第三話 就寝
「ありがとうございました」
キッチリと頭を下げ、礼を述べる。お客様はそんな私の前、過去の詰まった夢を手に、透けるように消えていった。恐らく元の世界に帰ったのだろう。
私はお客様から受け取ったお金を手に、カウンターの方へ移動する。それを見て、棚の上にいたクロが飛びついてきた。「おっと」と小さな声を出して小柄なその体を受け止める。
「相変わらず甘えん坊ですね」
クロは返事を返すように吠えていた。
気を取り直して、カウンターの裏に回る。そこから赤い、一つの四角い箱を取り出し、コンコンッと箱のフタを二回ほどノック。
「マネくん、お仕事ですよ」
声をかければ、ガチャッという軽快な音を響かせ、ゆっくりと箱のフタが開かれた。
「……あー、ったく。なんだいなんだい?こんな時間に仕事かよ。勘弁してくれやリリィ」
そんな小言と共に箱の中から顔を覗かせたのは、葉巻を加えた小太りなおじさまだ。
身長は僅か20センチ。とても小さい。当然だ。彼は小人と呼ばれる類の生物なのだから、小さくなくては逆におかしい。
私はにこりと微笑み、おじさま――マネくんにお客様よりいただいたお金を差し出す。
「文句を言わずに働いてください。一応居候の身でしょう?」
マネくんはグッと言葉を詰まらせた。痛い所を突いてしまったようだ。
半ばやけくそに、ひったくるように私の手の中からお金を受け取り、マネくんはその小さな顔が歪むのではないかというほど、大きく、歪に、口元を尖らせた。
「ったく! リリィは人使いが荒いんだよ!」
「ありがとうございます」
褒め言葉です。そう続ければ、彼は顔を真っ赤にして「褒めてない!」と言った。
もちろんそんなことは知っている。わざとだ。
ブツブツ文句を言いながら、しかし丁寧な動作で札束や小銭を数えていくマネくん。その仕事姿を、私はぼんやりと眺める。
見てわかる通り、マネくんの仕事はお金の計算だ。
ここに来るお客様は払うお金が全くと言っていいほど違うので、彼の存在は正直ありがたい。
ありとあらゆる物を見定め、その価値をはじき出すその才能はまさに天性のもの。口の悪さはいただけないが、助かっているのもまた事実。蔑ろに出来ないのが悔しいところである。
調子に乗るので決して言わないが。
「合計金額、四万六千円。物的価値、二万」
そんなことを考えていると計算が終わったようだ。「しけてんな」と文句を述べる彼の頭を咎めるように指先で弾く。
呻くマネくん。その腕の中からお金を受け取り、私はそれらを何事も無かったようにレジに仕舞う。
「リリィー。腹減ったぁ」
情けない声を耳に振り返れば、箱の縁に背を預けてふんぞり返るマネくんの姿が見えた。実に偉そうだ。恐ろしい程に箱を倒してやりたい衝動に駆られながら、私は時計を確認する。
「夜の19時……」
まあ、ちょうど良い時間だろう。
「わかりました。すぐ用意しますね」
一つ頷き、私は部屋の奥へと足を進めた。
さてはて、今日の食事は何にしよう。最近のマネくんの体重と見た目を考えると、ヘルシーな物がいいかもしれない。
となれば野菜は欠かせない。肉が食いたいと言われる可能性もあるがそこは笑って流しておこう。彼のためでもあるのだから。
薄暗い通路を抜け、エメラルドグリーンの薄いレースがかかった部屋の前へ。レースを片手で押しのけ、その下を軽く背を丸めてくぐり抜ける。
レースの先にあったのはキッチンだ。白で統一された清潔感ある空間。今日も見えない掃除担当者がよく働いてくれたようで、部屋の隅から台の上までピカピカに磨かれている。
流しの前に立ち、私は軽く袖を捲った。それから棚の中から必要な道具を引っ張り出す。
鍋。フライパン。ボールにまな板。出した道具は台の上へ。一通り道具を揃えたら次は食材だ。手垢一つ見当たらない銀の取っ手を掴み、冷蔵庫を引っ張り開ける。
中には色とりどりの食材たちが、キチンと整理され並べられていた。こんな所まで掃除してくれるとは、いやはや実にありがたいことである。
心の中で感謝しながら、レタスやキュウリ、トマトといった新鮮な野菜を調理台の上に移動させる。その際、あらかじめ用意していた道具たちは所定の位置に設置。邪魔にならないよう気をつける。
よし、準備はできた。まずは野菜の盛り合わせから作ろうではないか。
笑みを浮かべ、包丁を手に持った。
数十分かけて完成したのは、サラダの盛り合わせととんぺい焼きの二品。とんぺい焼きの中身はキャベツともやしが詰め込まれており、ソースは少なめ。物足りないと文句を言われるのは確実だが、まあ仕方ない。彼が太るのが悪いのだ。健康第一。肉ばかり食べさせるような贅沢なんてさせられない。
なにより私自身、あまり肉が好きではないのだ。食べられるのは食べられるのだが、できることならあまり食べたくはない。味が、こう、苦手なのだ。味が。
できた料理たちを皿に盛り付け、銀のトレーの上に乗せていく。
「リリィー! はーやーくー!」
遠くからマネくんの声がした。もう限界らしい。早すぎる。彼はいい加減、待つということを覚えた方がいいのではなかろうか。これではクロ以下である。
私は苦笑を浮かべながら、棚の中から透明なグラスを2つ取り出し、それらをトレーの上へ。氷を入れ、お茶を注ぎ、マネくんの使用するグラスには細長いストローを突き刺しておく。
これで食事の用意は終了だ。
料理の乗ったトレーと、クロ用のご飯を手に、私はキッチンを後にした。
「――あー、肉ないじゃん。なんで肉ないんだよ。肉ぅー」
案の定というかなんというか、やはり肉が見当たらないことに文句を言いながら身の丈ほどあるフォークで器用にトマトを突き刺すマネくん。
そんなに肉が肉がと言っているから太るのだ。痩せろ。少しくらい。
心の中で呟きながら、膝の上に乗ってくるクロを片手で撫でる。もふもふとした毛の感触は、いつ触れても良いものだ。
「しっかしよぉ、リリィ。お前さんももうちょい賢く商売したらどうだい? 今回売った夢、まだ多く金が奪えたろうに……」
小さな口の中にトマトを押し込み、マネくんは言う。
「いつまへも、ひゃふにあまひほは、ふひひはほほほおほ」
「食べながら話さないでくださいね。何言ってるかわかりませんしなにより汚い」
マネくんが座る机の上に散乱する大量のトマトの汁。それを指差し指摘すれば、マネくんは慌てたように口内に存在する物をゴクリと飲み込んだ。
「ゲフッ」
ああ、汚い。
腹にたまったガスを吐き出す彼に些か冷めた視線を送る。どうして彼はこうも礼儀作法がなっていないのだろうか。思わず頭を抱えたくなってしまった。いや、思わずというか既に抱えている。
「あー、つまりだ。俺が言いたいのは、だなー」
何事もなかったように、中断されていた話が再開された。
「リリィはよ、甘すぎるんだよ。客に。こっちも商売なんだからちゃんとした額は貰わねえとやってけねえぞ」
「そうでもないですよ? 現状はそれなりに良いものです」
嘘ではない。実際、私は金銭的な面で特に不自由はしていないし、働いている子たちの給料だってちゃんと払えている。幾ら安く商品を売ったとしても、こちらに大した打撃はないのだ。
まあ、それもこれも、毎回高額の代金を支払ってくれる常連さんたちあってのものなのだが……。
マネくんは「そうじゃなくて」と頭を抱え、あーだうーだと悩み出す。何が言いたいんだ。ハッキリしろ。ムダにモヤモヤ感が増えていくことに多少の苛立ちを感じる。
と、その時だ。
「夜が来るー! 夜が来るよ! いらっしゃーい! おやすみする奴はバイバイさー! さっさとくたばれ就寝バイバイ! 朝になったらコケコッコー!」
陽気な声が外から聞こえてきた。成人した男性のような、しかしどことなく子供っぽさを感じさせる独特な声だ。
「げえ、もうそんな時間かよ」
マネくんはうんざりしたように頭をかき、視線を私へ。
「おいリリィ! 戸締まり早く!」
「はいはい」
言われなくてもわかっています。
話も食事も中断し、私はよいしょと立ち上がる。そのまま店の出入口を開き、一歩外へと踏み出した。
この世界の夜は非常に危険だ。そのため、戸締まりは早めにしておかなければならない。一度どうなるのか検証すべくカギを開けていたら、えらい目にあってしまった。その時のことはまだ鮮明に覚えている。実に良い思い出だ(マネくんからは怒られたが)。
店先に吊してある、『外からは見えない』ランプ。その銀色のふたをパカリと開けば、ランプの中に入っていた光たちが一斉に外へと飛び出していく。
「リリィ! また明日ねー!」
無邪気な子供特有の高い声を発し、笑いながら飛んでいく光たち。私は徐々に見えなくなる彼らに手を振り、店内へと戻り、扉を閉めた。
「……さて、皆さん。今日もご苦労様でした。明日に備えてしっかり休んでくださいね」
扉にカギをかけ、振り返りながら告げる。その言葉に従うように、店内を照らしていた明かりが一つずつ、ゆっくりと消えていった。
「リリィ、ちゃんと寝ろよ」
「わかっていますよ」
箱の中へと帰って行くマネくんを尻目、残った食事と空になった皿たちをトレーに乗せる。そして、店の奥へ。汚れた皿をキッチンの流しに積み重ね、そそくさと二階へ移動した。
二階は私の、私生活用のスペースである。
リビング、カウンターキッチン、お風呂場、寝室、空き部屋。わりと多くの部屋が存在しているが、ここを使うのは私だけ。しかも食事は一階でとるため、お風呂場と寝室以外はほぼ使用していない状態だ。いっそ誰かもう一人くらい居候が増えれば良いと思っていたりする。
お風呂で一日の疲れをとり、服を着替えて寝室へ。濡れた髪が渇かぬうちに倒れるようにベッドにダイブし、布団の中へと潜り込む。
「クロ、おいで」
ブンブンと尾を振りながら床の上に座っているクロ。ソッと手招けば、クロは「わふっ!」と元気な鳴き声を発して勢いよく私の腕の中へと飛び込んでくる。そのまま、彼は私の体にすり寄るように身を丸めた。
「おやすみなさい」
良い夢を見れますように。
願いながら、目を閉じた。
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