第九話 外出




 ――ピクニック


 聞くだけで心が弾むような、比較的明るい部類に入るであろう単語。その単語を聞いて思い描くのは、きっと皆、似たような光景だろう。

 緑生い茂る自然の中、親しい間柄の者と、手作りのお弁当を食しながら語らう穏やかな時間。美味しい物を食べ、自然豊かな光景を見れば、きっと心を癒されること間違いなしだ。

 日頃の疲れや蓄積された負の感情を軽減し、さらには親しき者との親睦をより深める。ああ、なんて素晴らしい時間なのだろうか……。


 考えるだけで心が踊る。故に思うのだ。


「ちがう! 絶対におかしい! こんなものは断じてピクニックではない!!」


 頭を抱えて私は叫ぶ。理想と現実の違いに、既に心は絶望一色だ。

 どうしてこうなった。理由は既にわからない。


「もう、ガレイスってば。まさかそんなにピクニックを楽しみにしていてくださっていたなんて……口では嫌がりつつも心は素直。ツンデレですね!」


「殴るぞ」


 マジトーンで言えば、リリィは素早く己の頭をガードした。本気で殴られると思っているようだ。強く目を閉じ、軽く身を引いている。

 そこまで怯えられるとは思っておらず、私は慌てて謝罪をしようと口を開いた。が、……。


「さあ! どこからでもかかってくるがいい! 私に触れたが最後です! あなたの四肢は宇宙圏外まで吹き飛びますよ!」


「怯えるフリしてなんて恐ろしいことを口走るんだ貴様は!!」


 一瞬でも騙された自分が馬鹿らしいではないか。

 ため息と共に再び頭を抱える。同時に遠くから、何か奇妙な、生物の声らしきものが聞こえた気がした。


 私たちは今、外にいた。あの禍々しいとも言える魔の空間に、なんの準備もなしに飛び込んでいる状態だ。

 あえて装備品をあげるならば、リリィが魔法なるもので出現させた、お弁当入りのバスケット。彼女はどこまでもピクニックを楽しみたいようで、数分前に「狩りの後にぜひ!」と笑んでいたのを思い出す。


 ――……まず狩りとはなんだ。


 そこから説明してもらいたい。


「……狩り、か」


 呟き、思考を巡らせる。


 そういえば少し前、店の中で交わされたリリィと夜の支配人なる変質者の会話。その内容に狩りのことが含まれていた、というかほぼ狩りの話をしていたような気がする。私の記憶が正しければ、なのだが。


「……夢喰いを、狩る?」


「その通り」


 変質者が答えた。

 貼り付けたような笑みを浮かべたまま楽しげに頷くその姿に、どこか嫌気がさす。私はどうも、この男が苦手なようだ。理由はわからない。とにかく、苦手なのだ。


「夢喰いとはなんだ? なぜそいつを狩る?」


 男を睨むように一瞥した後、リリィを見る。彼女は手にしたバスケットから取り出したサンドイッチを片手、「はい!」と子供のように明るい返事を一つ。その後、手にしたそれを食しながら、詳細を教えてくれる。


「んぐんぐ……ごくっ。夢喰いはですね、夢を食べて生きる生物なんです。大きさは彼らが食した夢の量により変化するので、決まったサイズなどはありません。比較的穏やかな生物で、こちらが危害を加えない限りは特に何もしません。ぼーっとしてます。はむっ」


「歩くか食べるか、どちらかにしろ。行儀が悪いぞ」


「すみませんお母さん」


「誰がお母さんだ!」


 どこをどう見てそうなった。

 ふざけるなとリリィを叱れば、彼女はそそくさとサンドイッチを口に詰め込みつつ逃走。男を盾に、隠れるように私を見る。


「……野蛮鳥」


「殺すぞ」


 リリィはすかさずその身を隠した。


「……おやおや、なんて仲が良いのだろうか」


 戯れる(と表現するのはひどく不愉快極まりないが)私たちを見た男が、肩を竦めながらそう言った。いきなりなんだと視線を向ければ、男の細い目と視線がかち合う。底冷えするような冷徹なその眼に、背筋が凍った。


「これではまるで、俺は邪魔者。仲睦まじき恋人の間に割り込む空気を読めぬ第三者のようだ。ああ、なんと悲しいことか……」


 細い指で額を抑えて首を振る。それから奴は顔を上げてこう言った。


「して、我が愛しのリリィよ。今晩は焼き鳥などどうかな?」


「おい待てやめろ」


 嫌な予感がし、すかさず拒絶する。そんな私に、男は笑った。愉快そうに、ケラケラと。

「冗談さ」なんて軽く口にする彼の目はしかし、笑ってはいない。こいつ、実はかなり嫉妬深い輩ではなかろうか。

 冷や汗をかきつつリリィを見る。無言で顔を逸らされので、どうやら私の考えは近からずも遠からずのようだと判断した。やはりこの男は苦手である。そっと距離をとり、咳払いをする。


「あー……そ、そういえば、目的地はどういう場所なんだ?確か黒き泉がなんとか……」


 この現状はよろしくない。話題を変えよう。

 慌てて話を逸らした私に、合わせるようにリリィが出てくる。彼女の手と口にはもう、サンドイッチの痕跡すら残っていない。


「はい。黒き泉。その名の通り黒い泉のことです。別名夜の泉とも呼ばれますね。とても綺麗なんですよ」


 横目で男を確認しつつ語るリリィ。その口から発された内容は、私の好奇心をくすぐった。


 夜の泉。別名でもなんでも、そう呼ばれるということは、その名に合った光景が広がっているということなのだろう。

 夢喰いなんぞより、こちらの方が断然気になるではないか。あまり乗り気ではなかった外出も、少しくらいは楽しめそうだ。


 幻想的であろう光景を脳裏に思い描き、気分を明るくした私の歩みは自然と早まる。

 全くもって単純な奴だ。自分で思った。

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