第57話 似た者夫婦め

 また、相沢武か。近づいてくる足音を聞きながら、恋人女性手作りのお弁当を食べている淳吾はため息をついた。


 多少ウンザリした感じで接近してくる人物を確かめると、そこにいたのは野球部のエースではなくて主将の方――つまりは玲菜の弟の土原玲二だった。


 基本的に彼はシスターコンプレックスではないため、普段は実姉や淳吾の邪魔をしないように気遣ってくれる。にもかかわらず、わざわざ中庭にやってきたのだから、相応の理由があるはずだ。


「せっかくのところ、邪魔をしてすまないな」


 淳吾の心情を理解したのか、土原玲二は本当に申し訳なさそうな笑みを浮かべた。それを見て、よほど大事な用があるのだろうと判断する。


「どうかしたのか」淳吾が尋ねる。


「ああ……少し邪魔させてもらうよ」


 言いながら土原玲二は、こちらの返答を待たずに腰を下ろした。実姉の土原玲菜は普段と変わらない表情で、その様子を見守っていた。


 すでに昼飯を食べ終えたのか、土原玲二はパンなどの食料を何ひとつ所持していなかった。何か食べる? と言いたげに土原玲菜が自分の弁当箱を差し出すと、彼は苦笑しながら「もう部室で食ってきたよ」と右手で姉の動きを制した。


 昼食後すぐ、休みも取らずに中庭へやってきた。ここに淳吾と土原玲菜がいるのはわかっている。用件もなしに絡んでくる相沢武などとは違い、きちんとした理由があるはずだ。何だろうと考えるだけで緊張する。


 それがわかったからなのか、土原玲二はこちらを安心させるように「そう構えないでくれ」と笑った。


「悪い話というわけじゃないんだ。実は野球部の皆でミーティングを兼ねながら、ついさっきまで部室で一緒に昼飯を食べてたんだよ。そうしたら、ほぼ全員が、明日の試合に仮谷が出てくれるのかと心配してるんだ。そこで、お邪魔だとは思ったが、こうして直接確かめに来たんだよ」


 なるほどと淳吾は頷く。


 先日もなんとか出場はしたけれど、ほとんど強引に出させられたようなものだ。下手をしたら淳吾が怒っていて、次の試合はベンチにすら入ってもらえないのではないかと、心配したくなる気持ちもわかる。逆の立場だったなら、間違いなく淳吾もそういった可能性を危惧しているからだ。


 どうしようかと悩んでいたら、淳吾が口を開く前に、隣に座ってまだ自分の弁当を食べていた土原玲菜が「大丈夫よ」と応じた。


「淳吾なら必ず出場してくれるわ。私、信じてる」


 信頼という光で輝く瞳を向けられると、とても嫌だとは言えなくなる。それに昨日までとは違い、代打とはいえ、実際に試合へ出場して結果を残せた事実も淳吾の気を大きくさせていた。流れに身を任せて「もちろんだ!」と叫びたくなるも、なんとか喉元まで出かかっていた声を堪える。これまでの人生で何度となく、そうやって調子に乗っては失敗してきたからだ。


「いや、俺は……」


「そうか! 俺も仮谷なら、そう言ってくれると思ってたんだ」


 淳吾が土原玲菜の言葉を訂正しようとした矢先に、土原玲二が大きな声でこちらの台詞を潰す。そのまま一気に「ありがとう!」とお礼まで言った挙句に、さっさと立ち去るべく腰を上げる。


 狼狽した淳吾が「お、おい……」と手を伸ばして引き留めようとするも、土原玲二は見えないと言わんばかりに背を向ける。


「じゃあ、放課後にグラウンドで待ってるからな」


 最後に一度だけこちらを振り向いてそう告げると、淳吾の返事も待たずに猛ダッシュでこの場から去ってしまう。残された淳吾は、呆然と空中に佇んでいた右腕を下ろすと、油の切れた機械みたいな動きでもくもくとお弁当を食べている恋人女性を見た。


「……もしかして、打ち合わせとかしてないよね」


「……何のことかしら?」


 何を言われてるのか、彼女は本当にわからないみたいだった。なのにあれだけ息の合ったコンビネーションを披露されると、やっぱり姉弟は凄いな、なんて思ってしまう。感心するのと引き換えに、授業が終わったら野球部のグラウンドへ行くはめになってしまったが、仕方ないと割り切って淳吾はため息をつく。なるようになれの精神でいくしかなかった。


   *


 放課後になると、同じクラスに所属している栗本加奈子がすぐに淳吾の側へ駆け寄ってきた。野球部のマネージャーでもあるだけに、昼休み中の土原玲二とのやりとりもすでに知っているみたいだった。にこにこ笑顔で「さあ、行こう」なんて言ってくる。


 意地悪く「どこへ?」と聞いたりしたら、きっと教室内で大騒ぎをするに決まってる。そこへ栗本加奈子の声を聞きつけた相沢武が、ここぞとばかりに参戦してくる。これまでの経験からして、かなりの高確率でそういった展開になるはずだった。せっかく英雄扱いされて学園中から賞賛してもらってるだけに、下手な騒ぎを起こして評価を下げるのは避けたかった。


 仕方なしに野球部のグラウンドへ行くのを承諾し、淳吾は栗本加奈子と一緒に教室を出る。今日はまだ土原玲菜が迎えに来てなかったみたいなので、そのまま先に野球部の部室へと向かう。彼女なら、教室に淳吾がいないとわかれば、すぐに追ってくるだろう。放課後云々の話は土原玲菜も聞いているのだから。


「あっ! 仮谷君、お疲れ様っ!」


 部室に姿を現した淳吾を見るなり、よく懐いてる犬のごとく近づいてきたのは伊藤和明だった。相沢武とはタイプが違うものの、彼もまた何かとまとわりついてくる。話せばわかるのでさほど迷惑に思っていないが、やり辛さはある。


「和明、よかったな。憧れの仮谷君が来てくれて」


 からかうようにそう言ったのは、普段から伊藤和明と仲が良い春日修平だった。部室にいることからわかるように、彼もまた野球部員で、ポジションはファースト。少し強面なのだが、性格は優しいのだと以前に教えてもらった覚えがある。


 例え同性であっても、憧れてると言われれば悪い気はしない。得意げに「頑張れよ」と言いたくなる気持ちを抑えつつ、淳吾は土原玲二の姿を探す。野球部の主将はすでに練習用のユニフォームへ着替え終わっており、にやにやしながらこちらを見ていた。少しだけイラっときたので、わざと強めの口調で用件を尋ねる。


「呼ばれたから来たぞ。それで俺に何をさせるつもりなんだ。まさか練習しろとか言わないよな?」


 淳吾が野球部へ入る条件として、前に練習や試合に参加しないというのを相手に承諾させている。なので練習は嫌だと言えば、いくら野球部の主将でも強制できないのだ。


「何言ってんのよ。次の試合まで時間がないんだから、仮谷っちだって練習しといた方がいいに決まってんじゃん」


「確かにそうだけど、あくまで俺は――って……栗本……さん? どうしてここにいるのかな?」


「どうしてって……当たり前じゃん。だってアタシはマネージャーだよ。部外者じゃないんだから、いたっていいじゃん!」


「まあ、そうだよな。ただ……男子部員が着替え中じゃなければだけど」


 土原玲二は着替え終わっているが、まだ着替え中の部員もいる。そうした連中は驚きのあまり途中で手を止めて、信じられないような顔つきでマネージャーの栗本加奈子を見ている。


「減るもんじゃないからいいじゃん、別に」


 自身のミスを認めようとしない栗本加奈子に、淳吾は「なら、ここで着替える?」と意地悪く聞いた。


「わ、わかったわよ。すぐ出てくってば。その代わり、仮谷っちもきちんとグラウンドに来なさいよ!」


「はいはい……って、ちょっと待て!」


 立ち去り際にニヤっとした栗本加奈子の態度で、ようやく自分がどんな言葉に返事をしたのかに気づく。


 訂正しようとしても、すでに彼女の姿はない。なし崩し的に、練習への参加が決定した。


   *


 練習用のユニフォームを淳吾は持ってないので、体育の授業で使うジャージを身に着けての練習参加となった。それでも入部の際の条件を土原玲二に再認識させて、積極的な活動はせずに黙ってベンチに座っている。グラウンドでは各部員が懸命に練習をし、その様子を結構な数の学生たちが見学している。どうやら先日の試合勝利によって、野球部へ興味を持った人間が増えているみたいだ。


 これでますます、迂闊に練習へ参加してボロを出すわけにはいかなくなった。内心で冷や汗をだらだらかいている淳吾のもとに、覗き魔ことマネージャーの栗本加奈子がやってくる。


「今日はいい天気だよ。仮谷っちも汗を流してみたら?」


「暑いから遠慮しとく」


「彼女さんだって見に来てるし、恰好いい姿を披露したら、キャー、素敵ィ! なんてことになるかもよ」


 言われて初めて気づいたが、確かに見学者の中には土原玲菜の姿もあった。淳吾がベンチで座ってるのがわかると、軽く微笑んで控えめに手を振ってくれる。


 せっかく格好いいと褒められてるのに、練習でボロを出したりしたら、昨日の試合での奇跡がすべて無駄になってしまう。適当な理由をつけて、早めに練習から離脱させてもらおう。そんな邪な願望を抱いていると、突然に背後から声をかけられる。誰だと正体を確認すると、そこにはブルペンで投球練習を終えた相沢武が立っていた。


「ギャラリーも来てるんだし、少しくらいは体を動かそうぜ」


 ついさっき聞かされたのと大差ない台詞を言われ、やや大げさなくらいにため息をついてみせる。


「お前もそれか。似た者夫婦め」


 聞こえないように呟いたつもりだったが、2人ともに聞かれてしまった。相沢武と栗本加奈子は同時に淳吾へ詰めよってきて「誰が夫婦だ!」と、息ピッタリに叫んだ。


「タイミングもバッチリだな。とてもお似合いだと思うぞ」


「冗談じゃないんだけど! アタシのタイプは玲二君なの!」


 好きな人には君付け。嫌いな人間は呼び捨て。どうでもいいその他一同は、名前の最後に「っち」をつけて呼ぶのか。変なところで感心する淳吾の前で、相沢武と栗本加奈子がいつもどおりにぎゃんぎゃんと言い争いをしている。


「練習に参加しない俺がいても仕方ないから、邪魔にならないように帰らせてもらおうかな」


 口喧嘩に夢中でこちらの様子など目に入ってないだろうと判断して喋ったのだが、淳吾の予想は大きく外れる。相沢武と栗本加奈子が抜群のコンビネーションで、素早く帰り道を塞いだからだ。先ほどまでのやりとりは何だったのかというくらい、迅速で的確な行動だった。


「わかった。そこまで言うのなら、俺と勝負だ。それに勝ったら、帰ってもいい!」


「断る。俺は練習に参加しなくていいというから入部したんだ。いつ帰るのも自由なはずだ」


「ま、待てっ! そ、それなら、1球勝負でどうだ。それが終わったら帰ってもいい!」


「だから、断るって言ってるだろ」


 なおも食い下がろうとする相沢武を無視していると、今度は栗本加奈子が淳吾の前に立ち塞がる。


「どうしても帰るって言うなら、この場で仮谷っちに乱暴されたって言っちゃうよ!」


「……確かにそんな真似をされたら困る。でも……ダメージはそっちの方が大きくないか?」


 淳吾の言葉に、栗本加奈子が「え?」と不思議そうにきょとんとする。


「だってそうだろ。部員がマネージャー相手に暴行したとなったら大問題だ。野球部、潰れるよ?」


「あ……ああっ!」


 今気づきましたとばかりに、栗本加奈子が狼狽しまくる。これで2人とも撃退できたので、あとは悠々とひとりで帰るだけだ。

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