第10話 これで障害はなくなったな

 盛大に驚いて目をパチクリさせたあと、今一度だけ相沢武は土原玲菜に発言の真偽を確かめた。


 本当にデートなのか問われた土原玲菜は、頬を赤らめたりもせずにコクンと頷く。


 まだ出会ったばかりなので淳吾も相手女性の性格はよく知らないが、顔立ちだけならどこへ出しても恥ずかしくないレベルを誇っている。


 そんな女性とデートしてると知らされれば、いかに練習へ集中している野球部員たちとて興味を惹かれる。


 グラウンドの内外がにわかに騒がしくなり、否応なしに淳吾へたくさんの視線が注がれる。


「あれって、土原玲菜じゃないか」


「数々の男たちの告白を、すべて興味がないのひと言で断り続けてきた女帝だよな」


「え……デートって言ってたぞ」


「あの冴えなさそうな男と!?」


 聞きたくもないのに、説明的な言葉の数々が淳吾の耳へ届いてくる。


 聞こえないふりをしたくても「女帝」などという特徴的な単語が、鼓膜にこびりついて離れない。


 淳吾たちは私立群雲学園へ入りたてだから知らなかったが、どうやら土原玲菜はかなりの有名人みたいだった。


「あの……デートってことっスけど、どういう関係で……?」


 まるで代弁するかのように、この場を目撃している学園生たちが気になってるであろう疑問点を、相沢武が土原玲菜に尋ねる。


 今すぐに彼女の口を両手で塞いで立ち去りたかったが、そんな真似をすれば、翌日にはとんでもなく誇張された噂が広まってるはずだ。


「私と彼は恋人関係」


 躊躇う素振りなど一切見せず、美貌の女先輩は淳吾との仲をはっきりと説明した。


 相手女性が自分に恋愛感情を抱いてないと知りながらも、淳吾は多数の学園生に彼氏だと認識されてしまった。


 悲鳴にも似た驚愕の声が野球部のグラウンドを支配し、そこかしこでギャラリーだった学園生たちが携帯電話で通話を開始する。


 恐らくはスクープともいえる現在の出来事を、仲の良い人たちへ報告しているのだろう。


「お、お前……こんな美人と恋人!? どうなってやがるんだ!」


 ぎゃあぎゃあと騒ぐ相沢武のすぐ後ろで、ひとりの男が「そんなに美人なのか」と小さく呟いていた。


 それを聞いた相沢武が、慌てて背後を振り返る。そこに立っていたのは土原玲二だった。


「お前まで何を言ってやがる。どこからどう見たって、超がつくくらいの美人じゃねえか!」


「そうなのか。毎日見てると、気がつかないものなのかもしれないな」


「まあ、美人は三日で――何?」


「慣れる、だろ。野球を頑張るのはもちろんだが、もう少し勉強も――」


「違うっ! そんなのは俺でもわかってるっつーの! 聞きたいのは、毎日見てるという点についてだ!」


 今にも胸倉を掴みかねない勢いで、怒鳴るように相沢武が土原玲二へ質問する。


 以前にも似たような展開があっただけに、相沢武はなかなかに喜怒哀楽が激しい人物だとわかる。


「ああ、そんなことか。彼女は俺の姉さんだからだ」


「何ィ!? お前、こんな美人な姉さんがいたのか。何で教えてくれなかったんだよ!」


「知りたかったのか? それならすまないことをしたな。謝ろう」


「いや、そんなに素直に頭を下げられても困るんだが……と、とにかくっ! お前の姉さんと仮谷は付き合ってるってことか!?」


「俺も昼休みに知ったばかりなんだが、どうやらそうみたいだな」


 てっきりその時に知った事実を暴露すると思っていたが、土原玲二はそれきり口を開かなかった。


 そのせいで相沢武の視線が、再び淳吾に戻ってくる。


 爽やかな春風が冬の嵐に感じられるほどの冷や汗をかいているが、それを悟られないように淳吾は何故か興奮しまくっている野球部員の相手をする。


   *


「出会いが欲しくてアルバイトしたいとか言ってたくせに、彼女がいるんじゃねえか。羨ましいぞ、ちくしょう!」


 何故か淳吾は、おもいきり相沢武に怒られる。どう返していいかわからないので、とりあえず曖昧に笑っておく。


「けど、これで障害はなくなったな」


 怒っていたはずが一転、いきなり笑顔を見せる相沢武。そして淳吾は嫌な予感を覚える。


 何故ならつい最近、似たような展開に遭遇したばかりだからだ。


「さあ、野球部への入部届を書いてくれ」


 やっぱりかとため息をつきたくなるのを堪え、淳吾は大急ぎで首を左右に振る。


「どうして嫌がる。もう出会いを求める必要はないだろ。それとも、ハーレムでも作ろうってのか、この色男っ!」


 色男という表現が古臭く感じる台詞を涼しげに回避し、とにかくこの場から逃れようと必死になる。


 阿吽の呼吸というやつなのか、先ほどまで近くに立っていたはずの土原玲二が、いつの間にか入部届を手に持っている。


「ボールペン、持ってないなら貸すぞ」


 弟なら姉の暴挙を止めるべきだと思うのだが、どうやら土原玲二にそのような考えはないみたいだった。


 やっぱり自分の味方はいないのか。心の中で歯軋りをしたところで、現在の危機的状況を打破できるはずもない。


 とはいえ、このまま野球部へ入らされた日には、膨大な恥をかいた挙句に学園中の笑い者になるのは必至だ。


 そうなれば土原玲菜もさっさと淳吾から離れるだろうし、新たな恋人を作るのも難しくなる。


「何回も言うけど、俺は入部するつもりがないんだ。いい加減に諦めてくれ」


「減るもんじゃねえだろ。頼むから、俺たちを助けてくれよ」


「残念だが、減りまくる。俺の気力と体力と時間が!」


 相沢武みたいな気性の人間と睨み合うのは怖くて仕方ないが、ここで退いたら淳吾は晴れて野球部の仲間入りだ。


 自分の中にある根性をフル動員して頑張っている淳吾の上衣を、誰かがクイクイと引っ張ってくる。


 視線だけを動かすと、隣に立っている土原玲菜が変な紙を見ながら淳吾の制服を掴んでいた。


「……仮谷淳吾って、どんな漢字を書くの?」


 唐突な質問に驚いたものの、今はそちらに構ってる場合じゃない。口早に説明したあと、再び淳吾は相沢武と激論を交わす。


 どちらも真正面から自分の思いをぶつけているが、なかなか結論が決まらない。


 このまま時間だけが無駄に過ぎていくのかと思いきや、これまた唐突に土原玲菜が「これでいいわ」と呟いた。


 何がこれでいいのかと相手女性を気にしてみると、弟の土原玲二に持っていた正体不明の紙を手渡した。


 ハテナマークの大群に襲われる淳吾を尻目に、何故か相沢武がニヤリとする。


「ようこそ、仮谷君。野球部へ」


「はあ?」


 妄想のしすぎで頭がおかしくなったのかと思っていたら、土原玲二までもが静かに頷いている。


「まさか姉さんと交際するために、野球部へ入るのを承諾するとは思ってもいなかったけどな。だが、どういう過程で恋人関係になるのかは、本人たちの自由だ」


「……何を言ってるんだ?」


 ますますわけがわからなく淳吾の服を、再び土原玲菜がクイクイと引っ張る。


「入部届、出しておいたわ」


「……出した? 入部届?」


 ここで先ほどの光景が蘇る。土原玲菜は、確かに弟へ変な紙を渡していた。


「まさか、あれは……」


 恐る恐る土原玲二が持っている紙の内容を尋ねると、案の定な回答が返ってきた。


「これか? これは野球部の入部届だ」


   *


「じょ、冗談じゃない!」


 たまらず淳吾は、そのように叫んでいた。


 こんなのは騙まし討ちも同然で、とても納得できるようなものではなかった。


「人をコケにするのも大概にしてくれよ。こんなの、詐欺じゃないか!」


 淳吾の知らないうちに、こちらの意思を無視して入部届が提出されていたのだ。怒るのは当然だった。


 何故か不思議そうな顔をしている土原玲菜の側で、やっぱりなという感じで土原玲二がため息をつく。


 弟の反応にじーっと見たあとで、姉は「何か問題でも?」と言ってのけた。


 問題ありませんとばかりに首を左右に振るのは相沢武ひとりだけで、他の面々は揃って苦笑いを浮かべる。


「恋人付き合いをしてるとはいえ、相手の承諾もなしに提出された入部届は受け取れない」


 ありがたいことに土原玲二は入部届を返そうとしてくれたが、諸悪の根源でもある我侭投手が全力で阻止をした。


「何を言ってんだよ。せっかく手に入れた入部届を有効活用しなくてどうする!」


「俺はこういう方法は好かない。悪事の片棒を担ぐのはごめんだ」


 野球部のバッテリーのやりとりに、事態を悪化させるエキスパートの女性が口を挟む。


「悪事なんてしていないわ。彼は恋人を得たいがために、野球部への入部を拒んでいたのでしょう。問題はすでに解決しているわ」


 だから野球部にも入れるなんてのは暴論もいいところなのだが、脳内が独自の進化を遂げている先輩女性にはそんな指摘も通じない。


 この場から逃げてしまおうかとも思ったが、先ほどそれを実行して見事に追いつかれてしまったばかりだ。


 となれば方法は説得するしかないのだが、とてつもなく難しいのはこれまでの展開からも明らかだ。


「確かにそうかもしれないけど、俺はやっぱり自分を好きでいてくれる人と付き合いたい!」


 恥も外聞も投げ捨てて、淳吾は激しい論争を繰り広げる野球部とその関係者に宣言した。


 土原玲菜が本当は淳吾など好きではないと知られてしまうが、それよりも野球部に入部しなくて済む方を選んだ。


 事情を知っている土原玲二以外の連中は、揃ってきょとんとする。淳吾が何を言ってるのか、すぐには理解できなかったらしい。


 そんな中で最初に口を開いたのが、土原玲菜だった。


「そこが問題だったのね。わかったわ」


 今度は、淳吾が目をぱちくりさせる番になる。突然のわかりました発言のあと、さらに土原玲菜は衝撃的な言葉を続ける。


「私が貴方を、心の底から好きになれば問題ないのね」


「へっ!? いや、あの、それは……」


 まごまごする淳吾に歩み寄ってきたかと思ったら、土原玲菜はするりと両腕を腰に回してきた。


 野球部連中だけではなく、グラウンドでは多数の学園生たちが淳吾と土原玲菜を注目していた。


 そのような状況下で熱い熱い抱擁がかわされたのだ。これはもう、ある種の事件も同然だった。


 盛り上がる一同の野次やからかいも気にならないくらい、淳吾の心臓はドキドキしまくっていた。


 いまだかつて、ここまでの動悸を覚えたことがあっただろうか。極度の緊張で顔が熱くなり、思考回路もショート寸前になる。


「毎日、お弁当も作ってくるから、一緒に中庭で食べましょう」


「え、あ……はい……」


 髪の毛先から伝わるほのかなシャンプーの香り、密着している肌の温もり。それらが淳吾から、正常な判断能力を奪った。


 土原玲菜の魅力でポーっとしているところに、相沢武がとっておきの策を行使してくる。


「じゃあさ、野球部に入るだけでいいぜ。無理に練習へ参加しろとは言わない。籍を入れてくれるだけでいいからよ。それならお前も困らないだろ」


 相沢武の提案が悪くない譲歩案に思えて、ついうっかり淳吾は「それなら、いいかな」と言ってしまった。


「よし、決まりだ。これでお前も、今日から野球部員だ」


 土原玲菜が離れて、正気に戻ったところですでに遅い。淳吾は自身の犯した最大の過ちに、頭を抱えるのだった。

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