第四話 トリアタマの迷い人




 気づけば知らぬ場所にいた。見たことのない景色、吸ったことのない空気が辺りに広がっている。


 ここはどこで、私はなぜこのような所にいるのだろうか。


 疑問に思うも、なぜかその答えを求めようとは思わなかった。

 それで良いと思った。それこそが正解である気がした。


 私の名はガレイス。鳥の頭を持つ男。

 人間から見れば異形の者であること間違いなしの風貌だが、これでも確かに生きている。


 生きている。そう、生きているのだ。


 赤い空の下、道と呼ぶに相応しくないひび割れた歩道をゆっくりと進む。地面すれすれまで傾いたビルの、割れた窓の隙間から、羽と足が多く生えた奇怪な生き物が滑り出てきて宙へと舞った。


 見たことのない生き物だ。あれはなんという生物なのだろうか。

 気になるが追うことはしない。追ったところであれの詳細はわからないと思ったからだ。


 私は進む。

 ただひたすらに。

 その先に何があるのか。

 予想も推測もできぬままに。


 ふと、明かりが見えた気がした。誘われるように足を進める。


 このまま進んで大丈夫なのだろうか?

 わからない。わからない。

 しかし、足は止まらない。


 暫く歩くと、扉が見えた。エメラルドグリーンの淡い光が漏れている、不思議な扉だ。

 どこか不思議な感じがする。まるで、そう、夢を見ているような……。


 ドクドクと心臓が高鳴った。

 何かを恐れるように。同時に期待するように。私の胸の内に何らかの感情が広がっていく。その感情の名は、残念ながらわからない。


 手を伸ばし、扉に触れる。

 するとどうしたことか、扉は押してもいないのにゆっくりと開き、私に新たな景色を見せてくれた。


 まず視界に写ったのは淡いエメラルドグリーンの光を発するランプだった。多種多様な形のランプたちは、屋内のいたる所に、ひっそりと設置されているようだ。


 天井、壁、床、机の上、机の下。どういうことか床にめり込んでいるものまである。不思議なものだ。


 私は一番近くにある、天井から吊された古風なランプに近寄った。手を伸ばし、ソッと触れてみる。

 不思議と熱くはなかった。寧ろほんのりとあたたかく、心が安らいでいくような気がする。


 指先でランプに触れたまま、興味を惹かれてその中を覗いてみた。

 ふわり。視界の中で何かが揺らぐ。ジッと目を凝らしてみた。


 光だ。エメラルドグリーンに輝く光の球体。それが3つ、まるで生き物のように、上下左右にふわりふわりと揺れているではないか。


「ほお、美しい……」


 思わずといった風に、開いた口から感嘆の声が漏れる。


「これは一体、どのような仕組みなのだ? 生きているのか? それとも私の脳が勝手に作り出した幻か?」


 どちらにせよ良いものを見れた。これが幻ではなく現実であるならば、ぜひ買い取って家に飾りたいくらいには気に入ってしまった。

 食い入るようにランプ内を見つめ続ける私。そんな私の背後で、クスクスと押し殺したような笑い声が発される。


「気に入りましたか?」


 やんわりと、弾む心を落ちつかせるような声が鼓膜を揺らす。私は慌てて振り返り、声の主を視界に写した。


 少女だった。幼い顔立ちの、美しい少女。

 ふわりとした真っ白なワンピースと黒いコートを身にまとい、腕にはなにやら毛玉のような生き物を抱えている。


 あれは何だろう。見たところ、犬、のようだが……。


 密かに悩む私を前、少女は鬱陶しげに垂れた黒髪を背後へ払う。

 そして、改めてと言いたげに腰を曲げ、頭を下げた。


「いらっしゃいませ、お客様。今宵はどのような『夢』をお探しでしょう?」


 そんな言葉と共にゆっくりとあげられる少女の頭。完全に元の位置へと戻ったその顔には、張り付けたような笑みが浮かべられていた。その笑みは何度か目にしたことのある、営業スマイル、というものに酷似しているような気がする。


「……いらっしゃいませ、ということは、ココは店か何かなのか? いや、それよりも『夢』、とはなんだ?」


 聞いたことのない商品名だ。どこかの国で新しく作られた機械か何かだろうか。

 グルグルと思考を回し考えるも、少女から返ってきたのは、私の考えとは全く違う、驚くべき答えだった。


「簡単に説明すれば麻薬のような物です」


「まやっ!?」


 ギョッとする私を前、少女は腕に抱えていた毛玉犬を床へ。そうして適当な棚へと近づき、その中からテニスボール程の大きさの瓶をソッと取り出し、私に見せる。


 少女が差し出している瓶はガラス製の瓶だった。少し力をくわえただけでもヒビが入ってしまいそうなくらい薄いガラスだ。


「……これが?」


 私は思わず腕を組み、首を傾げる。

 瓶の中身は空っぽだった。麻薬であろう白い粉のような物や、錠剤などは残念ながら見受けられない。

 いや、決して残念ではなく寧ろ喜ばしいことなのだが、そこはあえて置いておこう。しかしだ、何も入っていないのに、これが麻薬だと言われても正直反応に困ってしまうのが事実。


 もしや、少女は私をからかっているのだろうか?

 そうであれば、私は大人としての対応をせねばならないのかもしれないが……。


「ふふっ、触ってみますか?」


 楽しげに問いかけてくる少女。


 私はとっさに見つめていたガラス瓶から目を離し、片手をあげて一歩後退する。


「遠慮しておこう」


 大人の対応はやめた。万が一ということもある。警戒するにこしたことはない。


 少女は私が瓶に触れるつもりがないことを理解すると、手にしていたそれをカウンターの上へ置いた。そしてまた、柔らかな笑みを浮かべてみせる。


「いらっしゃいませ」


 客を迎える言葉が少女の口から発された。とっさに振り向けば、いつの間にやって来たのか、私の背後に人がいるではないか。


 いや、ちがう。これは人ではない。


 羽のように長い耳にしわくちゃの顔。大きな鼻にボタンほどの小さな目。明らかに大きすぎる靴はキッチリと磨き上げられているのに、小柄な体を包む貴族風の衣装はボロボロだ。

 なぜそのようになってしまったのかと問いかけたくなる格好をしているその客人は、少女を見るとにこやかに笑ってみせる。


「おぉ、店主よ。今宵もまた美しきお姿よの」


 微かに震える手で杖をつき、そんなことを言いながら奇妙なその生き物は少女の方へ。真ん丸とした巨大メガネの下で、ギョロリと小さな目玉を動かす。


「いつものを頼む。在庫はあるかね?」


「ございますよ」


 慣れたような会話。店の奥に設置されている棚へと近づいていく2人を視界、私は考える。


 いつもの、ということはこの生き物は常連客かなにかなのだろうか。少女が言うに、夢は麻薬。麻薬は種類によってはとんでもない身体異常を引き起こす可能性がある。とすると、だ。

 麻薬の副作用により、コイツはこんな姿になってしまったのではないか?元は正しい姿形の人間だったかもしれない。普通に産まれ、普通に生活し、普通に生きるただの人間だったのかも……。


 …………いや、さすがにそれはありえないか。


 馬鹿げた考えに軽く頭を振り、ため息を一つ。

 私はそもそも、なぜこのような所に、いつまでも居座っているのか……。


 ……帰ろう。


 くるりと踵を返した。そして、店の出入り口へと向かう。


「おや、お帰りになるのですか?」


 少女の声が聞こえ、視線だけを彼女の方へ。カウンター内で微笑む彼女に、私はたまらず己の嘴を軽くかく。


「いやはや、何も購入せず申し訳ない。しかし、私は別に用があってココに来たわけではないので……」


「そうですか。では、またのお越しをお待ちしております」


 ひどく丁寧な一礼。

 またもなにも、別にもう一度来るという予定はないのだがどうしたものか……。


 曖昧な笑みを浮かべ、私も一礼。すぐさま顔を上げ、扉へと片手を当てる。


「──明日、またお会いしましょう」


 最後に聞こえた声音は、ゾッとするほど優しかった。

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