第4話 天照大神

 景色が大きく変わった。

 千年前の京都の風景が広がっていた。時は平安時代、場所は平安京でまだ天皇家と藤原家が政治権力を独占していた頃の日本である。若い男女が談笑しながら歩いており、うなり声を上げる牛に牽引された牛車がゆっくりと広い道を通行していた。ときどき、人間に化けたと思われる妖怪の姿も見えた。

「さて、私は何をすればいいのかしら」

 陽子は不安げな顔をした。護国主義者や保守団体が好みそうな和風世界だったのでさすがの陽子も怖くなってしまったのだ。科学信仰が強い木星育ちの陽子は、愛国主義者や国家神道に好ましい印象がまったくないのである。いっぽう、ツララはご機嫌だった。陽子を案内するのがよほど嬉しいらしかった。

「普通なら初心者屋敷に行くところですが」とツララは元気に言った。「陽子様は強いので今から熟練プレイヤーが集まるところへ行きましょう。彼らは驚くはずです。私、早く陽子様の本当の実力を見たいです」

 この明らかに陽子を競走馬のように捉えているらしい人工知能の発言に、陽子は驚き慌ててしまった。

「ちょっと待ちなさい。私は初心者なのだけど」

 ツララは首をかしげた。これまでの人生で何度も過剰な期待を寄せられてきたが、ここまで無謀なことを言われたのはさすがに陽子もはじめてだった。

「私、先週までアマテラスカードという単語も知らなかったのよ。ここに来たのは変な人工知能に頼まれたからなの」と陽子は状況を説明して抗議した。「告白します。確かに私はカードゲームの経験者よ。エンジェル&サイエンスの日本代表選手でした。でも、二年もカードに触れていないから効果テキストを正確に読める自信もないわ。強いプレイヤーと対戦するなんて絶対に無理です」

「大丈夫だと思いますが」とツララは怪訝な顔をして言った。

「無理です」と陽子は断言した。そして、繰り返した。「絶対に無理」

「分かりました」とツララはため息をついた。「それでは、残念ですがまずは初心者屋敷に向かいましょう」

 陽子たちは初心者屋敷へ向かった。そこでは高校生が背の低い長机をはさんで、座布団に座り対戦していた。この人たちは高校はどうしているのだろうと思ったが、おそらく彼らは通信制なのだろう。陽子たちのように寮で暮らして、毎日高校で授業を受けたり課題をこなしたりする方が珍しいのだ。

 もともと、カードゲームは男の子に人気の遊びである。しかし、ここは男子だけではなく女子高校生も多かった。人間の姿をしていることもあれば妖怪の姿をしていることもあった。彼らの笑顔や話している内容から推測するに普通の日本人のようである。今のところ、アマテラスワールドに宗教の気配はなかった。

 陽子は大学生くらいの青年に声をかけられて、彼女と同じ高校一年生の女の子が集まっている机へと案内された。陽子はツララから贈られた窮奇デッキを使った。初心者用だが、ここでは十分に通用しそうだった。

「二条さん、強い」

 陽子と対戦していた女子高校生が両腕のなかに突っ伏した。ちょうど、突撃の窮奇による攻撃で止めを刺されたところだった。陽子は涼しげな顔をして、自分のカードをデッキにまとめてシャッフルした。

「伏せたカードを警戒しないからよ」と陽子は微笑んだ。「相手に旋風の窮奇がいる可能性があるときは警戒しておかないと。このカードの直撃を受けると吉野さんが思っているよりも被害が大きいから」

 陽子は旋風の窮奇を彼女に渡した。旋風の窮奇は攻撃力が二〇しかないが、反転召喚による強力な効果を持っていた。このカードは裏側表示で伏せて後衛に出すことができる。そして、相手が攻撃宣言を行ったときに反転させて、「窮奇」カードを二枚捨てることで相手妖怪を三枚までデッキに戻すことができるのだ。

 このカードで相手の妖怪を排除して直接攻撃をするのが陽子の勝ち筋だった。

「また遊ぼうね」

 陽子と対戦していた女子高校生たちは去っていった。陽子はカードを仕舞うと椅子から立ちあがった。

「久しぶりに遊んだわ」と陽子は背伸びをした。

「そろそろ、窮奇デッキでは力が足りなくなってきました」とツララは目を輝かせて奥の部屋を見ながら言った。「勝率も七割ですし、デッキが強ければもっと勝てたはずです。新しいデッキを探しにいきましょう」

「それもいいわね」

 廊下の向こうに店が並んでいた。河童や天狗、狐火や狸という陽子も知っている有名な妖怪たちの名前が書かれた札が提げてある。陽子は妖怪には詳しくないので、ぬらりひょんという文字を見てもどのような妖怪なのか分からなかった。札に描かれた絵を見ながら、どの店に入ろうかと迷っていた。

 迷路のように複雑な廊下を歩いていると、一匹の蛇が廊下の隅にいるのを見つけた。蛇は訴えるように陽子を見ると、するすると店のなかに消えた。札を見ると、筆で「日本の神さま」と書かれていた。

 陽子はのれんを押してなかに入った。

 店には高齢の老人がいるだけだった。紫の座布団の上で静かに座っていた。老人の前には七つの小さな紙箱が置いてあった。

 構築済みデッキだった。紙箱のなかには自分でデッキを組んだことがない初心者でもすぐに対戦ができるように、すでに完成された上級デッキと下級デッキが入っている。表に描かれている絵は切り札なのだろう。日本の神々が描かれていた。

 陽子は老人から許しを得て構築済みデッキを手に取った。ツララは素早く老人の耳元まで飛んでいき、二言三言、言葉を交わした。

「開けても大丈夫だそうです」

 陽子は八つの首がある大蛇、八岐大蛇(やまたのおろち)が描かれた箱を開けた。なかには合計六十枚のカードが入っており、日本神話で有名な八岐大蛇が一番上に重ねられていた。八岐大蛇は暗い森のなかで赤い息を吐いていた。陽子は近くの丸机の場所まで行くと、そこで丁寧に紙箱のなかのカードを取り出して並べた。

「懐かしいわ」と陽子は言った。「攻撃力も効果もWCGと同じ」

「WCG?」とツララは首をかしげた。

「競技用のエンジェル&サイエンスよ」と言うと、陽子は笑った。「ワールド・カード・ゲームの頭文字ね。水星から海王星まで、八惑星連邦で暮らすさまざまな地域の人たちが自分たちの文化のカードを持ち寄るの。私は日本民族だから、天照大神や素戔嗚尊を切り札にしていたわ」

 陽子は微笑むと、八岐大蛇のカードを眺めた。召喚条件は「大蛇」カードを一枚以上含むカード五枚だった。攻撃力一五〇の上級妖怪で、効果は破壊されたときに下級デッキから草薙剣を手札に加える。

 草薙剣は下級妖怪に分類されているが、日本書紀では三種の神器の一つであり本来は妖怪ではなかった。もちろん、八岐大蛇も妖怪というよりは神獣なのだが、そこにはアマテラスカードの世界観が反映されているのかもしれなかった。零落した神のことを妖怪と呼ぶのだ。

「実際に対戦してみますか?」とツララが訊ねた。

「いいわね」と陽子はにやりと笑った。「でも、八岐大蛇はとても強いわよ。攻撃力一五〇は簡単には突破できないわ」

 陽子の言葉通りに八岐大蛇は強かった。エンジェル&サイエンスと同じように、アマテラスカードでも一五〇というのはほぼ攻撃力における最高打点だった。上級妖怪のほとんどは攻撃力一五〇以下である。

 いつのまにか、先ほど陽子を部屋に招いた蛇が丸机に登ってきていた。蛇なのだが、ぬいぐるみのような質感をしている可愛らしい爬虫類だった。八岐大蛇が吹雪の雪娘を破壊すると蛇は嬉しそうな声で鳴いた。くるくる身体を回して、陽子が手をかざすと、つんつんと口先で彼女の手のひらをつついた。

 しかし、何度か戦っているうちに陽子は勝てなくなった。ツララの妖怪である吹雪の雪娘の効果で攻撃力を下げられて、返り討ちにされるのだ。攻撃力の合計を三〇の倍数にして手札から捨てることで、吹雪の雪娘は相手妖怪が攻撃してくるときに相手妖怪の攻撃力を戦闘終了時までゼロにできる。そして、攻撃力をゼロにされると八岐大蛇といえども簡単に破壊される。

 吹雪の雪娘は攻撃力が九〇しかないが、相手の攻撃力をすべてゼロにできるため立派に切り札としての役割を果たせていた。

「八岐大蛇は効果耐性がありませんから」とツララはにこりと笑った。「攻撃力を下げたり効果で破壊したりするのは容易です」

「八岐大蛇をサポートできるカードが足りないわ」と陽子は不満そうだった。

「それは、これから集めていきましょう」

「よし、決めたわ」と陽子は言った。「しばらくは八岐大蛇を相棒にしましょう。木星にいたときは使ったことがなかったし、それなりに強そうだから楽しめそう。私、本当は打点が高いカードが好きなの」

 陽子はカードを紙箱に戻すと、老人のところへ戻った。構築済みデッキは現実世界のお金で購入できるようだった。陽子は値札を確認した。

「二八〇〇円? 適正価格なのかしら」

「陽子様も適正価格という言葉を知っているのですね」とツララは笑った。

「私のことを馬鹿にしているわね」と陽子は腹を立てた。「私、百貨店の地下に自分で食材を買いに行ったこともあるのよ」

 この発言でツララは本当に陽子を馬鹿にしたようだった。陽子は不満を覚えて八岐大蛇の価格が喫茶店で食べるパンケーキと同じであることを指摘したが、するとツララはパンケーキに三千円も払うのですねと軽蔑の視線を送ってきた。 

 ツララは陽子にアマテラスワールドのしくみを説明した。

「一部の店で購入したカードは現実世界で同じものを受けとることができます。アマテラスカードは現実世界でも楽しむことができるように設計されています」

「なるほど、それでパンケーキと同じ値段なのね」と陽子は納得した。

「とはいえ、構築済みデッキは五〇〇円から一〇〇〇円が普通です。なので、八岐大蛇はとても高価なほうですね」とツララは陽子の発言を無視した。「日本神話系統は人気がなく、人気がないカードは高いのです。需要が高くても低くても価格は上がるものですから。陽子様が望むなら西の市場で安く手に入れる方法もあります。その場合は現実世界で同じカードを受けとることはできませんけど」

「ここで購入するわ」と陽子は言った。カードの実物に興味があったのだ。「日本のカードの加工技術に期待するとしましょう」

 陽子は他の構築済みデッキにも目をやった。経(ふ)津(つ)主神(ぬしのかみ)や天(あめの)細(うず)女(めの)命(みこと)、彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)が描かれていた。陽子はしばらく迷っていたが、とうとう目の前の武器を持つ巫女姿の若い女性が描かれた紙箱を手に取った。

「せっかくだから、これも見ておきましょう」

「天(あま)照(てらす)大(おおみ)神(かみ)ですね」とツララが輝くような笑顔を浮かべた。

「ツララは天照大神が好きなの?」と陽子は訊ねた。

「はい、大好きです」とツララは本当に嬉しそうだった。「天照大神は陽子様が持つにふさわしいカードだと思います」

 カードは単体でも売られていた。

 展示されているカードは値段が大きく異なっていた。高いものだと三万円ほどに、安いものは十円に価格が設定されている。陽子は二十枚ほどカードを選ぶと、天照大神の構築済みデッキとまとめて購入した。

「そういえば」と陽子はツララに言った。「そろそろ様付けをやめましょう。私のことは陽子でいいわよ」

 ツララは幸せそうにはにかんだ。

「ありがとうございます、陽子さん」

「せっかくの出会いですから、友だちになりましょう。あなたをこの世界における私の長期案内役に指名するわ。受けてくれるかしら?」

「喜んで」

 陽子はツララの前でこぶしを握ると、ツララも同じように両手でこぶしを握った。

 店を出るときに、陽子は店番をしている老人に礼をした。老人も礼を返し、その顔はとても満足しているように見えた。

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