キミの欲しかったモノは何ですか?

るつぺる

キミの欲しかったモノは何ですか?

 夕暮れ染まる平野に鉄の棺の中で彼は眠った。戦禍の都市部から遠く離れたその地には草木を除けば何も残らないほど長閑で、そこに佇む不動の機械は異質ながらも周りの情景に飲み込まれてか穏やかに映った。

 操縦席から取り出された彼は額から血を流し体中に傷を作っていた。見開かれた目を私は忘れない。何か、その先にある何かを見つめるような眼差しだけはまだ生きているような気がした。

「合コン行こ合コン!」

「なぜそうなる」

「だってヨリここのところ働き詰めじゃん? たまには気晴らしにさ! ね?」

「その仕事が明日以降も山積みなの。悲しい話だけど案件は待ってくれない。今の情勢じゃ戦死者は増える一方。そんな中で浮かれて男女交流なんて気になんないよ」

「現実見過ぎだよヨリは。そりゃ国防のために戦ってる諸君には同情するよ。だけど私らには私らの人生があんじゃん?」

「とにかく、ごめんだけど私はパス。じゃあ切るよ。明日も早いから」

「ヨリ」

「まだ何か?」

「ナギのことまだ」

「……」

「ごめん」

「なんでミナが気にするのよ。カンケーない。アイツはもう死んだ。どんだけ祈ってもかえってこない。もう五年。流石にあきらめました」

「なら、いいんだけど。ごめんね。また誘うから! 次は覚悟しとけよ! エエ男揃えちゃるから!」

「ハイハイじゃあね。うん。ありがとう」

 電話を切ってから窓の外を見た。この国がどうしようもない悲しみを背負っているなんて街は語らない。ただただありふれた日常を繰り返し映し続ける。それもこれも戦地に赴く軍人たちが成果を上げた証明だったりする。平和を維持するために戦わざるを得ない愚かな生き物。ナギもそうだった。

 ナギと出会ったのは大学生の頃だった。お互い医学の道を志す者として時に助け合い、時にいがみ合うような、それが当たり前に出来ていた頃を私は今でも幸せと呼ぶ。何もかもが愉快でくだらないことが笑いの種だった日々。それでも一歩先では誰かが戦争をやっていた。この国は徴兵制を敷いていて、ある年齢に達した成人男子を軍人として戦地に派遣する。ただナギの場合は志願だった。まだ医者の卵でさえない私達の通う医学部にも戦死者の遺体を目の当たりにする機会は多く、それは経験者でなければ分かり得ない苦痛のようなものがあった。この国で医療に従事するということはそういうことなのだ。ナギは感受性の強い男の子だった。くる日もくる日も運び込まれる負傷者や遺体の対応に学生も回されるようなひどい時期で彼の心は壊れかけていた。彼が発露する悲しみを一番近くで見ていた私は慰めの言葉をかけてみるけれど本質的に彼を癒すことは出来なかった。そしてナギは軍部に志願を提出した。私は反対した。義務ならまだしもわざわざ志願するなんて死にに行くようなものだと医学生である彼ならよく理解していると私は思っていた。いよいよ彼が壊れてしまった、私はそう感じた。志願した医療部隊は比較的安全圏に配置される、そうとは知っていても一〇〇パーセントの保証なんてものはない。私はナギが出兵する日まで反対し続けた。

 それから一年が過ぎ、私は国家試験に合格し、セントラルの病院へ配属が決まった。両親、兄弟、友人、誰もが私の努力を祝ってくれたけれどそこにナギはいなかった。その三日後、ナギの訃報が私にも通達された。私はナギが死んだ場所の検証写真に何枚か目を通した。彼は機械兵の操縦席で絶命した。場所を考えれば息絶え絶えに戦地から離脱を試みた途中で亡くなったとのことだった。ナギの遺体は開眼したまま何かを見据えるようにしていた。私は彼と目が合ったようでそれで無性に悔しくなった。医療部隊に志願したはずのナギが操縦席で死んだ。ない話ではない。戦力の問題で非戦闘員であっても派遣され戦闘に参加する場合がある。それも覚悟のうえなのだ。ただ私は最後に約束した。どうあっても戦闘に参加しなきゃならない場面に遭遇したらその時は逃げてと。ナギは苦笑いしながらも頷いた。ナギは戦った。国のために。どうして。誰が死んだって私には関係ない。ナギさえ生きてくれたなら私はこんな国滅んだって構わない。毎日そう思った。どうして、約束やぶっちゃったの。彼は答えなかった。私は配属先の病院に辞退を申し入れ検死官の道へ進んだ。今の職場には毎日遺体が運ばれてくる。まるで学生の頃の、彼がまだ生きていた日のように。私はミナに言った言葉とは裏腹で過去に囚われていた。

 自宅のマンションのポストに投函された封筒。差出人は「末原ナギ」になっていた。嫌がらせならこんなひどい仕打ちがあるだろうか。私は封筒のままそれを捨てた。しばらくしてそれはまた届いた。うんざりしたが犯人を突き止めてやろうと次は開封した。

樫咲ヨリ様

貴女にお伝えしたいことがあります。

キチジョージのヘリアントスというカフェの二階、最奥の席でお待ちしております。

 手紙にはそう綴られていた。

「はじめまして」

 私はうんもすんもなく指定の場所に座っていた男の頬をぶった。幸い他に客はおらず殊更騒ぎにはならなかった。

「あなた誰! どういうつもりなの!」

「すみません。本当にすみませんでした」

 男は謝罪すると泣き出した。

「末原さんの名を出せば反応してくれると。決して悪意があったわけじゃないんです。やり方は良くなかったと反省してます」

「何が目的なの。ナギとはどういう関係」

「私は松尾カンイチと言います。末原さんとは戦地で知り合いました。あそこでは五十音順で大まかな配置が行われるので末原さんとも親しくなりました」

「そうですか。それで」

「貴女に伝えておかねばならないことがあります。あの日、末原さんが亡くなられた日、あの機械兵に乗るのは私の予定でした。しかしながら私は国に妻子を残しておる身で恥ずかしながら躊躇してしまい、末原さんは私の事情を知っていましたので代わりを買って出てくれたのです。私は気持ちだけで充分だと彼に伝えました。私も貴女とのことを彼から聞かされていましたから彼が頑なに戦線には出ないように立ち回っていたことも理解していました。でも彼は行ってしまった。景気づけだと渡してくれた酒には睡眠薬が入っていました。ですが私はどこかでそれを期待していたのかもしれません。私は情けなくも助かったと思ってしまった。兵役も満了に近かったのでここをやり過ごせればと。そして彼が亡くなったと聞いて私は酷く後悔しました。何度も死のうと思った。自分が惨めで醜い身勝手な人間だと責め続けた。でも死ねなかった。妻や娘の顔を見るとまだ死ねないと。本当に申し訳ありませんでした」

「あなたに謝っていただいてもナギは帰ってきません。申し訳ないですが私はあなたさえ死んでくれていたらと思ってしまいます。無意味だと そん な こと思っ ても仕方ないと分かってても」

「樫咲さん。彼は貴女との約束を最期まで守り通しました」

「……どういう意味ですか」

「軍部に回収された機械兵を調べたところ装備していた弾薬は一切使用されていませんでした。彼はあの地で力尽きるまで自分からは戦いませんでした。彼は逃れようとした。あの平野の先に何があるかご存知ですか」

 私は松尾の質問に答えられなかった。知らないというのは勿論、言葉を紡げるような感情ではなかった。

「もう誰も使わなくなった教会です。戦況が厳しくなる前は式場としても利用されてました。私は彼に私達夫婦がそこで結婚式を挙げたことを話していました。彼はきっと……きっと貴女のことを最期に……本当に、すびばせん」

 そんなこと誰にももう分からない。ねえナギ? そうなの? あなたが最後に見つめていたのは誰?


「もしもしミナ?」

「どったの急に?」

「あのさ……あのね」

「……この前の合コン最悪だったわー。顔は良かったんだけどそれを鼻にかけてるやつばっかでさー。あそこはヨリ様のキレッキレの本音でビシッと成敗してもらわないと! だからさ、今度は頼むよ。頑張った。ヨリはよく頑張ったよ」

「うん……うん」


 何も変わらない。彼が生きてた頃もそれからも。一日があってそれが過ぎてまた一日が始まって。そんな中でほんの些細な出来事で優しくなれたり悲しくなったりする私達だ。何も変えられなくても諦めない私達だ。


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