第3話 大きな紫色の花の絵
そこは薄暗い、コンクリート打ちっぱなしの地下室のような部屋だった。里中さんが明かりをつける。
「わあ」
少女が声を上げた。
そこにはまだ展示されていない箱に梱包されたままの作品や、過去に展示されしまってあるものまで、多数の作品がズラリと並んでいた。
「うわあ、美術館の裏側ってこんな風になっているのね」
少女はそこにきちんと整理され並んでいる絵画を見まわし、興奮気味に言った。
里中さんは、棚に置いてあるものから、箱にしまってある絵まで、その箱をわざわざ開けて順番に見せてくれた。それを興味深げに少女は見ていく。
「わあ」
里中さんが並べてくれる絵を順番に見ていた少女が、ふと顔を上げた時、思わず声を上げた。少女の見上げた先、倉庫の中ほどの壁中央に、そこだけ浮き立つように一際大きな絵が掛かっていた。
「とてもきれいな絵だわ」
それは巨大なキャンバスいっぱいに描かれた大きな紫色の花の絵だった。
「これは、この地方出身のとても有名な画家の描いた絵なんだ」
館長が少女の隣りに立ち、同じように絵を眺めながら言った。
「すごい、絵だわ」
「ああ、すごい絵だ」
館長も言った。
「とてもきれい・・。でも・・、なんだかとても気味が悪い感じがする」
少女はそこで急に眉根を寄せた。
「・・・」
そこで館長と里中さんはお互い目を見合わせた。
「ごめんなさい」
「いや、いいんだ。実際この絵は気味の悪い逸話があるんだ」
「そうなの?」
少女は里中さんを見上げた。
「うん」
里中さんは少し難しい顔をした。
「この絵は、この画家の描いた最後の絵なんだ」
少女は里中さんの顔を見つめた。
「この画家の奥さんがね、ある時、その画家を捨てて別の男の下へ行ってしまったんだ」
「おいおい、まだ子供だぞ」
館長が眉をしかめる。
「わたし平気よ」
少女が気丈に館長を見上げる。
「そして、その画家は一人ぼっちになってしまった 。孤独になったその画家はこの絵を描いた。狂ったように・・」
「・・・」
少女は改めてその絵を見つめた。
「その後、絵を描き終えたその画家は自ら命を絶ってしまった」
「・・・」
少女はその絵を黙って見つめ続けた。
「気味が悪いけど・・、でも、やさしい感じがする」
その時、絵を見つめながら少女が呟くように言った。
「ほぉ~」
里中さんがうねった。
「どういうことだ」
館長が訪ねた。
「この紫の花は実は奥さんが大好きだった花なんだ。もしかしたら実は、恨んでなどいなくて最後まで奥さんのことを愛していたんじゃないかって話もあるんだ」
「そうだったのか・・、奥さんを許していたと」
「そう。実は許していた。そして裏切られてなお愛していた」
「だとしたら、なおすごい絵だな」
「そうなんだ」
里中さんと館長は、首を少しひねるように改めて絵を見つめた。その巨大な紫の花の絵は、さらなる深みと美しさを発するように三人の前に立っていた。
「この子は賢い子だ」
里中さんが少女を見下ろして言った。
「うん」
館長も少女を見下ろしながらうなずいた。
「この絵を見せてよかったよ。僕自身新しい発見があった」
少女は何のことか分からず、不思議そうな表情でそんな二人を見上げていた。
「それにこの絵は、僕にとっても、とても思い入れのある絵なんだ。この絵を最初に見た時、どうしても手に入れたくなってね。何かこう、瞬間的に特別なものを感じたんだ。だから、僕はすぐに画家のところに直接交渉に行ったんだ。でも、なかなかうんと言ってくれなくてね。今考えれば当然だ。それでも何度も行ったんだ。だがやはりダメだった。やはりとても思い入れのある絵だったんだろうな」
そこで里中さんは、絵を改めて眺めながら遠い目をした。
「でも、画家が亡くなるちょっと前だった。僕は、どうしても諦めきれなくてね、たまたまもう一度と思って再び画家の下に行ったんだよ。ダメでもともとと思ってね。なんでその時そんなことを思ったのか分からないんだが、何かの虫の知らせかな。その時に、突然、そんなに思ってくれるならあなたに託しましょうと言ってくれたんだ」
「へぇ~、運命だな」
館長が言った。
「そう、だから、この美術館でもこの絵は特別な時にしか飾らない」
そう言って、里中さんは笑った。
「おじさんはこの絵が一番なの」
少女が里中さんを見上げて訊いた。
「う~ん、一番かって言われると難しいけど・・、でも、そうかもしれない」
里中さんはそう言ってやさしく微笑んだ。少女はその答えに、少し混乱したように、その大きな黒目をくるくると回転させた。
「どうだい、気に入った絵はあったかい」
倉庫にあるすべての絵を見せ終わった時、里中さんが少女にやさしい笑顔を向け訊ねた。
「う~ん、全部素敵だったわ。初めて見る絵ばかり。でも・・」
少女は少し申し訳なさそうな表情をした。
「まあ、そりゃすぐには見つからんさ」
館長が言った。
「そうだな」
里中さんもやさしくうなずいた。
「これから、このおじさんに、たくさんいろんなところに連れてってもらって、色んな絵を見るといい」
里中さんがかがみこむように、少女に言った。
「その中にきっと君の気にいる素晴らしい絵があるよ」
「うん」
それに少女は、元気に答えた。
「頼んだぞ」
里中さんが、館長の肩を力強く叩く。
「なんだか、重大な役目になって来たな」
そう言って、館長は笑った。それにつられて里中さんも笑った。
少女はそんな二人を交互に見つめた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。