第17話 世界で一番美しいもの

「さあ、今度はどこに行こうか。どこでもいいよ。外国だってかまわない。私はなんだか楽しくなってきたんだ。僅かだが、退職金もある。一回くらいなら君を連れて海外にも行けるだろう」

 今日もいつものように、絵本美術館にやって来た少女に、意気軒昂に館長が言った。

「もういいわ」

 だが、落ち着いた調子で少女は言った。

「どうしてだい?」

 館長は予期しない少女の突然の答えに、少し驚いて少女を見た。

「わたし、本当はもうほとんど目が見えないの」

「えっ」

「もう光と物の輪郭しか分からないわ。だからもういいの」

「いつからだい」

「ほんというと、もうずっと前から」

「そうだったのか・・」

「もうここへ来るのも大変になってきたの」

「そうだったのか・・」

「ありがとう、おじいさん」

 少女が館長を見上げる。

「・・・」

 館長は、悲し気にそんな少女を見返した。

「結局、君に世界一美しいものは見せてあげられなかったな・・」

 館長が呟くように言った。

「ううん、いっぱい見たわ。絵も景色も花火もいっぱい。それに夕日も。本当にありがとう。とても楽しかったわ」

「私も楽しかった。自分に子どもが出来たみたいだったよ」

「これでお別れね」

「また来ればいい。いつでもおいで」

「ううん、もうここへは来れないの」

「どうしてだい?」

 館長が驚く。

「私は盲学校に行かなければいけないの」

「そうか、そうなのか・・」

「この町にはないから、遠くへ行くんだって、お父さんが言ってた。だから、もうここには来れないの」

「そうか・・。そうなのか・・、寂しくなるな・・」

 館長が悲しい顔をする。

「わたしも」

 少女も悲しそうに言った。

「これから君は大変な人生を生きることになるんだな」

 館長が言った。

「私は平気よ」

 以外に元気そうに少女は答える。以前のあの悲し気な雰囲気は微塵もなかった。

「本当かい」

「うん、本当よ。見ることにも時間があるの。生きることと同じように。私はそれが短かったの」

 少女は言った。

「・・・」

「だから、しょうがないわ」

 少女は明るく言った。少女は自分の中で、何かを吹っ切ったみたいだった。

「そうか・・」

 でも、なんだか館長はやるせなかった。

「おじいさんと見た夕日はとてもきれいだったわ。あれはおっきいからよく見えた」

 少女が言った。

「そうか、私も君と見れてとてもうれしかったよ。色んな事を気づかせてもらったしね」

 館長は少女を見た。

「私もよ、多分一生忘れない。おじいさんと奥さんの思い出も」

「そうか、うれしいよ。君は本当にいい子だ」

 館長は、愛おしそうに少女の頭をなでた。

「最後にまたあの場所で夕日が見たいわ」

 少女が言った。

「ああ、見に行こうか。今、ちょうどいい時間だ」

 二人は絵本美術館から、湖畔まで歩き、ちょうど赤みを帯びる空の映る湖面に向かって立った。

「見えるかい?」

 館長が隣りに立つ少女を見下ろす。

「うん、とっても大きな光の輪郭がはっきりと見えるわ」

 真っ赤に燃える巨大な夕日が、湖の向こうの山に堂々と重く沈んで行くところだった。二人はその光景を黙って見つめた。

「ありがとう」

 突然、少女が言った。

「えっ」

 館長が驚いて少女を見る。

「とっても楽しかった」

「うん」

 その言葉に館長は何か込み上げるものを感じた。

「ありがとう」

 館長も言った。

「私も、君のおかげで妻とのことをたくさん思い出すことができたよ」

「うん」

「あんなにたくさんのことがあったんだなぁ。本当に忘れていたよ」

 しみじみと館長は夕日を見つめながら言った。

「君は最初に会った時、私に最後に見たいものは何か訊いたね。覚えているかい」

 館長が少女を見た。

「うん、覚えているわ」

「あの時、私は答えられなかった。でも、今は答えられる。私も最後にこの夕日が見たい。今はそう思う」

「うん」

「やっと、あの時の妻の気持ちが分かったよ」

「うん」

 二人は夕日を見つめた。

「結局、花火大会見には行けなかったね」

 館長が思い出したように言った。

「うん、でも、花火は見れたからいい」

「ああ、そうだったね」

「とてもきれいだったわ」

「うん」

 確かに、試し打ちだったけど、あの花火はとても美しかった。館長はその時の光景を思い出しながら思った。

「じゃあ、わたし帰るわ」

 夕日が半分以上沈み、辺りが薄暗くなり始めた頃、少女が言った。

「ああ、そうか・・、気をつけて帰るんだよ」

 館長が言う。

「うん」

 少女は、返事をし、いつものように明るく右手を上げると、去って行った。

「・・・」 

 その小さな後ろ姿を館長はいつまでもいつまでも、その小さな姿が完全に見えなくなるまで見送った。


                         おわり

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世界で一番美しい場所 ロッドユール @rod0yuuru

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