の犬だったら尻尾を千切れるほど振っていたに違いない。非常にやりにくい時間だったと後に師匠は語る。
「――よいか、シリル。貴様にもわかりやすく話してやろう」
やがて思索が終わったのだろう、師匠はゆっくりと地図から視線をあげてシリルに声を掛けた。声色には真剣な重みが混じっている。茶化してはいけない話だと、シリルはベッドの上で姿勢を正し座りなおした。
「貴様が街中走り回ったおかげで、この街の状況は把握することができた。憲兵どもが詰めている砦の内部資料なんぞよく短期間で手に入れたな? 正直その辺は素人のお前に期待なんぞしていなかったのだが」
「僕はお師匠さまの指令は全力でやり遂げるんですよ。それが僕のお役目ですからね」
シリルが得意げに胸を張る。
「砦の資料は憲兵の奥さんに協力してもらいました。僕のことすっごく気に入ってくれたみたいで、薬を盛るのも結構簡単にできたんですよ」
「……邪気溢れる所業を無邪気にこなせるのは貴様の長所、ということにしておこう」
師匠は見違えた自らの弟子を見やる。街に入る前の田舎者丸出しの芋臭い男はどこにもいない。都会の流行を押さえた洗練されたファッション、清潔に整えた白髪、そして前髪をあげたことで彼の愛嬌ある顔立ちがあらわになる。人懐っこい笑顔とシャープな輪郭。子どものようであり大人の男の部分も感じさせる、過渡期のアンビバレンスが彼を人間的に魅力的な男へと魅せていた。加えてこの残酷なまでの無垢な言動が人々から警戒心を奪う。
とんでもない拾い物をしたものだ、と師匠は薄く笑う。
「確かに物理攻撃や火炎魔法への耐性は一級品だ。加えて街をぐるりと囲む壁に傷がつくと一気に障壁魔法が発動すると来たか。これは壊すのに難儀するだろうなあ」
「とは言いつつ楽しそうですよ、お師匠さま」
「無論」
機密文書には防衛機構の発動条件や耐性、非常時に取るべき憲兵の行動がマニュアル化されている。これだけ読んでいればその守備の堅牢さに舌を巻くことであろう。傭兵まがいの冒険者程度の力量であれば太刀打ちできない。
「問題は我がどこで成るかだ」
「お師匠さまがやることは規模が大きいですからね。その間無防備だし。僕にデコピンされても気絶しちゃうんじゃないですか」
「我を愚弄するか小童め」
「あだっ」
トカゲにしては凶暴な爪がシリルの頬をひっかく。健康的な肌に三本の赤い線が浮かんだ。
「痛い、痛いですよ! お師匠さま言ってたじゃないですか、僕の顔は商売道具だから易く傷つけないようにって」
「もう貴様の仕事は終わったろう? ならば傷つけられても問題ないではないか」
「そうかもしれないですけど、痛いものは痛いんです」
僕はただの村民なんですから、とシリルが頬をさすりながら訴える。師匠は黙殺して話を続けた。
「我には我に相応しい舞台がある。人々が最も注目する場所で、大々的に我の存在を見せつけてやるのだ。それこそ……」
「砦ですね!」
師匠の言葉を遮って興奮した様子のシリルが言った。
「この街で一番高いところ。この街一番の象徴。お師匠さま、そういうの踏みにじるの大好きですもんね。高くて目立って、しかも憲兵がたくさん詰めてるお膝元でお師匠さまが大暴れしたら憲兵のプライドもかたなしです」
「…………」
「お師匠さま?」
「貴様の空気を読めないところは致命的な短所だな!」
「痛ッ⁉ なんですか急に、僕何か悪いことしましたか」
「無自覚なところが悪いッ」
「横暴!」
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