第41話 じゃあ、明日もお願いしますね

 ゲームとは違って、いきなり打撃レベルが上昇したりはしない。それでも、対戦してきた打席から得られたものは、淳吾にとても大きな自信を与えてくれた。


 ついさっきはせっかくのチャンスを逃したせいで我を忘れてしまったが、それもひとつの勉強。再びあのようなケースに遭遇しても、今度は自分をきちんとコントロールできそうな気がする。


 勝負事は実力よりも、その人間の精神状況が左右するのかもしれない。どんなに圧倒的な投手力を持つ相手でも冷静さを欠いていれば、制球を乱してど真ん中に投げてしまう可能性が出てくる。そうなれば、実力が数段下の打者にも打たれる。


 より冷静に、より客観的に自分の姿を想像する。どうすれば効果的なバッティングができるのかを考える。言葉にすれば簡単だが、これほどの難題はそうそう存在しない。だとしても、淳吾には挑戦するしかなかった。


 人から期待されて、持ち上げられるうちにチヤホヤされる快感を覚えた。初めてできた恋人の存在に浮かれまくった。そのせいで周囲の勘違いを強く指摘できず、結果として誤解を招いたままになっている。


 自業自得の展開かもしれないが、今はもう後悔をしていなかった。調子に乗るのも淳吾の特徴であり、そこから生まれた結果なら受け止めるしかない。そう考えて以降、心がスっと軽くなった。


 お調子者がお調子者らしくあるために、淳吾は隠れて努力するという道を選んだ。身近な人間には頼れない。光なしで夜道をさ迷うような感覚だった。


 動機が不純でも、頑張ってれば良いことがある。通い始めたバッティングセンターで、小笠原茜と知り合った。彼女のおかげで、硬式の草野球チームに参加できた。人との不思議な縁を実感できたからこそ、これまでよりもさらに頑張ろうと決めた。


 淳吾が高校で野球の実力を勘違いされ、相沢武らと知りあったのも大事な縁だと考えるようになったからだ。自分を変えるのが難しいのなら、お調子者のままで問題を解決してやろう。強い決意で今日までやってきた。


 安田学との対戦、それも最後の1球になるかもしれない場面で、そういうことを思い出してる自分が不思議だった。まるで走馬灯のようじゃないかと心の中で苦笑しつつ、相手の投球フォームにタイミングを合わせる。


 マウンド上の安田学が投球動作を開始すれば、余計な思考も消える。ただひたすらに集中しなければ、バットにボールを当てるのすら難しいのは十分すぎるほど実感できていた。


 打てるものなら打ってみろ。マウンドで腕を振る安田学から、そんな雰囲気が伝わってくる。言葉で話されてるわけじゃないのに、なんだか不思議だった。人を挑発してふざけたがる面影はない。真剣そのものだ。


 ストレートにタイミングを合わせたままで、変化球も頭に入れておく。こうすれば真っ直ぐには多少遅れてしまうが、スライダーやカーブだったとしても極端に体勢を崩されなくて済むはずだ。


 淳吾の想定以上に凄い変化球が来た場合はどうしようもないので、その時は素直に相手を称えて参りましたと言うだけだ。まずはこの1球に全力を尽くす。集中して相手の指先を見つめ、投じられた直後にどの球種なのかを確かめる。


 安田学の手から離れた直後は、まだ真っ直ぐなのか変化球なのかを判別できない。そのため、打撃動作を開始させておく必要があった。上げていた足を下ろし、スイングをしにいく。


 ボールが近づいてくる。真っ直ぐの軌道なのか、そうじゃないのかを見極める。プロ野球選手ならもっと簡単にできるのかもしれないが、何度も繰り返してきたとおりに生憎と淳吾は初心者。自分にとっての最高の待ち方を、頑張って探すしかなかった。


 徐々にボールと淳吾の距離が縮まってくる。同時に真っ直ぐほどボールが来てないように感じられる。この時点ではもしかしての段階にすぎないが、次の瞬間に安田学が投じたのは変化球だと気がつく。


   *


 ストレートとは違い、緩やかな変化がボールについている。速度が遅めなのもあり、だいぶ距離が近くなってからようやくカーブだと判断ができるようになる。


 真っ直ぐ狙いだった淳吾の打撃動作とはタイミングが合わなくなっているが、こういうケースもありえるというのは安田学の投球前に想定できていた。


 ストレートに重点を置いて待っていた淳吾の体勢は必然的に崩れそうになるも、途中で前に出した左足で踏ん張り、両手でバットをスイングするまでの時間を遅らせる。たった一瞬の間かもしれないが、それだけでも大きな違いになる。


 身体が前へ突っ込みそうになるのを、歯を食いしばって耐える。大きな曲線を描いて、ホームベース上を通過しようとするカーブを待つ。


 バットを強く握り締めたまま、早くボールが来てくれと願う。これ以上の踏ん張りは不可能というところまで我慢を重ね、ここだというタイミングで肉体への束縛を解く。


 軋みそうな肉体が自由を取り戻し、持っているバットを振るために両手が動き出す。打席内の土を踏みつける力が大きくなり、連動して腰も回転の準備を始める。


 見開いている目が見つめる先にあるのは、安田学が投じたばかりの硬球。独特の回転を見せ、曲がりながら重力へ従うように落ちていく。その軌道をしっかり目で確認しながら、淳吾は腰を素早く回した。


 腰に引っ張られるように肩が動き、続いて加速した両腕が構えていたバットを振ろうとする。近づいてくるボール。向かっていくバット。ほんの一瞬の出来事が、やけに長く感じられる。


 アッパー気味のスイングで、ボールへ激突しようするバットが風を切る。当たってくれと強く願う。ホームベースの上で、バットとボールの距離がゼロになった。


 キィン。響いた金属音と両手へ伝わる痺れが、淳吾が安田学の変化球をバットに当てたのだと教えてくれる。2球目の真っ直ぐを打った時よりも重い手応えが、大きな希望を抱かせてくれる。


 急いで打球を探す。ふらふらと舞い上がってる途中の白い球体を、すぐに発見できた。本塁打になるような勢いはない。安田学の頭上辺りで早くも失速する。


 当然、安田学の視界には淳吾が打ち上げた打球が映っており、グラブを構えて落ちてくるのを今か今かと待っている。そして数秒後には、パスンという乾いた音とともに5打席目の凡退も決定した。


 全打席で三振を食らうという惨劇こそなんとか免れたものの、投手を務めた安田学に手も足もでなかったのに変わりはない。これではとても、私立群雲学園の野球部の助っ人になんてなれそうもなかった。


 とはいえ、あくまでも現時点での話。今回の5打席勝負の間だけでも、かなりの経験になった。どれだけの時間が残されてるかは不明だが、淳吾が自分の実力を高めるチャンスはまだ残されているはずだ。


 改めて気合を入れ直そうとしていると、5打席すべてで淳吾を抑えこんだ安田学が勝利宣言をするべく口を開こうとした。


 けれど、安田学が予想した展開にはならなかった。彼が発言する前に小笠原茜の声がグラウンドに響き渡る。


「淳吾君、おめでとう!」


 座っていたベンチから立ち上がり、こちらへ駆け寄ってきながら、何故か祝福の言葉をプレゼントしてくれる。淳吾はもとより、草野球チームの人たちもポカンとしている中、小笠原茜がおめでとうと言った理由を教えてくれる。


「これで淳吾君の勝ちだね。だって、最後の打席だけは、前に飛ばせるかどうかの勝負だったじゃん」


 笑顔で口にした小笠原茜の言葉に、誰もがハっとする。確かに安田学は勝負にならないからという理由で、5打席目に限っては勝敗の条件を淳吾へ有利なものに変更してくれていた。


 結果はピッチャーフライで凡打になってしまったが、勝負的には前へ飛ばせたので勝ったという形になる。周囲の人たちが喜んでくれてるのはありがたかったが、いまいちピンときてない淳吾は苦笑いを浮かべるだけだった。


   *


「ちょ、ちょっと待ってくれ!」


 祝福ムードが漂うグラウンド内で、しばらくマウンド上で呆然としていた安田学が突然に声を上げた。顔には焦りの色がありありと浮かんでおり、勝敗に納得してないのがわかる。


 自分で変えた勝敗条件を反故にしかねない勢いの安田学を、小笠原茜を始めとした淳吾以外の面々が白い目で見る。尋常じゃないくらいのポジティブ思考の持ち主も、さすがに今回は分が悪いと悟ったみたいだった。


 5打席連続で凡退させられた淳吾にすればこれ以上ない敗北なのだから、負け犬と罵られても言い返すつもりは毛頭なかった。


 周囲の大人たちに黙ってろと目で忠告されても、好意を抱いている小笠原茜にいいところを見せたい安田学は、黙っていられなかった。マウンドから駆け下りてきては、淳吾を指差して大きな声で「今のは俺の勝ちだ」と宣言する。


 すると淳吾が口を開くより先に、祝福しにきてくれていた小笠原茜が酷く冷たい声で「どうして?」と安田学に質問をした。


「ピ、ピッチャーフライじゃ、前に飛んだとは言えないだろ。そんなんで勝って、お前は嬉しいのか!?」


「自分で前に飛ばせばいいって言ったんじゃない。仮にキャッチャーゴロだったとしても、淳吾君の勝ちになるって事前にわかってたでしょ。それとも……わからないくらい頭が悪いの?」


 自分に言われたわけではない淳吾の胸まで痛くなるような台詞が、小笠原茜の口から安田学に放たれた。壮絶すぎる破壊力を持ってるのは傍目からでも十分にわかり、さすがにこれは致命傷になるのではないかと思えた。


 しかし安田学はへこたれず、小笠原茜の冷たい視線から逃げるように体勢を変えながら、改めて淳吾に「あれで勝ったと言えるのか」なんて聞いてきた。


 もとより絶対に勝ちたいとは思ってなかったのと、あまりに相手が哀れすぎるので、淳吾は素直に「言えないですね」と自分の敗北を認めた。


「そうだろ、そうだよな! まあ、お前もよくやったよ。特別に褒めてやるぞ!」


 嬉しそうに笑う安田学の側で、小笠原父娘どころか、普段から優しい源さんまでもが表情を曇らせる。


「……高校生に気を遣われてるぞ……」


「さすがに……笑えないわよね……」


「淳吾君もああ言ってるし、彼の勝利でいいんじゃないかな……」


 哀れみの呟きを漏らす父親に娘が同調し、側にいた源さんが安田学の勝利でいいかと提案すると、他のチームメイトも何故か沈んだ表情で同意した。


 拍手を送られた安田学は、周囲の微妙な空気など関係ないとばかりに勝利の高笑いを披露する。ポジティブな思考の持ち主なのは明らかだが、同時にかなりのお調子者っぽくもあった。


 後者は自分に少し似てるなと思った淳吾は、思わず笑みを浮かべてしまう。それを見た安田学が「どうして笑ってるんだ」と尋ねてくる。


 ここで「いえ、別に」と言って誤魔化せばいいものを、淳吾も本来はお調子者なので、ついうっかりと思っていた内容をそのまま言葉にしてしまう。


「年下の初心者相手に勝って、ここまで喜べるなんて素晴らしいですよね。まるで同年代みたいですよ」


「はっはっは、そうだろう。俺は若いってよく言われるからな。それに初心者にこそ、勝負の厳しさを教えてやる必要があるんだ」


「はあ、凄いですね。尊敬しますよ」


「だろうな。俺と対戦した奴らは皆、そう言うよ。まあ、頭を下げて頼むんなら、また胸を貸してやらないこともないぞ」


「ありがとうございます。じゃあ、明日もお願いしますね」


「はっはっは、任せておけ……って、何だと。明日!?」


 目を丸くする安田学の側で、他のチームメイトの人たちがニヤニヤしている。


「勝負の厳しさを教えないといけないんだ。まさか逃げたりしないよなァ?」


 小笠原大吾に挑発じみた台詞をぶつけられたのが駄目押しになり、引っ込みがつかなくなった安田学は淳吾が提案した明朝の勝負を承諾してくれたのだった。

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