3. 看板娘サシャの戸惑い
「六番テーブル、
この呼び方はどっちかといえば大衆「食堂」向きなのだ。サシャとしてもそっちの方が性分として合っている。きびきびと思い切り身体を動かして注文をさばいていくのは結構好きだった。記憶力もいい方だと思っている。だからお昼時の定食を次々に給仕していく時とかはトランス状態というかハイになって、多忙を極めながらも仕事を的確にこなせる自分に酔っていたりする。
ただ、溌溂とした動きが愛嬌になる昼間の食堂とは異なり、大衆酒場の時間になるとねっとりとした視線が自分に絡みついてくる。それだけがサシャの不得手としているところだった。
「マスター。あの、やっぱりこの格好どうにかなりません?」
短いスカートをぎゅうぎゅうと伸ばしても丈が改善されるわけではない。それでも無駄な抵抗をしてしまうのは、この制服がサシャにとって羞恥そのものであるからだ。カウンターから二種類のカクテルを受け取ったときに小声で相談してみたが、マスターは首を横に振るばかりだ。
「悪いなサシャ。お前を慰み物にするつもりはないが、こっちも商売なんでな。客寄せの効果があるなら利用するのが商人ってもんだ」
「うううう……」
「お前もこの格好のほうが何かと都合がいいと思うが。存外動きやすいだろ?」
「パンツスタイルの方が絶対動きやすいです」
呪いの言葉のように吐いてはみるものの、マスターが取り合う様子はない。残念ながらスカートとはいえ柔らかい素材でできているから意外と動きが制約されないのも、事実その通りではあった。
「そう言わずに、看板娘さん。六番に頼む」
「……ハイ」
サシャにとってマスターは恩人だ。行き倒れそうになっていたサシャを拾ってここに住み込みで働かせてくれている。無精髭に無愛想、客商売の仕事をする人とは思えないおじさんだが、酒場のマスターだからやっていけているのかもしれない。それに、サシャを拾うくらいだから根は優しくてお人よしなのだ。事実多くの転生者に世話を焼いてきた。だからサシャはマスターに強く言えない。
実害があるわけでもない。ただ、こういう女性らしい恰好が苦手というだけで。元々肌を晒すことは好きではなかったので、服を着るとしても丈の長いものばかり選んでいた。マスターの店で仕事をするようになってからは「看板娘」という触れ込みもあって、可愛らしい恰好をすることを求められた。そうやって着飾ることで一気に客足が増えるという。男とは単純な生き物だ。たまに物好きな女性も来店するけれど。
確かに、マスターの目論見はそのとおりだった。ただ、いざ露出を拒んできた自分がそれを身に着けるとなると、どうしようもない気恥ずかしさでいっぱいになる。
(こういう格好は、もっと可愛いのが似合う女の子がすればいいのに)
仕事は楽しいけれど、この格好だけが慣れない。ちくちくとした視線に耐えながらサシャは給仕を続けた。
***
「あの子、どうするんですか?」
閉店後、皿洗いをするマスターの背中にサシャはそう問いかけた。どんちゃん騒ぎの後は床やテーブルがとにかく汚れる。モップで床を自分の顔が映るくらい磨き上げるのがサシャのこだわりだ。
マスターはサシャの方を振り返らないが、代わりに低く唸った。
「どうするも、今までの転生者と同じだよ。新入りを求めてるギルドに目星をつけて送り出す、それだけさ」
転生者は大体冒険者として生きていく。そういう決まりがあるわけはないが、流浪の人間がなれる職業というのがたかが知れているのだ。何か傾向があるのかわからないが、転生者は冒険者という無謀な人間の集まりに強い興味を示す。聞くと魔物を倒したり一攫千金したり世界を救う英雄になりたいと言ったり、そういったことに使命感というか憧れを抱いているらしい。冒険者という仕事が彼らの世界にはなかった、というのも一因に思える。
「冒険者なんて……死ぬかもしれない危険な仕事なのに」
「それにロマンを感じるって言うんだから、あいつら前世はギャンブラーなのかもしれねぇ」
マスターは乾いた笑いを響かせた。洗い場の水音は止まない。
「確かに、今までの転生者には魔物退治に秀でた能力を持つ人もいましたから、そういう星のめぐりあわせなんでしょうか」
「どうだか」
マスターの返事は素っ気ない。サシャは部屋に置いてきた少年の姿を思い返していた。麻の上下に身を包んだ、どことなく頼りなさそうな彼。サシャを引き留めて何か言おうとしていたけど結局口を噤んでしまったし、あまり我の強いタイプには見えなかった。貪欲でない冒険者は死ぬ。命にがめつく、しがみつけるほどでなければ。
「心配か?」
「え」
「手、止まってるぞ」
言われてサシャは慌ててモップを動かし始めた。水音は流れたままだしこちらを振り返った素振りもない。ただ、サシャのことはマスターはなんでもお見通しな気がする。そこまでわかっているのなら、この制服をサシャが快く思っていないこともわかっているだろうに。
「お前を守るためなんだ」
わかってくれ、とマスターが囁く。水音に呑まれそうでも心配ない、確かにその親心はサシャに届いた。普段あんなにぶっきらぼうな人にそんな不器用な優しい言葉をかけられたら、もう何も言えないではないか。
「……わかってます」
だからサシャも、応えるしかない。これは自分のためなのだと。
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