未来で待ち合わせ
定食亭定吉
1
千夏(ちなつ)の幸せは続かなかったのか?
「あの書類、用意しておいた?」
朝、玄関で千夏の夫、優作が出勤するところだ。
「何の書類?聞いてもいないし」
「昨日、言った会社の企画書」
「そんなもの自分で用意出来るでしょう?」
いつものように、千夏を家政婦のように扱った態度にイラつく。
「朝から何やっているの?」
最近、高齢で足腰は弱まり始めた、姑のトメ。しかし、口達者。
「嫁というのは」
いつものように説教が始まる。飼い猫も呆れたように背伸びして、トメを見る。
「うるせーな。朝から」
反抗期の息子、拓也が起床。高校をすぐに退学し、千夏も何をしているかわからない。
朝のお決まりの茶番を終えて、出発する千夏。今日は週二で通うブラジリアン柔術の日で、しかも金曜日。それを考えれば清正とした気分だった。
会社は、自宅から三十分ぐらいの距離に所在した。
「おはよう!」
会社に到着するなり、肩を揉んでくるセクハラ上司男の笹山。
「おはようございます」
無表情に仕返し、逃げるように持ち場に付く千夏。まず残業のない部署なので、アフターファイブは、妻でも母でも、嫁でもない一個人、千夏としての時間を楽しめる。昔から、群れて行動するタイプでないので、一人で昼食を食べたりする。時間に追われたりしながら、無難に仕事を終え、定時の十七時になり、素早く退社。帰宅せず、そのまま道場に向かう。会社と自宅の中間ぐらいに、道場はあり、十七時半ぐらいに道場へ到着。
「こんにちは」
気弱そうな青年、二十代後半ぐらいの大野。待ち合わせしているわけでないのに、なぜか毎回のように、道場に到着すると同時に顔合わせる。
「よく一緒になるね?仕事帰りなの?」
「いいえ。無職でして」
「なるほど」
何か聞きづらい事を聞いてしまった千夏。
数分で道場に到着。生徒は社会人に多く、パラパラと仕事から直行して来る。みんな色んなバッグホーンがあるのだとしみじみする千夏。
準備運動、ストレッチ、基礎トレをやり、スパーリングをする一同。
「ねえ、スパーリングやりましょう?」
千夏は大野を誘う。
「はい。お願いします」
何か、男性の中でも頼みやすい存在だった彼。
数分間、技をかけ合う二人。ふと、彼の下半身が反応していたのがわかった。だが、そこは知らぬふりをする。それにセクハラ上司の笹山に胸や尻を触られる事よりは、可愛げはあった。互いに全力で、わずかに千夏が優勢だった。
「すいません。つい」
素直な大野。
「あー。気にするな」
彼の頭を撫でる千夏。
楽しい時間は早く、帰宅時間となった。自然と一緒に帰る二人。
「あなた、何でブラジリアン柔術、やっているの?」
千夏は大野に聞く。
「モテたいからです」
「そうか。私で良ければ付き合ってやるぜ!」
「えっ?」
とぼける大野。
「今は駅までだけどな。後、何年か待っていたらな」
一応は自分の立場を考える。
「はいっ!」
未来に待ち合わせ二人。
それからというもの、毎週、火、金曜の夜が楽しみだった二人。互いにライバルであり、友人であり、それ以上を目指すため、非日常である、ブラジリアン柔術を楽しんだ。
技をかけ合う二人。見えないゴールがあるからこそ、継続できるのか?それに比べ、千夏の日常にはゴールがあった。やがて、母親としての責任も終了し、妻であり、嫁も降板した。
互いを確かめ合うように、今日も技をかけ合う。やがて、非日常のブラジリアン柔術が違う日常へと導いた。千夏と大野は結ばれた。
未来で待ち合わせ 定食亭定吉 @TeisyokuteiSadakichi
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