第5話 少年と出会う

 時計を見ると十二時になっていたので、陽子は接続を解除した。

 椅子から身体を起こすと、女中が部屋に入ってきた。四十代後半ほどの、鶴のような首をした人間の女性だった。彼女は手袋とゴーグルを受けとると、陽子を一階へと案内した。陽子が暖炉のある食堂に入ると、あの人工知能の少女が座っていた。

 彼女は狐の面をテーブルに置き本を読んでいた。東洋人のような顔立ちだったが、彼女の瞳は深紅の美しい紅玉石でできていた。

 食事が運ばれてきた。魚料理にパンとスープが付いていた。

「そういえば」と陽子はパンをちぎりながら訊ねた。「まだ、あなたたちの目的を聞いていなかったわね」

「どのようなものであれ経験は財産になります」と少女は微笑みながら言った。

「もちろん、高校で授業を受けることもね」と陽子は不機嫌に言った。「私はあなたたちのことは何も知らないわ。アマテラスワールドとの関係もね。でも、海王星には国際共産党の影響力が及ばないと思っているのなら、そのようなあまい考えは改めたほうがいいわよ。宇宙には共産主義による秩序があるわ。太陽系の片隅にあるとはいえ、海王星も海王星の仮想世界も八惑星連邦の一部なのだから」

 少女はくすりと笑った。「党の腕はとても長い」

「その通りよ」

 昼食が終わると、陽子は寝室に案内された。

 家族や加奈と連絡をとろうとしたら携帯電話が繋がらなかった。寝室に備えてあったタブレット端末はインターネットに繋がっていたが、そこから外に電話をかけることも手紙を送ることもできなかった。

 いったい、あの少女たちは何者なのだろう?

 他にすることもないので、動画を利用して四時間ほど勉強した。勉強しながら、そもそも自分をここに閉じ込める意味などあるのだろうかと疑問に思った。もしかしたら寮にいるときに素直に従っておけば、今頃は寮にいながらアマテラスワールドに接続できたのかもしれない。陽子が逃げると確信しているからこそ、彼女たち正体不明の集団は陽子を閉じ込めることを決めたのかもしれなかった。

 しかし、もうすべて終わったことである。陽子は軽く運動をしてから接続室へ行き、再びアマテラスワールドに接続した。

 朱雀院の前でツララがご機嫌な顔をして待っていた。彼女の笑顔を見て、もしかしたら本当にアマテラスカードで遊ばせるのが目的ではないかという気がしてきた。もしそうであるなら狂気である。

「それでは、さっそく八岐大蛇で戦いにいきましょう」

 結局、二十二時になるまで陽子は接続した。夕食のために一度だけ現実世界に戻ったが部屋に運ばれてきた肉のシチューを食べると、懐かしかったのか、すぐにカードで遊ぶために仮想世界に戻ってしまった。途中から夢中になりすぎてしまい、ツララから「そろそろ深夜ですね」と時間を指摘されたときには恥ずかしさで顔を赤くした。現実世界に戻ると寝室に案内されて、そこでぐっすりと眠った。

 二日目が来た。朝食を終えて、午前中に勉強を終えてからアマテラスワールドに接続した。初日も同じだったが、二日目も金曜日の午後なので高校生は少なく人工知能を相手に陽子は対戦を繰り返した。

 下校時間が過ぎたのか、徐々に高校生の数が増えてきた。休息所で陽子はツララと自分のデッキを改造していた。

 そのときだった。

 黒髪の背の低い少年が陽子たちのそばを通りかかり、彼女を見て驚き声を上げた。

「もしかして、二条さん?」

 陽子は少年を見た。この少年は陽子のクラスメイトではなく、そればかりか同じ工科附属の生徒でもなかった。記憶を探っても中学生時代の陽子の取り巻きに彼はいなかったし、淑景館に来るような日本の重要人物たちの子女でもない。誰だろう? 陽子はすぐには少年の正体が分からなかった。

 少年は草色の着物を着ていた。背は低いが太ってはおらず、おどおどした感じもなければ女子が苦手という感じもしなかった。日本人らしい清潔に整えられた黒髪で、顔つきは幼げで優しい感じがした。そして、着物の着こなしといい、このアマテラスワールドの自然な振る舞いを身につけているようだった。

 少年の目を見ていると、突然、陽子は思い当たる人物を発見した。

「伊藤爽平君ね」

 陽子が微笑むと、爽平は顔を赤くした。

 彼は陽子の取り巻きではなかったし、昔のクラスメイトでもなかったが、彼女と同じ学習院中等科に通っていた少年だった。キャンプのときに一度だけ同じ班になったことがあり、そのときに知り合ったのだ。野外調理でカレーを調理することになったときに彼は大量の野菜を切ってくれたのだが、男の子なのに慣れたようすで包丁を握っていたのが陽子の印象に残っていた。

「そういえば、そろそろ下校の時間ね」と陽子は言った。

「意外だ」と爽平は言った。「二条さんはカードゲームのような下賤な遊びには興味がないかと思っていたから。トランプは強かったけど」

「記憶力がいいのね」と陽子は目を細めた。

「いや、その」と爽平はますます赤くなった。「ほら、二条さんは目立っていたから。だから憶えているんだよ」

 陽子は爽平を通して外部と連絡を取ろうかと考えた。両親や加奈に一通くらい手紙を送りたかったのだ。しかし、あの人工知能の目的が正確には分からなかったので、今は彼女たちの意に沿わないことはしないほうがよさそうだと考えて諦めた。そもそも後二日もすれば、陽子は解放される予定なのだ。

 陽子は軟禁されて心細く感じていたので、ほとんど他人とはいえ、中学生時代の知り合いに出会えたことを素直に喜んでいた。さすがに、これくらいは許されるだろうと信じて爽平に声をかけて行動を共にすることにした。

「私のことは陽子でいいわよ」と陽子は名前呼びを許可した。「だから、私もあなたのことを爽平君と呼んでもいいかしら?」

「もちろん。ありがとう」と爽平は嬉しそうだった。

「では、爽平君、私にアマテラスカードを教えてくれない? 私、昨日はじめたばかりで分からないことが多いの」

 ツララは不満げな顔をしていた。どうやら彼女は独占欲が強く、陽子が自分以外の誰かと仲良くするのが気に入らないようだった。陽子はツララに謝ると、爽平の手を取り彼を奥の席まで連れていった。

「陽子さんのデッキを見せてもらってもいい?」

 陽子がデッキを見せると、爽平は目を丸くした。予想はしていたが、八岐大蛇は人気があるテーマではないようだった。

「今日は意外なことばかりだ」と爽平は言った。「陽子さんは、もっと華やかなカードを好むものだと思っていた。玉藻前とかね。こういう保守が好きそうな日本神話のカードは嫌いだと思っていたけど」

「玉藻前というのが華やかなのね。憶えておくわ」と言うと、陽子は二つのデッキを指定された場所に置いた。そして、カードを十四枚だけ引いて手札に加えた。「日本人のことはよく分からないのよね。私も日本人だけど」

「しかたがないよ。ずっと木星にいたのだから」

「同じ木星でもインターナショナルですけどね。確かに木星は中華圏だけど、私たちは日本地区で暮らしていたのよ」

「インターナショナルかあ。いいなあ」と爽平は憧れを込めた口調で言った。

「雑然としていてたいへんよ」と陽子は苦笑いを浮かべた。「宗教がたくさんあるから憶えることも気遣うことも多いしね」

「陽子さんの宗教は何なの?」と爽平はおずおずと訊ねた。

「藤原氏は宗教を持たないわよ」と陽子は笑った。「五摂家は共産党に参加する義務があるし、党は党員が特定の宗教に深く関わることを禁止しているわ。強いていえば、私たちの宗教は無神論というわけね」

 陽子は自分が藤原氏であることを明かしたが、爽平に驚いた気配はなかった。彼は陽子が藤原氏五摂家であることも知っていたのだ。とはいえ、学習院で陽子は有名だったので、爽平が陽子のことに詳しくても陽子はたいして驚かなかった。そういう男子が多いことを加奈から何度も聞かされていたのだ。

「たいへんだね」と爽平は心配そうな顔をした。

「別に大変ではないけど」と陽子は首をかしげた。カードを六枚選ぶと、ライフカードとして裏向きに並べた。「日本人のほとんどは無神論だと聞いたわ。ということは、神様を信じている日本人は少ないのでしょう。先攻は私からでいいかしら?」

「もちろん」

 爽平が使用したのは天狗デッキだった。

 天狗デッキとはいえ、上級妖怪に天狗が多いだけで、下級妖怪には木の妖怪である木(こ)魅(だま)や川の妖怪である河童も混じっていた。多様な妖怪が混じる、複合デッキである。彼の切り札は『神通力の天狗』で、攻撃力一二〇で一ターンに一度効果で相手妖怪を破壊できた。実際に対戦してみると手強い妖怪で、八岐大蛇は高い攻撃力を生かすこともできずにあっけなく効果で破壊されてしまった。

「打点に頼るのは美しくないよ」と爽平は笑った。

「さすがは上級者ね」と陽子はすねた。「でも、私は力で押すのが好きなの。一番はじめに強い妖怪を召喚して相手の心を折りたいの」

 爽平は目を丸くして、次の瞬間おかしそうに笑った。

「今日一日で陽子さんの印象がずいぶんと変わったよ。遠い人だと思っていたけど、子どもみたいなところもあるんだね」

「カードゲームで遊んでいるときに淑女でいてもしかたないでしょう」と言うと、陽子は肩をすくめた。「カードゲームというのは、そもそも大人になれない幼稚な男の子が夢中になる堕落した遊びだと私は思っているから」

「それは言いすぎだと思う」

 爽平は楽しそうに笑うと、カードを片づけはじめた。そして、陽子に訊ねた。

「ぼくは、これからY・Fに会いに行く予定だけど陽子さんも来る?」

「Y・F?」と陽子は眉をひそめて訊ねた。「それは何かしら」

「最強の人工知能だよ」と爽平は誇らしげに答えた。「先攻一ターン目であらゆる状況への準備を整えて圧倒する。彼女はアマテラスワールドでもっとも有名で、もっとも重要な人工知能だとぼくは言いたいね」

「おもしろそうね。興味があるわ」

 陽子は冷たい顔をしてカードを仕舞った。ツララが心配そうに二人を見ていた。

「案内するよ」と爽平は笑顔で言った。「彼女の切り札は天照大神。昔、WCGで何度も日本を優勝に導いた伝説のカードだよ」

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