第26話 才能なんて、きっと些細なものでしかない

 田辺誠以外は相手にされてないのがわかっており、修羅場にはなりそうもないので、急速に土原玲菜とのやりとりに興味を失ってるみたいだった。


 このまま淳吾はすんなり帰れるかと思っていたが、お約束のように引き止めようとする声が背中に届けられた。


 さすがに無視するわけにはいかないため、淳吾が振り返って声の主を確認すると、予想外の伊藤和明だった。


 てっきり相沢武か土原玲二が話しかけてくると思っていたので、軽く驚く。練習試合で先発した伊藤和明は顔を伏せながら、なんとか声を絞り出す。


「せっかく観に来てくれたのに、ごめんね……。僕が情けなかったから、退屈だったよね」


 肯定したら酷すぎるし、否定したら伊藤和明が打たれたのを楽しんでたみたいになる。なんて応じたらいいのかわからない淳吾は、曖昧に「いや……」と言うのがやっとだった。


「気を遣ってくれなくていいんだ。無様な試合にしてしまったのは、僕のせいだしね。せっかく先発を任せてもらえたのに、情けないよ」


 本来のポジションは投手でないとはいえ、登板前は本人も気合を入れていたのだろう。近くにいなかった淳吾でも簡単に想像できるくらい、試合後の伊藤和明の落胆ぶりは凄まじかった。


 周囲に心配させまいと先ほどまでは、田辺誠と土原玲菜のやりとりを他の部員同様に笑ってみていたが、心の中ではそれどころじゃなかったのだろう。


 伊藤和明と仲の良さげな春日修平が肩を軽く叩いて慰めるが、その程度では立ち直れないとばかりにため息をつきまくる。


「なんとか相沢君たちの助けになれればと思ったけど、やっぱり僕には才能がないんだよ。その点、仮谷君ならさ……」


「いや、そんなことはないと思うけど」


 口が勝手に動いたというべきか。気がつけば淳吾は、どこまでもネガティブになっていきそうな伊藤和明へ声をかけていた。


 隣に立っている土原玲菜だけではなく、練習試合を終えたばかりの群雲学園の野球部員たちも淳吾を注目する。その中には、先ほどまでわけのわからない論戦をしていた田辺誠も含まれている。


 何か言うそぶりを見せてしまった以上、このままでは帰れそうもない。内心でパニクりつつも、生来の調子の良さが絶妙な具合で発揮される。


「偉そうなことは言えないけどさ。何もしてない俺より、伊藤君の方がずっと練習してるだろ」


 伊藤和明はそんなことないと言いたげだったが、他の部員たちは揃って頷く。毎日一緒に汗を流してる身近な存在だからこそ、どれだけ頑張ってるか知ってるのだ。


「だとしたら、俺より伊藤君の方が野球はずっと上手いはずだ。才能なんて、きっと些細なものでしかないと思うよ」


 まだ納得できていない伊藤和明に、今度は野球部の主将を務める土原玲二が声をかける。


「仮谷君の言うとおりだ。伊藤が努力をしてるのは俺はもちろん、部員なら誰もが知っている。だからこそ、俺は君を投手に指名した。決して消極的な理由で選んだわけじゃない」


「で、でも……僕よりも、仮谷君に加わってもらった方が、ずっとチームは助かるし……」


「戦力的にはそうかもしれない。だが野球はチームでするスポーツだ。ひとりでは何もできない。仮谷君は確かに優秀だが、彼が加わることで伊藤が抜けるというなら、俺は決して勧誘をしない」


 知らないうちに優秀扱いされてるのはどうかと思うが、期待されないのなら淳吾にとっても群雲学園の野球部にとっても朗報だ。とはいえ、人の良さそうな伊藤和明が、他人を邪魔者扱いするとは考えられなかった。


 淳吾や土原玲二の言葉を聞いた伊藤和明は、涙目になって何度もお礼と謝罪の言葉を繰り返した。野球を好きになりつつあるからこそ、責任感も芽生えていたのかもしれない。


「お前……なかなかいいとこあるじゃねえか」


 唐突に淳吾へそう言ってきたのは、執拗な勧誘でお馴染みの相沢武だった。土原玲二がキツく注意してくれたみたいで、例の一件以来おとなしくなってはいるが、いつまた厄介な癖が再発するかわからない。


「別に……思ったままを言っただけだよ」


「だろうな。だからこそ、お前は俺たちのチームに相応しいんだ」


   *


 鏡を見なくとも、淳吾の顔にクエスチョンマークが浮かんでるであろうことは明らかだった。


 相沢武が何を言いたいのか理解できずにポカンとしていると、相手は馴れ馴れしく淳吾の肩に手を置いてくる。


「試合を作るのはバッテリーの仕事だが、試合を決めるのは4番――つまり主砲の仕事だ。だからこそ、4番はチーム全員から信頼される奴じゃなきゃ駄目なんだ」


 持論を熱く力説する相沢武を見ながら、今すぐにでも逃げ出したい衝動に駆られる。しかし、そんな真似をすれば、さすがに後味が悪い。


 仕方なしに残っていると、肩に置かれていた手を離した相沢武が淳吾の眼前で握り拳を作る。


「打たれた投手を励まし、打線全体の停滞ムードを吹き飛ばす。まさにお前は、ウチのチームの4番になるために生まれてきた男だ!」


 いつかと同じように目を輝かせる相沢武に、ため息をつきながら淳吾は反論させてもらう。


「生憎と俺は野球部の練習に参加するつもりはないから、チームの信頼を集められないぞ」


 ここで練習に参加してない奴が、チームの信頼を集められるのかというのはマズい。何故なら、直後に相沢武が「それなら、練習に参加しようぜ」と言ってくるのが目に見えているからだ。


 ゆえに淳吾は、わざわざ最初に練習へ参加するつもりはないと釘をさした。目論見が崩れた相沢武は「うっ」と言葉を詰まらせたあとで、救いを求めるように土原玲菜を見た。


「やっぱり彼女なら、彼氏が野球してる姿を見たいよね」


 淳吾と交際している土原玲菜を味方につけて、なんとかこの場を押し切ろうと考えたのだろう。悪くない策に思えるが、残念ながら当てにした女性は乗ってくれなかった。


「野球をするかしないかは、淳吾の自由だから」


 彼女が欲しいので野球部には入らない。そう言っていた淳吾の恋人になることで、土原玲菜は野球部へ所属できると言ってきた。


 しかし淳吾は、恋人ができたら野球部へ本格的に参加するとは言ってない。そういう理屈で、土原玲菜と交際中の現在も練習や試合に参加していなかった。


 普通なら詐欺だと怒って、恋人関係を解消してもよさそうなのに、何故か土原玲菜はそれをしようとしない。弟の土原玲二も言っていたが、彼女はそういう人間ではないのだ。


 野球部には所属してくれたのだから、恋人として淳吾へ尽くすのは当然。きっと土原玲菜は、そんなふうに思ってるのだろう。


 真剣に考えれば少し物悲しくなるが、それでもお調子者の淳吾は美人な恋人ができたのだからと、前向きに考えるようにしていた。


 デートらしいデートもしてないけれど、手料理は何度も食べさせてもらってる。それだけでも、十分にありがたかった。


「ぐう……で、でもよっ!」


 なおも食い下がろうとする相沢武に、野球部の主将でもある土原玲二が「そのくらいにしておけ」と注意する。


「練習には参加してないが、今回は練習試合を見学に来てくれた。今はそれで十分だろう」


 土原玲二の言葉に、争いを嫌いそうなタイプの伊藤和明がすかさず同調する。


「そ、そうだよ。それに僕たちが頑張って、仮谷君に一緒にプレイしてもらえる価値があると認めてもらえばいいんだよ」


 いつの間にやら淳吾は、怪物打者みたいな扱いになっている。伊藤和明が真実を知れば、きっとこの上ないくらいに落胆するはずだった。


 周りから期待をかけられるほどに、心がズキリと痛む。別に好んで騙してるわけではないにしろ、嘘をついているような形になってるのは同じだからだ。


   *


 ここで「それは逆だ」と伊藤和明に言って、淳吾に一緒に野球をしてもらう価値がないと言うのは簡単だ。しかし、それではあまりにネガティブすぎる。


 お調子者すぎるがゆえに後々落ち込むケースも多いが、基本的にはある程度前向きな性格をしてると淳吾は自分自身を判断していた。もっとも、すぐに不安がる臆病者であるのも事実だ。


 だからこそ万が一の可能性に賭けて、格好つけて野球部に所属するなんて真似もできなかった。それでも活躍したいと思うからこそ、人知れずささやかな努力を続けている。


 まだ軟式球での打撃もままならないのに、硬式球で本格的な練習をしている部員たちに混ざったら、すぐにメッキの価値すらないのが露見する。いくら淳吾でも、さすがにそんなのはごめんだった。


 ではどうするかといえば、今は調子の良い台詞を連発して、強引にでも時間を作る。その上で、偽りの評価を本物に変えるのだ。


「練習試合も終わったし、俺は帰るよ」


 再び田辺誠や相沢武に絡まれたら敵わない。これ以上引き止められる前にグラウンドを離れようと、淳吾は群雲学園野球部の面々に背を向ける。


 このままひとりで帰るつもりだったのだが、やはり土原玲菜も淳吾と行動を共にするみたいだった。


 相沢武の味方は決してせず、野球部の練習へ参加しようとしない淳吾を責めるわけでもない。彼女の口から紡がれたのは「ありがとう」のひと言だけだった。


「……お礼を言われるようなこと、何かしたかな?」


「一緒に練習試合を観戦してくれたわ。それに、砕けた口調で会話をするようにもなってくれた」


 それだけでいいのと言わんばかりに、土原玲菜がかすかな笑みを見せる。その瞬間に少し強めの風が吹き、まるで青春ドラマのワンシーンみたいに彼女の髪の毛が静かになびいた。


 そのせいかはわからないが、誰よりも綺麗に見えた土原玲菜に淳吾は動悸が止まらなくなる。


 街を歩いていて通り過ぎる女性の美しさに目を惹かれ、何度も横顔を盗み見た時もかなりドキドキしたのを覚えている。


 だが今の気持ちは、それとはまったく違う。息苦しいけども、決して不快ではない。表現し難い、なんとも不思議な気持ちだった。


 これが何なのかを知る前に、淳吾は急速に土原玲菜の前に立ってるのが恥ずかしくなった。何を言われたわけでもないし、嫌ったりもしていない。ただ単純に、この場から走り去りたかった。


「そ、そうだ。俺、用時があるから、今日はこれで」


「え? あ……」


 戸惑う土原玲菜へ一瞬にして背を向け、淳吾は全力ダッシュで自宅へ向かった。


 一緒に帰宅してる途中で、女性をひとりで置き去りにした罪悪感すら抱く余裕がなかった。


 自分で自分の状態を正しく把握できず、帰宅してからも淳吾は部屋の床に座りこんだまましばらく立てずにいた。


 時間が経つほどに、今度は気恥ずかしさで顔が熱くなる。どうして自分は、土原玲菜の前から走って帰ってきたりしたのだろう。


 考えてもわからないので、気分を変えようと立ち上がる。すでにいつものバッティングセンターへ向かう時間になっていた。


「あのバッティングセンターで、おもいきりバットを振ってくれば、少しは悶々とした気分も晴れるだろ」


 独り言を呟いてから、淳吾は軽食を頬張ってお腹を満たす。あまり詰め込みすぎると、走ってて苦しくなるので、あくまでもほんの少しだけだ。


 準備が整ったところで玄関のドアを開け、今夜もまた例のバッティングセンターで練習をするべく走り始める。

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