第24話 声を聞いただけでわかるんだね

 相手チームの投手が今度はマウンドに登る。高校のグラウンド設備というのもあり、プロ野球の中継みたいにバックスクリーンに両校の選手名が表示されてたりはしない。


 なので相手高校の情報がまったくないに等しい淳吾が、マウンド上で投球練習をしているピッチャーの名前を知ってるはずもなかった。


 隣に座っている土原玲菜なら弟から聞いて知ってるかもしれないが、そこまでするほどではなかったので、あえて質問はしないでおく。


 そうこうしてるうちに、群雲学園の先頭打者がバッターボックスへ入ろうとする。軽く二、三度素振りをしてから、打席へ向かう。


 ……ものだと思っていたが、何故かバッティングのポーズをとったまま、周囲の観客たちを見た。値踏みするような視線は淳吾の隣で止まり、その後すぐにバッターボックスへ入った。


「今のは一体、何だったんだろう」


 そんな呟きが勝手に漏れるくらい、打席で構えている選手の行動は意味不明だった。隣の土原玲菜もあまりというか、まったく興味を示してないので、知り合いではなさそうだ。


 とにもかくにも、群雲学園には大事なイニングになる。点を取られた直後に取り返せば、雰囲気は一気によくなり、落ち込んでいる投手の闘志も復活させられる。


 そのためにはどんな形でもいいから1番打者が塁に出て、ランナーを溜める必要がある。積み重ねで満塁になり、誰かが本塁打を放ったりすれば4点取れるので一気に逆転も可能だ。


 以前にコンビニの前で伊藤和明から聞いた話では、守備を中心に練習をしているとのことだったが、果たしてバッティングはどうなのか。単なる野球好きとして、興味を惹かれる。


 名前を知る由もない相手チームの投手が最初の1球目を投じる。大きなカーブで、ストライクコースからボールコースまでの変化を見せる。


 反応してバットを振りそうなものだったが、群雲学園の先頭打者は相手投手の変化球をきっちり見逃して、ボールのカウントをひとつ稼いだ。


「意外と選球眼はいいのかな」


 いつの間にやら真剣に試合を見始めていた淳吾は、無意識に自身の感想を口にしていた。それを聞いた土原玲菜が、隣で解説をしてくれる。


「あの人はとにかく足が速いらしいわ。中学時代は陸上部だったそうよ」


 恐らくは弟の土原玲二から得たであろう知識を、惜しげもなく淳吾へも譲渡してくれる。選球眼の良し悪しは土原玲菜もわからないものの、内野安打がチームで一番出る確率の高い打者みたいだった。


「ベースランニングはもたつくこともあるらしいけど、直線での走力は断トツみたいよ。淳吾も気にしてたように、これで選球眼も良いなら、1番打者としてはかなり優秀ね」


 あまりに理想を求めるのは酷だが、先頭打者の出塁は得点に絡むケースが多いので、必然的に期待度は高くなる。長打力もあれば嬉しいが、何より欲しいのは確かな選球眼とボールをミートできる能力だった。


 初球の見逃し方を見るに、選球眼は良さげなのかと思ったのだが、2球目の同様のカーブを今度は大きく空振りしてしまった。まるで長距離打者みたいなフルスイングで、足の速さを活かした打撃をしようなんて意思は微塵も感じられない。


 そして3球目となる高めのストレートへまともに反応し、今度も見事な空振りを披露する。豪快に金属バットを振るも、ボールにまったく当たらない姿は数日前の淳吾を見てるみたいだった。


「今のは高めのボール球だったわね。緩い球のあとの直球で釣られてしまったとはいえ、スイングを止めるそぶりすらなかったのが気になるわ」


 こと野球に関する話題だと饒舌になるのか、今回は淳吾から尋ねなくとも土原玲菜が色々と解説をしてくれる。


   *


 群雲学園のベンチから、ひと際大きな声で「ボールをよく見ていけ」というアドバイスがバッターボックス内にいる打者へ飛んだ。


 誰が声を出したのかと目を細めて見ても、そこまでは判別できなかった。すると、隣に座っている土原玲菜が「今のは相沢君ね」と教えてくれた。


「声を聞いただけでわかるんだね」


「よく家に来て、遅くまで弟と野球の話をしてたりするから、必然的に覚えたような感じね」


 事情説明を受けた淳吾は「そうなんだ」と返しながらも、どこかもやもやとした気持ちを抱いた。それが嫉妬ではないかと気がついた時、なんだか急速に気恥ずかしくなった。


 そんな自身の感情を誤魔化すためにも、より集中して試合を観ようとする。視線を土原玲菜から、グラウンド内のバッターへ移した直後、周囲に「バッターアウト!」の声が響き渡った。


 ピッチャーの投げたワンバウンド気味のカーブに、群雲学園の先頭打者が空振り三振をしたのだ。3失点したあとの攻撃にもかかわらず、あっさりとひとつのアウトを相手投手に献上してしまった。


 もう少し粘れないものかとも思うが、部員としてグラウンドに立ってるわけでもない淳吾に野次を飛ばす資格はない。黙って群雲学園の2番打者の登場を待つ。


「1番打者だけに、追い込まれたらバットを短く持つなりすると思ったんだけど、そのままスイングしてたね」


 黙ったまま観戦しててもいいのだが、そうすると空気が悪くなるかもしれないと危惧して、淳吾はとりあえず野球の話題を土原玲菜へ向けた。


「そうね。ファールで粘って、投手に球数を投げさせてもよかったかもしれないわ。いくら練習試合とはいっても、本番と同じ緊張感を持って試合をするのも大事だから」


 淳吾の発言を肯定したあとで、土原玲菜は「でも……」と続ける。


「実戦経験の少ないチームだけに、とにかく選手の自主性に任せるというゲームプランもありだと思うわ。大敗したとしても、それぞれが課題を見つけて努力できるようになれば、決して無駄な経験にならないもの」


 淳吾は素直に「なるほど」と頷いた。こと野球に関しては、土原玲菜の方が深い知識を所持してるかもしれない。下手に知ったかぶりをするよりは、素直にある知識だけを使って会話をするべきだなと判断する。


「次の2番バッターはどういうタイプか知ってる?」


「弟から聞いた話でいいなら、多少は知ってるわ。体格は恵まれてないけれど、真面目な選手みたい。何事もコツコツやる努力家で、成績もかなり優秀だと言っていたわ。本来なら、科学部に入りたがってたみたいね」


「科学部希望? それなのに……ずいぶんと活動内容が違う部活を選んだね」


 文化部と運動部の時点で、所属する部活で何をするのかは大きく違ってくる。にもかかわらず、野球部を選んだというのは何か理由があるのだろうか。


 淳吾が抱いた疑問を解消してくれたのは、またしても隣に座っている美貌の女先輩だった。


「頼まれたら断れない性格みたいで、相沢君が頼み倒したらしいわ。最初は仕方なくだったみたいだけど、今では本人もなかなか楽しんでるみたいよ」


 無言で土原玲菜の言葉に頷く。打席に入ったばかりの2番打者は、遠目から見ても小さいとわかるくらいの身長しかなく、体型も痩せ型だった。


 眼鏡をかけており、外野席から見てるだけでも神経質そうな印象を受ける。外見だけで判断はできないが、成績優秀そうな雰囲気が伝わってくる。


 力はなさそうだが、2番打者には色々と器用さが要求される。野球経験者の土原玲二が打順も決めているはずなので、何か適したものがあるのだろう。


 金属バットを極端に短く持ち、打席の一番前で構える。これには淳吾も思わず「へえ」と声を上げた。


   *


 基本的に打者は、バッターボックスの一番後ろ、つまりは捕手側に立つ場合がほとんどに思える。理由は走者のためだったりなど、色々だ。


 しかし群雲学園の2番打者は一番前、投手側に立った。ランナーもいないので、変化球に対応しようと考えての策だろう。効果を発揮するかはともかく、なんとかするための工夫は感じられる。


 打席の一番前と後ろでは、ボールの見え方がだいぶ違う。バッティングセンターでもそうなのだから、実際の試合となればなおさらだろう。後ろ側に立てば、その距離の分だけ変化球は曲がったり、落ちたりした状態でやってくる。


 それを捉えるのは難しいと判断したからこそ、あえて一番前に立ったのだ。そうすれば、変化しきる前に対応できるので、変化球が苦手な打者でもなんとかできるかもしれない。


 とはいえ、問題点もある。それは直球への反応だ。ストレートを打つ場合には、距離が伸びる分だけ対応の時間が増える後ろ側が有利になる。相手が速球投手であればあるほど、違いは大きくなるはずだ。


 今回のケースも変化球に対応しやすくなりそうな分だけ、直球への反応は遅れる。バットを振る腕が伸びきる前に、ボールへ当たって凡打する確率も増す。


 よくプロ野球の実況などで、直球に差し込まれたなんて表現を耳にするが、それはこのことなのではないかと淳吾は勝手に判断している。


 とにもかくにも、群雲学園の2番打者は変化球への対応を優先させたことになる。外野席からはわからないが、もしかしたら相手投手は変化球が得意なタイプなのかもしれない。


「相手のピッチャーはあまりストレートが速くないのかな」


「見てる限りでは、そうは思えなかったわ。恐らく相手は同じ一年生なのでしょうけど、伊藤和明君よりはずっと球速は上ね」


 気遣いがなさそうな台詞に思えるが、基本的に土原玲菜は割合はっきりと物事を言うタイプなのであまり気にしない。


 そもそも悪気があるわけではないし、淳吾に対しても「好きではない」などと自身の思いをストレートに伝えてきた。


 おかげで落ち込んだりもするが、何を考えてるのかわからないタイプよりはずっといい。


「カーブも投げていたけれど、中学校でも投手をしていたのであれば、標準的な曲がりじゃないかしら。淳吾はどう思ったの?」


 いきなりの問いかけに、ドキっとする。実は超初心者だから、わかりませんなどとは言えないため、どのように返そうかをひたすら悩む。


 そうしてるうちに投手が1球目を投じる。球種はカーブではなく、ストレートだ。相手チームの捕手が、打者の立つ位置をきちんと確認した上で要求したのだろう。


 狙いの逆を突かれたかな。淳吾がそう思った直後、気弱そうにしか見えない群雲学園の2番打者が、短く持ったバットを水平に振った。


 先ほど三振した1番打者みたいな大降りではなく、バットにボールを当てるのを最優先にしたコンパクトなスイングだった。


 結果は空振りになってしまったが、淳吾は辿り着くまでの過程を思い返して小さなため息をついた。


「まさか、最初から真っ直ぐを投げさせるつもりだったのか」


 変化球を狙いますと言わんばかりに、そっと打席の一番前に立つ。捕手が見れば、確実に裏をかこうとする。群雲学園の2番打者は、さらにその裏を突こうとした。


 投手は捕手の要求どおりにストレートを投げた。狙い球だったバッターはヒットを打つべく、ボールをミートしようとした。


 誤算があるとすれば、相手の真っ直ぐが高めの良いコースに来すぎて、ボールを捉えられなかったことだろう。


 相手捕手との読み合いでは見事に勝ったが、打つかどうかの勝負では負けてしまった。それが先ほどの1球目の打者とバッテリーとのやりとりだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る