第16話 ゴッホ
「今日は、有名な人の絵を見に行こうか」
お昼に冷やし中華を食べながら、館長が同じように向かいで冷やし中華を食べている少女に言った。
「うん」
少女が、冷やし中華の麺とトマトを口に入れ、もぐもぐさせながら、にこりとして大きくうなずいた。
「ちょうど、近くでゴッホ展をやっているんだ」
「ゴッホ?」
「そう、世界的にものすごく有名な画家さんだよ。私も大好きな画家なんだ」
「へぇ~」
二人は、お昼を食べ終わると、さっそくまたいつものように軽バンに乗り込み、山を三つ越えたところにある県立美術館へと向かった。
「この絵見たことあるわ」
県立美術館に着くと、その建物の壁に大々的に掲げられている、ゴッホ展の大きな垂れ幕に描かれている青い渦巻き模様の絵を見て少女が言った。
「そうだろう。とても有名な人だからね」
二人は、車を駐車場に停めると、早速県立の美術館の入口に向かって歩いていく。
「やっぱり人気だなぁ」
館長が感嘆の声を上げる。入口付近は平日の昼間だというのに、多くの人でごった返していた。絵を見る前にその人の多さに二人は驚く。
「わあ」
チケット売り場で並び、さらに入口で並び、やっと、会場に入って最初の絵を見たとたん、少女が声を上げる。
「すごい」
そこには燃えるようなひまわりの絵が飾ってあった。その迫力に少女は圧倒される。
「ヴィンセント・ヴァン・ゴッホという人の絵だよ。炎の画家なんて呼ばれているんだ」
そんな少女にあらためて館長が説明する。
「炎の画家・・」
目の前の絵を見て、少女にも何となくそう言われている意味が分かった。
「うん、オランダのとても有名な画家なんだよ」
「私この絵好きだわ」
少女が絵を見ながら言った。一目で、少女はゴッホの絵に魅せられてしまった。
「うん、僕も大好きなんだ。正直言うと、美術館にあるような美術美術した絵はあまり好きじゃないんだが、彼の絵だけは大好きなんだ」
「とても荒々しくて、すごいエネルギーを感じる」
「うん、そうだね」
館長も久しぶりに見る生のゴッホの絵に感動していた。
「すごいわ、すごいわ」
それから少女は、もうゴッホの絵に大興奮だった。見る絵、見る絵、すべてが素晴らしかった。
「運がよかったよ。これだけの規模のゴッホの展覧会は、なかなかないからね。しかも、こんな田舎の美術館にまで巡回してくれるなんてなかなかないことだからね」
今回、ゴッホの絵、百点近くが日本に集結していた。
「すごい、彫刻みたい」
少女が絵の中の一つの白い大きな花の絵を見て声を上げる。
「そうだね」
厚く盛られた絵具は、彫刻のような立体感があった。
「すごくきれい」
「すごいね」
その厚く繊細に描かれた絵に、二人は完全に魅入られてしまった。
一つ一つ、丁寧に少しの欠片でも見逃すまいとするかのように、二人は食い入るようにゴッホの絵を見ていく。
「やっぱりすごいな」
館長は興奮気味に感嘆の声を漏らす。ゴッホの絵は、見る人を圧倒する猛烈なエネルギーがあった。
「やっぱり、この人は炎の画家だなぁ」
館長が、絵を見ながらしきりと感心する。
「ものすごく情熱的だ」
「うん」
少女もうなずく。
「生き方もそんな生き方だったらしい」
「そうなんだ」
「彼は、あちこち転々と旅しながら、絵を描いていったんだ。彼は一枚の絵をものすごい集中力で、ものすごいスピードで次々描いていったそうだよ。彼は二千枚以上の絵を残しているんだ」
「二千枚!」
少女は驚く。そして、指を折りながら数える。だが、少女には数字が大き過ぎて数えきれなかった。
「でも、彼が生きているうちに売れたのはたったの一枚だけだったんだ。彼が生きている時にはほとんど売れなかったんだよ」
「そうなの?」
「うん」
「何で?」
「う~ん、何でだろうね」
館長もその質問には首をかしげざる負えなかった。
「でも今じゃ、彼の絵は、一枚何十億円もするんだよ」
「へぇ~、すごい」
少女は目を丸くする。
「すごいよねぇ」
館長も自分で言って感嘆する。
「この絵はなんだか怖いわ」
この美術展の最後の絵だった。最後のスペースの大きな壁のその中央にその絵は飾られていた。
「うん、とても、不安を感じるね」
見る者を不安にせずにはおれない、ゴッホの代表作、カラスのいる麦畑だった。
「彼が亡くなる最晩年に描かれた絵だよ」
「・・・」
少女は固まる。今まで見てきた絵とは明らかに違う雰囲気の絵だった。
「彼は、三十七歳という若さで自らの手で命を絶って死んでしまったんだ。その前に描いた絵だよ」
「なんで自分で死んでしまったの?」
「彼は心を病んでいたんだ」
「そうだったの・・」
少女は悲しそうな表情をした。
「彼は孤独だったんだよ」
「・・・」
「最後には、自分で自分を拳銃で撃って死んでしまったんだ」
「そうなの・・」
少女はあらためて、その目の前の不吉な絵を見た。
「何で彼は孤独だったの?」
「それは分からない。でも、天才というのはそういうものなのかもしれないね」
「こんなにすごい絵を描くのに?」
「こんなすごい絵を描く人だからかもしれないね」
館長がやさしく言った。
「そうか・・」
少女は複雑な思いで、もう一度絵を見た。
「どうだったい?」
美術館を出て、館長が少女に訊く。
「すごくよかった」
少女は興奮気味に言った。その口ぶりで少女がいかに感動したかが分かった。
「うん」
館長も興奮していた。そのくらいゴッホの絵にはエネルギーと人を感動させる力があった。
「すばらしかったわ」
その帰りの車中でも、少女はまだ興奮冷めやらぬ様子でしきりとその言葉を何度も繰り返していた。
そんな少女の様子に館長もうれしくなる。そんなゴッホの絵の感動の余韻に浸りながら二人は町まで帰って行った。
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