第20話 俺には……勿体なさすぎるような女性かも

 いたたまれない気分というのは、今の淳吾が抱えてるもやもやした気持ちを言うのだろう。そうでなければ、他に思いつかない。


 お昼休みに入った私立群雲学園で淳吾は、逃げるように教室をあとにした。黙っていれば、土原玲菜が一緒に昼食をとろうと誘いに来るのがわかっていた。


 朝に相沢武や栗本加奈子といざこざを起こしたのもあり、今は土原玲菜と仲良くお昼ご飯を食べようなんて気にはなれなかった。


 自己嫌悪を抱えながらも、心の中でひとり愚痴る淳吾の足が勝手に向かってたのは、人けがなさそうな裏庭だった。


 中庭はよく陽も当たるのでたくさんの生徒で溢れてるが、校舎の裏側へ行くと木々が覆い茂ってるのもあり、日中でも薄暗いので気味悪がって誰も近づかない。


 そんな場所なのでよくあるテレビドラマみたいに不良のたまり場になってないかビクビクしていたが、淳吾の心配をよそに裏庭には誰もいなかった。


 少しだけとはいえ、校舎のすぐ近くの地面は舗装されてるので、無造作に座っても土の上ほどはズボンも汚れない。そこへどっかりと腰を下ろし、壁を背もたれ代わりにする。


 見上げた空に向かってため息を吐いてみるが、心の中に巣食っている重苦しさは微塵も解消できない。逆に新たなため息が、次々と口からこぼれる有様だった。


 まぐれでホームランを打っただけなのに、よもやここまでの展開になるとは。お調子者らしく、褒められていい気になったのも失敗の一因だ。


「……いつまでも同じ悩みを繰り返しても、仕方ないか……」


 こうした思考に終止符を打つためにも、先日からひとりバッティングセンターに通って人知れず努力をし始めている。どこまで効果があるのかは不明確だが、何もしないよりはずっとマシだった。


 体を動かせば何も考えずに済むし、ひとりぼっちの部屋であれこれ考えてるよりはずっと健康的だ。あとは淳吾が、皆が望むとおりの人物になれればすべてが上手くいく。


 女性人気も高まり、今は淳吾を批判してる相沢武らも、やっぱり頼りになると手のひらを返すに決まってる。そうとでも考えなければ、とてもやっていられない。


 もともとは楽観的な淳吾なだけに、こうなったらやるしかないと改めて決意を固める。そのためには、バッティングセンターの軟球くらいは打てるようにならないといけなかった。


「とはいえ……どうするか……」


「……何をだ?」


 裏庭を根城にしてる不良にでも遭遇してしまったのかと、淳吾は驚きと怯えを半分ずつ含んだ表情で声が聞こえてきた方を見た。すると、視線を上げた先には、土原玲二がひとりで立っていた。


「……驚かさないでくれ。こんなところに何か用でもあったのか?」


 とりあえず安堵した淳吾は口内に溜まっていた息を放出しながら、土原玲二から目線を外した。


「丁度、俺も同じ質問をしようとしていたところだ」


 一見すると無愛想極まりないが、別に怒ってるわけじゃない。むしろ土原玲二は、優しい部類に入るのではないか。何度か会話をした経験から、淳吾は相手男性にそうした印象を持っていた。


 立ったまま座ってる人間を見下ろすのはよしとせず、土原玲二も淳吾から少し離れた位置に腰を下ろした。どうやら、何かしら会話をする意思があるらしい。


 ひとりで悩んでるんだから、どこかへ行ってくれと言えば、恐らくかなりの確率で「何の悩みだ」と聞かれる。好奇心旺盛な相沢武や栗本加奈子と違い、土原玲二には悪気というものが一切ないので扱いに困る。


 仕方ないのである程度は本当の理由を話そうと、淳吾は座ったばかりの土原玲二に「逃げてきただけだ」と呟くように告げた。


「……姉さんの料理は、そんな美味しくないのか?」


   *


 予想もしてなかった質問に驚き、淳吾は目を丸くする。こちらの反応を見ていた土原玲二は、自分の質問が肯定されたと判断して新たに口を開く。


「最近になって、料理をし始めたばかりだからな。けど、それも君のためなんだ。堪えてやってくれ」


 姉思いの発言をする土原玲二に、慌てて「料理は美味しいよ」と告げる。すると今度は、相手が目を見開いて驚き具合を表現した。


「それならどうして、姉さんから逃げてるんだ?」


 土原玲菜から逃げてるわけではないと言っても、現在の状況ではとても信じてもらえない。普段なら、一緒に中庭あたりで昼食をとっている時間なのだ。


 加えて土原玲二は、もしかすると淳吾の教室の前で待ちぼうけを食らっている姉の姿を見ているかもしれない。そうなると、誤魔化そうとするのは逆効果になる。


 かといって、正直に細部まで理由を説明する気にはなれず、淳吾は「まあ、色々とあって」としか、土原玲二に言えなかった。


 相沢武や栗本加奈子ならここぞとばかりに追求してきそうだが、土原玲二の場合は「そうか」と応じただけで会話が終了する。必要以上に他人の懐へ飛び込まないタイプなのか、それとも相手なりの気遣いなのか。どちらにせよ、現時点ではありがたかった。


「……姉さんは無愛想かもしれないが、本当は優しい人なんだ。君にも理由があるのはわかっているが、あまり避けないでやってくれ」


 そう言うと、土原玲二は深々と淳吾へ頭を下げてきた。


「交際の理由もある程度は知っている。けれど姉さんは、仮に君が野球部での活動をしなくとも、交際を続けると思う。そういう性格の女性だ」


 さすがに弟なだけあって、淳吾よりはよく土原玲菜の性格を理解していた。だからこそ、姉の寂しげな姿は決して見たくないと思うのだろう。


 土原玲二は、決して嘘を言っていない。実際に土原玲菜と交際して、相手女性の面倒見の良さは淳吾もよく理解できている。


 だからこそ実力のない淳吾が、野球部へ入るのを餌に恋人付き合いしてるのが申し訳なく思える。ただでさえ、いたたまれなさを感じてるところに、今朝の出来事がプラスされた。


「俺には……勿体なさすぎるような女性かも……」


 空を見上げながら何気なく呟いた言葉に、土原玲二が律儀に反応する。


「そんなことを気にしていたのか? だったら問題ない。当の姉さんが、そんなふうに思ってないからだ」


 その点もわかっているので、淳吾は「だろうな」と返す。けれど、どうにも心のもやもやが晴れない。


 この場で自分の実力のなさを告白できれば楽になれるとわかっているのに、どうしても淳吾の口は心の中に溜まっている言葉を作ってはくれなかった。


 代わりに出てきたのは「どうして俺に期待するんだ?」という質問だった。


「……そうか。君が人けのない場所へ逃げ込んだ一番の理由は相沢か。申し訳ない。あいつにはきちんと、説明をしていたんだが……」


 相沢武の代わりに頭を下げた土原玲二は、本当に申し訳なさそうにしていた。洞察力の鋭い人間だけに、こうした事態にならないよう、きちんと根回しをしてくれてたのだろう。ところが、ひとりの部員が暴走した。


 当人から詳細には聞いてないけれど、真相は推測したとおりで間違いないはずだ。だからこそ、謝罪へ繋がった。


「あいつには俺からもう一度よく言っておくから、許してやってほしい」


「ああ……それはいいけど」


「助かる。あいつもかなり焦ってるから、人の気持ちを考えずに突っ走ってしまうんだろう」


「もうすぐ練習試合があるからか?」


 淳吾が尋ねると、土原玲二はどうしてその話を知ってるんだと言いたげな表情をした。けれどそのあとすぐに、相沢武から教えられたという理由に辿り着いたみたいだった。


   *


「……そのとおりだが、相沢はああ見えて、君の心配もしている」


「俺の?」


 自分の考えを一方的に押し付けてくるようなタイプに見えていたので、土原玲二の言葉はかなり意外だった。


「君のバッティングセンスは優秀かもしれないが、あくまでも軟式で、しかも体育の授業での話だ。硬式球を使う高校野球で通じるかは未知数どころか、個人的にはかなり低いと思ってる」


 素人と言っても過言ではない淳吾も同様の疑問を抱いてたくらいなので、経験者である土原玲二が危惧するのも当然だった。


「俺も相沢もクラブチームへ所属していたわけじゃなかったので、当初は違いにかなり戸惑った。軟式から硬式へ移行するのは、決して簡単じゃないんだ」


 そのあとで土原玲二は、それでも淳吾みたいな打力が見込める人間に期待するしかないと続けた。


「普通に実力があるなら、硬式球に慣れれば十分に発揮できるようになるかもしれない。確率は低かろうとも、俺たちにはそこへ賭けるしかないんだ」


 硬式だ軟式だと言う前に、相沢武と土原玲二以外の野球部員は全員が初心者なのだ。練習でも守備練習が主で、最初は軟式やゴムボールを使って速い打球に慣れさせたらしかった。


 なるほどなんて頷いてみてはいるが、実際は淳吾も初心者だ。硬式球へ慣れる前に、90キロの軟式球でさえ満足に打ち返せないレベルなのだ。


 練習試合に参加しても醜態をさらすばかりで、役に立てる可能性は皆無に等しかった。確かに硬式球を経験したい願望はあるが、そのためには自身の無能ぶりを露呈しなければならない。


 今さら他の野球部員に負けず劣らずの実力しかないと知られたら、周囲から嘘つき野郎のレッテルを貼られて学園へ通いづらくなる。そんな展開になったら、恋人と楽しい高校生活を送るなんてのは夢のまた夢だ。


 現在交際中の土原玲菜も淳吾のもとを去るだろう。世間は広いようで狭い。学園での噂は、すぐに周囲へ広がる。淳吾は一躍有名人になり、アルバイト先で知り合った女性に声をかけても、つれない反応しか示されないようになる。


 せっかく私立群雲学園に入学して、ひとり暮らしもできてるのに孤独なだけじゃなく、後ろ指を差されながら三年間を過ごすなんてあんまりすぎる。焦りなら、相沢武よりも淳吾の方が強く持ってる自信があった。


「過度な期待をかけるのは申し訳ないと、俺だけじゃなくて相沢も思っている。けれど、初心者だらけのチームがひとつでも勝つためには、わずかな可能性であってもすがるしかないんだ」


 土原玲二の気持ちも、相沢武の気持ちも痛いほど伝わってきた。けれど素直に力を貸せない事情が、淳吾にもある。説明できないのはもどかしいが、こればかりはどうしようもなかった。


「俺が言いたいのは、それだけだ。あとは君の自由だと思う。ただ……できれば、部活に参加してほしい」


「……覚えておくよ」


 淳吾がそう言うと、土原玲二は満足したように頷きながら、その場に立ち上がった。


「じゃあ、俺はもう行くけど、気が向いたら姉さんの作った弁当を食べてあげてくれ。相沢にはしつこく干渉しないように言っておく」


 相変わらず笑顔は見せたりしないが、それでもどこかスッキリしてるような感じが相手から伝わってくる。きっと言いたいことを言えたからなのだろう。


 代わりに淳吾はさらなるもやもやを抱えるはめになったが、現状を惜しんで正直に自分の実力を告白しなかったのだから、自業自得とも言える。


 土原玲二がいなくなった校舎裏で、淳吾はひとり座りこんだまま、とにかく今夜も例のバッティングセンターへ行ってみることに決めた。


 もやもやを吹き飛ばせる何かが見つかるかもしれないし、黙って部屋で絶望してるよりはずっといいからだ。

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