2. シリル・ホワイトの感動
シリル・ホワイトとはどういった青年なのか。
「すごい! 見てくださいお師匠さま、水が噴き出してます」
「噴水なんだから当たり前だろうがたわけ」
「お師匠さま、お師匠さま。このブティックってところはすごいですね、見たこともない服がたくさん……あ、この服破れてます。お店の人に言わないと」
「それはオシャレというやつだ。我のほうが詳しいとか人間としてどうかと思うぞ」
「お金を使ってものを買うっていうのが、僕は未だに慣れないです。食べ物も服も作れますからね。でもここで売っているものは、村では絶対に手に入らないものばっかりで、なんだか世界が広がったみたいです」
王国西方の山をそこそこ登ったところにあるフェルディア村出身の青年。年齢は十八歳。師匠と出会うまで村から街に降りた経験はほとんどなく、自給自足の生活に一切の不自由感を覚えずに今日まで生きてきた。趣味は空を眺めることと羊を追いかけること。真っ白い髪のせいか、村ではおじいちゃんだとからかわれることもしばしばあった。当人は微塵も気にしていないが。
村での生活に満足し、外の世界を渇望するわけでもなかった青年は、今、村を離れて師匠とともに旅をしている。
「どうですか、お師匠さま。店員さんにすすめられるままに買ってしまったんですけど」
宿屋でシングルの部屋を借り受け、姿見の前でシリルは気恥ずかしそうに問いかけた。「田舎者だと目立つから都会人っぽく洒落た装いにしてもらえ」と師匠から喝を入れられ、でも一人で解決できるはずもなく、着せ替え人形のように店員にあれやこれやを提案された。どれも今まで来たことのない服だったので似合っているかどうかの自信がないのだが、店員がいちいち褒めちぎっていたかららしく見えていると信じたい。
ついでにさっぱりしてしまえと師匠に床屋に連行され、髪も少し切ってもらった。通りを歩いたときに抜けていく風が爽やかに感じた。気がしなくもない。少なくとも頭は軽くなった。
師匠はシリルの周囲をぐるぐると飛び回り、頭から足元まで凝視している。
「まあ良いのではないか。少なくともダサすぎて浮くことはない。だがあの店員共の発言の八割はおべっかだからな、適当に聞き流しておけ」
「はあ」
「貴様は我の言うことに従えばよい。明日から本格的に動く。良いな、己の役割を忘れるな」
「はい、お師匠さま」
シリルはよどみない口調で頷いた。
***
翌朝、シリルは新調した服に身を包んで要塞都市を歩いていた。
この都市は主に西方の守護を担っているから詰めてる憲兵も多いし、街中でも普通に彼らとすれ違う。師匠いわく他の都市の三倍は超えているそうだ。街で売られているものも武器や防具の品ぞろえが他の街と比べて充実していて、逆に娯楽にあたるものは多少物足りなさを感じてしまうのだとか。シリルには比較材料がほとんどないから、師匠の話を聞いて感心することしかできなかった。それでもこの街は軍事施設ではない。一般人が住み、生きている。だから昨日立ち寄ったブティックにはオシャレな服がおいてあるし、床屋も本屋も花屋もある。そこがシリルには面白いと思えた。
(ここは、王国を守るための街だけど。普通の人が生きている街でもあるんだ)
そう思うとシリルの中には新鮮な感動が湧き上がってきた。人々の営みを日常と言い、防衛や戦闘を非日常だと呼ぶのなら。この街こそがまさしく「日常と非日常の交差する空間」なんだろうと。
「さて、小童。昨晩話した内容は覚えているな?」
「はい。お師匠さま」
「ならばさっそく動け。都会の人間は時間に縛られて動くものだ」
時間、という概念はシリルにとって難しいものだった。一日を区切るための呼称だというのは知っている。一刻ごとに色の名前がついていて、それで日の移ろいを感じるのだと。たとえば
師匠との使命を果たすには時間を最大限有効活用することが肝要だ、と口酸っぱく言われていた。半ば強引に持たされた腕時計もそのひとつ。最初は一日ごと追い立てられるような生活に窮屈さを感じていたけれど、何度か繰り返すうちに手の抜き方もわかってきた。時間を意識して取り組むのは師匠との約束だけでいい。それ以外は腕時計を外し、村でずっと空を眺めていたように寝て過ごしたっていいのだ。
腕時計の針は
「よしっ」
師匠から与えられた使命は大きくふたつ。それを夜までに終わらせる。一日で成果が出ないものもあるが、種まきだけは今日のうちに終わらせておく必要がある。シリルは両手で頬を挟み、大きめの歩幅で歩きだした。
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