第3話 仮想世界

 時は木曜日に遡る。

 朝の五時に寮を抜けだしていた陽子は、迎えに来た高級自動運転車に乗ると森の奥にある小さな屋敷まで運ばれた。目的地である建物は煉瓦造りで、庭には薔薇が植えられていた。ここに来るまで陽子は誰とも会わなかった。携帯電話に届いた指示に従って、ただ命令されるまま彼女一人で来たのだった。

 門の前には、あの狐の面を着けた少女が立っていた。彼女は優雅にお辞儀をして陽子を屋敷のなかに案内した。陽子は階段を上り奥の広い部屋に通された。この青白い部屋は仮想世界に潜るための接続室だった。

「海王星の人工知能たちは、ずいぶんと強引なのね」と陽子は文句を言った。

「今日は来ていただけて、私はとても嬉しいです」と少女は笑顔で答えた。彼女の答え方から陽子はこの少女が陽子の話を聞く気がないことを確信した。

「あなたの主人は誰なのかしら? まさか、あなたが独りで計画して動いているというわけではないのでしょう」

少女は怪訝な顔をしたが、すぐにおかしそうに笑った。そして、すべてはあなたの想像にお任せしますと鈴のような声で言った。

 カードを手渡された日から、陽子は何度もこの少女から手紙を受け取っていた。はじめはよくある悪戯なのだと無視をしていたが、あまりに何度も来るので陽子はきっぱりと自分はカードゲームに興味がないと彼女に返信した。すると、少女から届く手紙は止むどころかますます増えてしまい、しかもあなたにはかわいらしいお友だちがいますね、などと脅迫じみたことまで書いてくるようになった。

 海王星は太陽系のもっとも外側を回っている惑星である。

 海王星の外側には冥王星も含め、八惑星連邦の権力が及んでいないエッジワース・カイパーベルトが広がっている。そのため、もしかしたら過激な思想を持つ外国の人工知能が忍びこんだのかもしれなかった。陽子は身の危険を感じて父親に報告すると、すぐに調査すると彼から返事が返ってきた。

 そして、水曜日。とうとう謎の人工知能は長い手紙を書いてきた。このまま私の願いを聞き入れていただけないのでしたら、もう陽子様のご友人に協力していただくしかありません。陽子は警戒した。こちらの電子郵便住所を知っていることや、やすやすと寮や高校内に現れることから相手に力があることが感じられたからだ。二条家を恐れないほど向こう見ずでもある。

 案の定、父親から今は逆らわないようにと手紙が送られてきた。しかし、それだけで詳しいことは何も教えてもらえなかった。日本は警察が優秀で治安もよく、とても安全な国だと教わっていたが陽子は不安になった。

 幸いなことに、相手の要求は一つだけだった。指定された仮想世界で遊んでほしいというものである。ただの愉快犯なのかもしれない。四日間、ある仮想世界でカードゲームをすれば陽子を解放してくれるらしかった。陽子は従うことにした。避けることができないことならば耐えることも賢い選択なのだ。

 とはいえ、陽子はまだ無鉄砲な女子高校生で負けず嫌いでもある。侮られてなるものかと彼女は強気な姿勢で彼らとは対峙してしまったのだった。加奈まで巻き込まれたことで陽子は冷静さを失っていたのである。

 女中服を身につけた背の高い女性が部屋に入ってきた。

 彼女は仮想世界に接続するための装置一式を台に乗せていた。陽子は指示されるまま接続装置を受けとると、アバターを動かすための操作機能付き手袋をはめて、映像を見せるための電子ゴーグルを身につけた。

「それでは、よい旅を」と狐の面を被った少女は言った。

 陽子は仮想世界に接続した。目の前に草原が広がった。

 仮想世界には地球と同じ強さの重力があった。青い空には雲が見えた。陽子は金糸で菊模様が描かれた白い着物姿で椅子に腰掛けていた。指も自然に動かすことができて、何か特別な仮想世界という感じはしなかった。草の動きで風が吹いていることが分かった。彼女の髪には金色の菊のかんざしが輝いていた。

 雀ほどの大きさしかない小さな雪女が現れた。中学生くらいの外見で、雪の結晶が描かれた白い着物を着ていた。髪は短く散髪されて利発そうだった。しかし、どうやら緊張しているようで表情はとても硬かった。

「今日はアマテラスワールドに来ていただきありがとうございます。私は、陽子様の案内をさせていただくツララと申します」

 ツララはぺこりと頭を下げた。陽子は目を細めた。

「アマテラスワールド、ずいぶんと宗教的な名前なのね。残念だけど、私は唯物論者だから宗教も救済も自己実現も好きではないわ」

 小さな雪女は怯えた。

「違います。ここは八惑星連邦政府にも公認されている健全な仮想世界です。よこしまな宗教組織ではありません」

「政府から公認されていたら健全な仮想世界なのかしら。連邦政府がどれだけ多くの宗教団体を保護しているか知っていて? 信仰の自由という名目でね」

 ツララの顔から血の気が引いていた。仕事に慣れていない新人の販売員が、予想外にも顧客から冷たい対応をされて動揺しているという感じだった。あの誘拐犯の仲間が管理している世界だと信じ込んでいた陽子は、この小さな雪女が何も知らされていないであろうことに気がついて首をかしげた。

「ツララさん、でいいのかしら」と陽子はやさしい声に切り替えた。「あなた、どうして私が接続したのか何も知らされていないの?」

「カードゲームで遊ぶために来たのではないのですか?」とツララは涙ぐみながら陽子を見つめていた。「とうとう陽子様がエンジェル&サイエンスだけではなく、日本のカードゲームにも参加してみようと決意してくれたものだと私は信じていました。ようやく、日本にも目を向けてくれたのだと」

 さて、どういうことかしら。

 陽子はツララを見た。彼女は目を潤ませて陽子を見ていた。言動や表情から、この小さな女の子が演技をしていないことは明らかであるように思われた。

 とはいえ、陽子がエンジェル&サイエンスの経験者であることは知っているようである。それは十分に警戒に値することだった。海王星から木星への平均距離は三十天文単位、およそ四十五億キロメートルも離れている。そして、これほどまで距離があると二つ惑星は互いの情報を持たないはずなのだ。

「まあ、いいわ」と陽子はため息をついた。「私はある人に頼まれて来たの。でも、せっかくだから楽しませてもらうことにするわ」

 ツララの表情がぱっと明るくなった。

「ありがとうございます」

「それでは、この世界の説明をしてもらってもいいかしら」と陽子は言った。「私、ほとんど何も知らずにここに来たの」

 ツララは待ってましたと元気になった。あまりにも気合いが入っているので、今日が初めてのお仕事なのかもしれない。

「それでは改めて。ここはアマテラスワールド、日本国で開発されたカードゲーム、アマテラスカードを楽しむための仮想世界です」とツララは説明した。「アマテラスカードは自分のカードを持ち寄り対戦する和風トレーディングカードゲームです。プレイヤーはカードを集めて二つのデッキを構築し、交互にターンを繰りかえして勝敗を競います」

「まるでエンジェル&サイエンスみたいね」と陽子はいじわるを言った。

「ありがとうございます」とツララは得意げな顔になった。残念なことに、彼女に皮肉は通じなかったようだ。 

 ツララは一枚のカードを取りだした。手のひらの大きさで、あの少女から渡されたものと同じ種類のカードだった。上半分に絵が描かれており、下半分に攻撃力となる数値と効果テキストが書かれている。

 カードには手が鎌になったイタチの妖怪が描かれていた。風の妖怪、窮奇(かまいたち)である。陽子も日本人なので、さすがに窮奇くらいは絵本で見たことがあった。

 ツララは複数枚のカードを取りだすと重ねはじめた。片方は五十枚、もう片方は十枚のカードを重ねて陽子に渡した。五十枚のほうは黒いカードだけで、十枚のほうは白いカードだけで束が作られた。

「これがデッキです」と言うと、ツララは五十枚のデッキを自分の右手に、そして十枚だけの薄いデッキを左手に浮かべた。「裏面が黒いカードが下級妖怪、白いカードが上級妖怪です。下級デッキは下級妖怪だけで、上級デッキは上級妖怪だけでデッキを組みます。それでは実際に対戦して学んでいきましょう。下級デッキからカードを十四枚だけ引いてください。そして、この十四枚から自由に六枚を選んでこのように左奥に並べてください」

 陽子は指示通り十四枚を引いて、そのうちの六枚を左奥に裏向きで並べた。手札には八枚のカードが残った。アマテラスカードは多くのトレーディングカードゲームと同じように、自分のターンに手札からカードを場に出して相手プレイヤーを攻撃する。そして、先に相手のライフカードをゼロにしたときに勝利する。

 相手のターンが終わり、自分のターンが来たら三つの段階に分けて行動する。

 はじめの開始フェイズでは手札を八枚にする。

 次の戦闘前フェイズでは妖怪の召喚を行う。手札からカードを場に表向きに置く行為は召喚と呼ばれる。カードに閉じこめられた妖怪を現世に呼びだす設定なのだという。場は三かける二になっており、そこに妖怪を召喚して布陣する。このときに召喚条件を満たすと上級デッキから上級妖怪を召喚することができる。

 そして、戦闘フェイズでは自分の場の前衛に召喚された妖怪一体を選択して、次に相手の場の妖怪一体を選択する。それからカードを手札から一枚捨てて、戦闘開始。自分妖怪で相手妖怪を攻撃する。

「場の奥を前衛、手前を後衛といいます」とツララは指で指しながら説明した。「相手の前衛に妖怪がいるときは後衛に攻撃はできません。そのため、まずは相手前衛の妖怪をすべて攻撃して破壊する必要があります。そして、前衛と後衛の妖怪をすべて破壊してはじめて相手プレイヤーに攻撃できます」

「そして、プレイヤーが攻撃を受けたら六枚のカードを一枚ずつ破壊して墓地に送るのね」

「そうです。この左奥の六枚のカードのことをライフカードと呼びます。相手のライフカードをすべて破壊して墓地に送るとゲームに勝利します」

 陽子は実際にツララと対戦してみた。

 開始フェイズで手札を八枚にして、戦闘前フェイズで妖怪を召喚する。

 戦闘フェイズで相手妖怪を攻撃して相手妖怪を破壊するためには、攻撃する自分妖怪のほうが攻撃を受ける相手妖怪よりも攻撃力が高くなければならない。アマテラスカードにおいては戦闘は一方的に処理されて、攻撃力が高い方が無傷で相手妖怪を破壊する。攻撃力が同じであれば両方とも破壊される。

 攻撃は手札が続く限り、相手の妖怪を自由に選び何回でも可能である。

「先攻の一ターン目は戦闘フェイズを行うことはできません」とツララは説明した。「そのため、戦闘前フェイズを終えたら陽子様のターンは終了です。自分のターンを終えるときはターンの終了を宣言してください」

「ターンを終了します」

 ツララは笑顔を浮かべた。「それでは、今度は私のターンをはじめます」

 対戦は陽子の勝ちだった。陽子の上級デッキには攻撃力一〇〇の『窮奇の王』が入っている。召喚条件は『風の窮奇』を含む、カード名に窮奇という名前が入った「窮奇」カード三枚を自分場に揃えることだった。この三枚を墓地に送るだけで、陽子は上級デッキから窮奇の王を簡単に召喚できた。

 ツララは攻撃力一〇〇以上の妖怪を持っていなかった。そのため、開始フェイズのときに風の窮奇を引くことができれば、戦闘前フェイズで窮奇の王を召喚できて、それだけで陽子の勝利は確定してしまう。

 四枚制限というルールがあり、同じカード名のカードはデッキに四枚までしか入れることができない。この条件のために陽子が使用している下級デッキには風の窮奇は四枚だけしか入っていなかった。自分の開始フェイズがはじまると、陽子は風の窮奇が引けるようにと願いながらどきどきしながらカードを引いた。

 純粋に運だけで勝敗が決まるゲームだった。それにもかかわらず、陽子は少しずつカードゲームが楽しくなってきた。

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