第63話 頼みますよ、4番!

 追加点が望めないのを、チーム全員がなんとなく理解していた。こうなったら、今ある2点を守りきるしかない。まるで合言葉のように「しっかり守ろう」と全員で言い合いながら、4回裏の守備につく。


 1回戦も最少失点で完投している相沢武はさすがで、相手高校へなかなか付け入る隙を与えない。


 両軍ともにランナーすら出せないまま、5回も終了する。


 6回表の攻撃は、1番の田辺誠からという好打順に再び恵まれる。3回にはチャンスすら作れなかったので、今度こそなんとかしようと気持ちがチーム全体に充満している。


 普段なら豪快な長打を放って恰好をつけたがる田辺誠でさえも、バットを短く持ってミートに徹しようとしている。相手投手のボールをじっくり見極めながら、ストライクだと判断した直後にスイングをする。遅れ気味にバットがボールへぶつかるものの、空振りをする確率はぐっと減った。粘りに粘って、四球でもいいから出塁しようとしてるのがわかる。


 それは相手バッテリーもお見通しだった。待ちに徹するのであれば、攻めさせてもらうとばかりに、どんどんストライクコースで勝負をしてくる。最後は落ちるカーブで粘る田辺誠を三振に仕留めた。


 力なく戻ってくる1番バッターに、主将の土原玲二が「ナイス粘り!」と賛辞を贈る。嫌味や皮肉などではなく、単純に相手投手へ球数を放らせたのを褒めているのだ。


 田辺誠に代わって2番の港達也が打席に入り、3番の相沢武がネクストバッターズサークルで準備をする。両者ともに気合の入った顔で、対戦中の投手を睨みつける。少しでもプレッシャーを感じてくれれば儲けものだったが、残念ながらさほど効果はなかった。


 淡々と自分のピッチングを披露しては、文字どおりあっという間に港達也を追い込んでしまう。後がなくなれば際どいコースに手を出すしかなく、2者連続でカーブに空振りさせられる。積み重ねられたアウトが2つになり、クリーンナップの相沢武がバットを片手に打席へ進む。


 ベンチへ戻ってきた港達也に拍手を送りながら、主将の土原玲二が淳吾へ話しかけてくる。


「上位打線から始まるというのもあって、いよいよこのイニングから全打者にカーブも投げるようになったな」


「ああ」と淳吾は頷く。


「あの投手の決め球はてっきり速度のあるスライダーだとばかり思っていたが、どうやら得意なのはカーブみたいだな」


「曲がるというより、落ちる感じで相当に打ち難いのは確かだな。俺じゃ――」


「――なきゃ無理って言いたいのか。さすが仮谷だな」


 台詞を途中で遮られた淳吾が「違う」と否定しようとしたところ、それを察した土原玲二が他の部員に見えないように人差し指を使って、言うなというジェスチャーをした。何事かとは思ったが、とりあえず相手に指示されたとおりに口を閉じておく。すると相沢武の応援にナインが夢中になってるのを確認してから、事情を説明してくれる。


「4番はチームの主軸だ。そいつが弱気な発言をしたら、士気に関わる。もっと、どしっと構えていてくれ」


 そう言われたところで、淳吾は初心者も同然なのだ。まぐれがたまたま2回続いただけで、実際の能力は先ほどの打席で喫した三振が教えてくれている。仕方ないなという感じの態度を取ってはいても、心の中には焦りと不安しか存在していなかった。こうなれば相沢武に期待をするしかないが、やはりカーブとストレートの緩急をつかったコンビネーションに苦しみ、ショートゴロで打席を終えてしまう。


「あいつ、尻上がりに調子を上げるタイプのピッチャーだぜ。初回に2点取っておいてよかったな」


 ベンチへ戻ってくるなり、凡退したばかりの相沢武が淳吾や土原玲二にそう言ってきた。グラブを渡そうとする栗本加奈子も、いつもみたいにからかったりしない。試合状況がどんどん緊迫してきてるのを、ベンチで見ていて理解しているのだ。


「……勝てるよね?」


 尋ねられた相沢武が、普段どおりの小ばかにしたような感じで栗本加奈子に「当たり前だ」と答えた。


   *


 6回裏になって、相手ベンチが作戦を変えてくる。相沢武に正攻法で挑むのではなく、球数を投げさせることで体力を奪おうとする。表の攻撃で、田辺誠や港達也がやろうとしたことをそのまま実行してきたのだ。しかしこちらは出塁よりも、球数の増加を目的としていた。部員数が少ないベンチを見て、控え投手は多くないと判断したのだろう。男らしいかどうかを気にしなければ、実に効果的な戦法だった。


 野手陣のレベルも私立群雲学園よりはずっと上なだけに、相沢武の投げるボールにもなんとかついてくる。ヒットを打つのは難しくても、ファールならなんとかという感じだった。


 ファールを打つのがヒットより簡単かといえば、必ずしもそうではない。際どいコースに来た球をカットするにしても、相応の技術が必要になる。待ちすぎれば見逃しでストライクを取られるし、カットしようと考えてる分だけボール球にも手をだしやすくなる。


 相沢武と土原玲二は実に息の合ったバッテリーだ。しかし、互いに中学時代は試合に出場できていないため、実戦経験が乏しいのは他の部員と同じだった。球数を放らせるだけの作戦を実行されてるとわかっていても、どうすれば回避ができるのかを瞬時に判断できないでいた。最終的には全力で投げて、カットをさせずに三者三振でこの回を終わらせる。


 結果だけみれば最高で、応援席も拍手喝采だ。しかし相沢武は、このイニングだけで30を超える球数を投げさせられてしまった。


 いかに相沢武に体力があろうとも、あんな戦法を9回まで続けられたらさすがにバテる。そうなれば私立群雲学園は、控え投手の伊藤和明をマウンドへ送らなければいけなくなる。


 彼の頑張りや努力を否定するつもりはないが、誰の目から見ても相沢の方が上の実力を持ってるのは明らかだった。


 現状を打破するために必要なのは何かと考えれば、ひとつしか思い浮かばない。追加点だ。さらに点差が開けば、対戦高校も悠長な作戦をとっていられなくなる。なんとかこの7回表でもう1点を取りたい。そんなふうに思いながら、淳吾は3回目の打席に入る。


 先ほどの打席で相手投手の変化球は見せてもらった。2種類のスライダーを狙っても、どちらを投げられたのかはっきりわからないと対応が遅れる。三振を取られたカーブに関しては、今の実力ではとても打てる気がしない。となれば結論はただひとつ。淳吾はあくまで、ストレートを狙うしかないのだ。


 バットを構え、普段と同じようにタイミングを取る。しかしここで淳吾はあえて、わざと遅めにバッティングフォームを始動させた。カーブを狙ってると言わんばかりに大振りをして、2球目にストレートを投げさせたいという思惑があった。


 相手投手は、初球からカーブを投げてきた。山なりに向かって落ちてくるボールはストレートほど速くなくとも、打ち辛い軌道を描く。だからこそ、凡打をさせられる。


 何にしても、遅いタイミングを取っていた淳吾は、体勢を崩されることなくカーブを待てた。だが狙っていたのは、あくまでストレート。一瞬だけ振ろうかどうか迷ったあとに、淳吾は両手に持っていた金属バットを一閃させる。


 勢い余ってスイング後に打席から出た右足が、ホームベース付近に着地する。両手にはカーブを打った手応えが残っている。視線の先には、ファールのポーズを取っている1塁審がいた。一瞬だったにもかかわらず、打席内で抱いた迷いがせっかくの打球をファールにしてしまった。


   *


 奇跡みたいな展開で手に入れたチャンスを、みすみすふいにする自分自身に腹が立った。いっそバットに頭突きでもしてやろうかと思ったが、何故か私立群雲学園のベンチは大盛り上がりだった。


「凄い! あのカーブをきちんと打ったよ。さすが仮谷君だね!」


「頼みますよ、4番!」


 伊藤和明と港達也が手を叩きながら、声援を送ってくれる。これまで誰もジャストミートできなかったカーブを、ファールとはいえライナー性の打球を飛ばした淳吾に大きな期待を寄せているのがわかった。応援されるのは嫌いではないが、実力以上のものを求められても困る。


 待ち球がピタリと当たる回数なんて、そう多くはない。そのうちの1回をミスショットしてしまったのだから、この打席で淳吾が結果を残せる可能性は限りなく低くなった。だからといって、諦めていたら恰好悪いだけだ。先ほどの1球はなかったものと考え、当初の予定どおりに2球目からはストレートに狙いを絞る。


 吹奏楽部の応援も盛り上がる中、相手投手が淳吾に2球目を投じる。カーブはないと判断していただけに、2球続けて同じ変化球が来たのは驚いた。手を出せないままに見送ったあとは、コースがボールに外れてくれるのを祈るだけだったが、無情にも審判の口からストライクのコールの発せられた。これでツーナッシングになる。


 よくよく簡単に追い込まれるものだなと内心で苦笑しながら、淳吾は次の球について考える。今回は恐らく3球勝負をしてこないだろう。恐らくは低めに外れる変化球。もしかすれば、もう1球カーブを続けるかもしれない。そう判断して3球目に臨むと、予想どおりにカーブが来た。ボールゾーンを通過するのを見届けて、ツーストライク、ワンボールにする。状況はまだまだ淳吾が不利だった。


 追い込まれてるからといって狙い球は変えない。迷ったりもしない。そんな真似をすれば打席の中で収集がつかなくなり、何もできないまま終わってしまうのがわかっていた。これも、安田学との勝負で学んだことだった。


 4球目に投じられたボールは山なりの角度を描かず、真っ直ぐにこちらへ向かってくる。狙っていたストレートが来たと判断し、バットのグリップを握ってる両手に力を込める。このチャンスを絶対に逃すな。自分に言い聞かせながら、バットを振りにいった直後、ストレートだと思っていたボールが急激に変化をした。


 しまったと思った時には、もう遅かった。カットボール気味の曲りの少ないスライダーに詰まらされ、力ないサードゴロを打つのがやっとだった。両手に強い痺れが残る中、全力で1塁へ走るものの、セーフになるはずがなかった。この打席も凡退してしまった淳吾は、ふうとため息をつきながらナインが待つベンチへ戻る。


「最後はストレート狙いを見透かされたな」


「……悪い」


 相沢武に謝った直後、伊藤和明が真っ赤な顔で「謝る必要はないよ」と言ってきた。


「仮谷君が全力でやってるのはわかってるし、そもそも最初の1点を取ってくれたじゃないか」


「そのとおり。仮谷君の成績で謝らないと駄目なら、俺たちは大変なことになる」


 伊藤和明の台詞に同調したのは、普段から彼と仲の良い春日修平だった。他の部員たちも、そのとおりだというように頷いている。皆の気持ちはありがたかったが、それだけに申し訳ない気持ちにもなる。淳吾にきちんとした実力があれば、もっと喜ばせてやれるのにと強く思う。


「そういうことだから、凡打したあとは玲二を応援してやろうぜ。あいつも打力はなかなかだからな」


 相沢武に促されて淳吾も声を出して応援する。しかしこの回も結局は三者凡退に終わる。2点リードをしているはずなのに、私立群雲学園のベンチは重苦しくなるばかり、一方の対戦相手のベンチは、これから追いつけるぞといった雰囲気に包まれている。たった1点の追加点がとれないだけで、こうまで精神的に追い詰められるものなのか。野球の怖さを、淳吾は改めて思い知らされたような気がした。

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