第19話 言ってやった、言ってやった

「仮谷っちはさあ、何が不満なの?」


 朝の教室でホームルームが始まる前に、淳吾の姿を見つけた栗本加奈子が側にやってきて、そんな質問をしてきた。


 意味がわからなかった淳吾は、深く考える前に「何が?」と、相手の質問に質問で返した。無礼なのは重々承知しているが、肝心の「何が」の部分がわからないと答えようがない。


「だから、あんな美人な先輩とも付き合ってるのに、どうして未だに野球部の練習に参加したりしないの?」


 ここ最近で、急に私立群雲学園における淳吾の存在は有名になっていた。そのため当人でなくとも、どのような状況に置かれてるかまで簡単に調べられる。


 個人のプライバシーなどないも同然なのだが、文句を言うつもりはなかった。目立つような行動をしてるのは確かだからだ。


 そのひとつが、栗本加奈子の言っている美人の女先輩――つまりは土原玲菜のことだった。


 誰が告白しても決して応じなかった美貌の女性が、こともあろうに新入生で何の取り柄もなさそうな淳吾と交際をしているのは、この学園の七不思議のひとつとまで言われるようになっていた。


 最初は単なる噂で片付けられようとしていたが、当の本人である土原玲菜があっさり交際の事実を認めたので、現在もまだかなりの騒ぎになっている。


 それまで女性にあまり縁のなかった淳吾だが、彼女という存在ができてから、こちらも急に異性から声をかけられるようになった。中にはかなり積極的なモーションをかけてくる女性もおり、いけないとわかっていながらも鼻の下を伸ばしてしまうほどだ。


 恐らくは高嶺の花と言われていた土原玲菜と交際中の淳吾を口説き落として、自分の魅力を周囲に示そうとしているのだろう。もしくは、単なる好奇心か。それ以外に、これほど急激にモテモテになる理由が見つからない。


 頭ではきちんと理解できていても、感情をコントロールするのは難しい。背中から不意打ち気味に密着されて、柔らかな感触を察知すれば理性が吹き飛びそうになるくらいドキドキする。


 淳吾だって思春期の高校生。異性への興味は他の学園生と同じくらいか、それ以上に持っている。ならば恋人ができれば急速に仲を進展させようと考えてもおかしくないが、ヘタレ根性が邪魔をしてできないでいた。


 加えて土原玲菜は、淳吾を本気で好きなわけではない。そこが何より引っかかっている点だった。だからこそ、他の女性に誘われれば、ホイホイついていきそうになる。


 実際そうできたらどんなに楽だろうと思っているものの、誰かにそんな情けない姿を目撃されたらどうしようと考え、行動に移せないでいた。もっとも、そうした性格が幸いして、現在まで醜態を晒さないでいられてるのかもしれない。


「前にも言ったけど、俺は野球部に参加するつもりはないんだ」


「でもさ、仮谷っちの目的って、アルバイトしながら未来のお嫁さんを探すことだったんでしょ?」


「は? み、未来のお嫁さんって、どこからそんな話を……」


「相沢が喋ってたよ」


 なるほどと頷く。相沢武であれば、情報を色々と膨らませて他人に教えそうだ。その点は納得できたが、他の部分に疑問が生じる。


 そのままにしておいても仕方ないので、世間話をするような感じで淳吾は栗本加奈子に聞いてみる。


「俺は仮谷っちで、相沢君はそのままなんだ?」


「え? ああ……相沢は相沢で十分。だってアイツ、アホだもん」


「……え?」


 相手女性の発言は、語尾にクエスチョンマークがつけるしかない内容だった。


 よりによって、まだ知り合って間もない人間をアホ呼ばわりするだなんて、とてもじゃないが考えられない。きっと何かがあったのだろうから、これ以上は踏み込むべきじゃないと判断する。


 しかし栗本加奈子は聞いてもないのに、どうして相沢武を嫌ってるのか説明してくる。理由は、実にくだらなかった。


「相沢さ、アタシが野球部のグラウンドに行くと邪魔だって言うんだよ。酷くない?」


   *


 栗本加奈子の言い分はこうだ。


 せっかく自分が土原玲二に会おうと足しげくグラウンドへ通ってるのに、いつも相沢武が邪魔をする。考えるに、栗本加奈子へ気があって恋路を邪魔している。


「モテる女は辛いわよね」


 本気か冗談かわからないだけに、迂闊な反応を示すのだけはやめよう。淳吾はスルーという無難な選択肢を選んだ。幸いにして文句は言われなかったので、ある意味正解だったのだろう。


「とにかく、相沢は相沢で十分なの」


「うるせえよ、邪魔女」


「今、何て言ったの!?」


 もの凄い剣幕で、詰め寄ろうとしてくる栗本加奈子に右手を突き出す。向かってくるのを制止したところで、先ほどの文句を言ったのが淳吾でないのを説明する。


 栗本加奈子を「邪魔女」と言ったのは、いつの間にか淳吾が所属する教室にやってきていて、近くに立っていた相沢武だった。


「うわ、出た」


「出たって、人を幽霊みたいに言うなっ!」


「幽霊みたいなもんじゃない。人の邪魔をするのが好きだし」


「いつも練習の邪魔をしてるのはお前だろ。用がないなら、わざわざグラウンドに来るな!」


「ねー。酷いと思わない?」


 状況を把握できないまま二人のやりとりを聞いていた淳吾に、栗本加奈子が唐突に話の矛先を向けてきた。巻き込まれたくなかったので、終わるまで傍観してようと考えてたのに、些細な努力が水の泡だ。


 とはいえ、二人が騒いでるのは淳吾の席のすぐ近くなので、どちらにしろ最終的には巻き込まれていた可能性が高い。


「なんだ、仮谷。お前、あんな美人な彼女がいるのに、こんなのにまで手を出してんのか?」


「こんなのって言い方はやめてくれる? それより仮谷っち、今のはどういうこと? アタシに気があんの?」


 あるわけないと即答はできないくらいに、栗本加奈子もそれなりに魅力的な女性ではあった。人によってはおしゃべりな性格を嫌うかもしれないが、挽回不可能なほどのマイナス点にはならない。


 そもそもいくら話好きだったとしても、少しも好意を抱いてない人間にはさすがの栗本加奈子も積極的に話しかけたりはしないはずだ。声をかけられるのは嫌われてない証拠なのだから、うるさいと考える前に感謝すべきなのだろう。


 などとどこぞの評論家みたいな考えをしてる間にも、淳吾を無視して栗本加奈子と相沢武が舌戦を繰り広げる。


「お前なんかとは比べものにならない美女を恋人にしてるんだぞ。仮谷がそんな血迷った気持ちを抱くはずがねえだろ」


「ちょ……! 相沢ってばデリカシーなさすぎ! だから野球部でピッチャーやってても、女子から告白されたりしないんだよ!」


「――っぐ! お、お前……言ってはいけないことを……」


「ふふーんだ。言ってやった、言ってやった」


 予想外の精神的ダメージを負って軽く落ち込む相沢武と、自らの勝利を確信して得意げにする栗本加奈子。そんな二人を呆然と見つめてるのが淳吾だ。


 先ほどまで話を向けられていたはずなのに、気がつけばこんな展開になっている。さらに疑問点をあげれば、相沢武はどうしてこの教室までわざわざやってきたのだろう。


 何か用事があるのなら早く済ませればいいのに、先ほどから栗本加奈子のペースに乗せられて、さほど重要ではなさそうな言い合いばかりを繰り返している。


 とはいえ気づいた点を指摘したりはしない。どうせ相沢武の用事は野球部絡みで、しかも標的は淳吾にほぼ間違いないからだ。厄介な事態になるくらいなら、目の前で栗本加奈子と遊んでてもらう方が何倍もありがたかった。


   *


 このまま時間切れになる公算が高いと判断していた淳吾だったが、一寸先は闇という言葉が示すとおりの予期せぬ展開が待っていた。


「で、相沢がこの教室に何の用なのよ」


 何も言わなくても淳吾の気持ちを察してくれればいいのに、いきなり栗本加奈子が相沢武に本題を話すよう促したのだ。まさに予想外で、冷や汗が全身から一気に噴出しそうになる。


 早く朝のホームルームよ始まってくれと願うものの、こういう時に限って時計の針の動きが妙に遅く感じられる。結果として、相沢武に口を開かせるのを止められなかった。


「忘れるとこだったぜ、今度、練習試合があるんだ。仮谷も参加するだろ」


 当たり前のようにしれっと言ってきてるが、もしかしたら土原玲二から話が伝わってないのだろうか。じっくり人の話を聞きそうなタイプではないので、その可能性も捨てきれない。


 仕方なしに淳吾は首を左右に振りながら、練習試合には参加しないと告げる。


「日曜の午前10時にうちのグラウンドで試合するからよ」


「……人の話、聞いてた?」


「ああ、もちろんだ。心配するな」


 ここで淳吾は半ば確信する。相沢武は、土原玲二からきちんと説明を受けている。だからこそ、こちらに有無を言わせないペースで練習試合への参加を決めようとしてるのだ。


 土原玲二に恋心を抱いてるらしい栗本加奈子も、野球部全体の話になると嫌ってるはずの相沢武ともあっさりと手を組む。二人がかりで強引に参加を決められるという、淳吾にとっては最悪な事態になりつつあった。


 ここまで話を聞いてくれないのであれば、淳吾も強硬手段に出るしかない。意を決して、淳吾は自分の机を両手でバンと叩いた。


「どうしても練習試合に参加させたいのなら、今すぐ退部届を貰ってくるから待っててくれ」


「な……! ちょ、ちょっと待てよ。たかが練習時代だろ。それくらい、いいじゃねえか」


 相沢武の隣で「そうよ、そうよ」と言ってる栗本加奈子は放置しておき、淳吾は相手男性の目を正面から睨みつける。


「俺が土原君と約束した内容はわかってるはずだ。野球部に籍を置くのは承諾したけれど、練習にも試合にも参加しない幽霊部員。それでいいと話はついている。反故にされるんなら、辞めようと考えて当然だろ」


「……そうかよ、悪かったな! そんなに嫌なら――」


「――相沢、ストップ!」


 怒りで肩を震わせる相沢武の言葉を途中で制したのは、相手男性の隣にいる栗本加奈子だった。直情的な女性だとばかり思っていたので、誰かを抑えるような行動をしたのが意外に思える。


「アンタ、ちょっと冷静になりなさいよ。元から嫌だって言ってた仮谷っちを、強引に入部させたのは相沢でしょ。焦ってどうすんのよ」


「……悪かったな、仮谷。今の話はなかったことにしてくれ。じゃあな」


 栗本加奈子の忠告を素直に聞き入れて、相沢武は淳吾に頭を下げてきた。もっとも、直後に背中を向けて教室をあとにしたことから、完全に納得してるわけではなさそうだ。


 相沢武の背中を見送ったあとで、今度は淳吾に対して栗本加奈子が忠告めいた発言をしてくる。


「仮谷っちも意固地になりすぎでしょ。練習とか試合に出ないけど、ベンチにだけ座ってるとか、色々やりようはあんじゃん」


「……いや、ないよ。俺の考えは変わらないし、どうしてもと強要されるなら、野球部を辞めるだけだよ」


「彼女さんとのデートが忙しいのかもしんないけど、ちょっと仮谷っちを見損なったかも。確かに誰だって事情はあるけど、少しくらい助けてあげたっていいじゃん!」


 強い口調でそう告げたあと、栗本加奈子は自分の席へ急ぎ足で戻る。朝のホームルームの時間が迫ってるのもあるが、すぐにでも淳吾の側から移動したかったのだろう。


 俺だって実力が伴ってれば、とっくの昔に助けてやってるよ。喉元までこみあげていた台詞を、すんでのところでなんとか堪えられたが、飲み込んだあとで妙に気分が悪くなった。


 まるで胃袋の中に押し込められた先ほどの言葉が、早く口から出させてくれと抗議してるみたいだった。

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