第2話 カードゲーム

 日本マイケル・ファラデー工科大学附属高校は男女共学の有名校で、工科附属と呼ばれて親しまれていた。全寮制で全生徒に個室が与えられており、さらに掃除や洗濯はすべてロボットが担当するという大学進学を目指すための学校だった。そのために教室では勝ち誇った顔をした秀才ばかりが座っていた。

 イタリアのデザイナーによる緋色の制服は権威主義に見えた。制服姿で鏡を見ると加奈は自分の姿にうんざりしてしまった。金で縁取られた制服姿の女子高校生は、まるで小説に登場する特権階級のようである。

 四月から五月にかけては、加奈は自分のような普通の女の子が貴族のような子女が通う高校に進学して大丈夫だったのだろうかと不安だった。しかし、大丈夫だった。困ることもいじめられることもなく、順調に新しい生活に慣れていった。心配だった中間試験の成績はとても良好でほっとしていた。

 生活力が欠如しており、独りでは服を着ることもできないのではないだろうかと加奈が心配していた陽子も問題なかった。彼女は意外なほど生活力が高くて、加奈よりもてきぱきと自分の部屋を整えてしまった。中学生時代ほど目立つことはなくなったが、それでも容姿端麗で教養に溢れていた陽子は誰からも一目置かれていた。ひそかに彼女に思いを寄せている男子も多いという噂だった。

 そして、事件は起きた。六月初旬の土曜日だった。

 この日、二人は新宿に買い物に出かけていた。午後を楽しみ、喫茶店で紅茶とケーキを食べて寮に戻ろうとしていたときだった。人混みのなかを人型ロボットの少女が二人のところに駆け寄ってきたのだった。少女は十三、四歳ほどに見える外見で、夏祭りで見るような着物姿に狐の仮面を被っていた。

 陽子と加奈の前まで来ると、少女はさっと陽子の手を取り彼女に何かを手渡した。それからぱっと手を放すと、これで大切な用事は済んだとばかりに背を向けてぱたぱたと駆け去っていったのである。

 突然のことだったので、加奈は注意することも引き留めることもできなかった。

「陽子の知り合い? 無作法に見えたけど」

 少女が見えなくなると、加奈は訊ねた。

「分からないわ。記憶にはないけど」と陽子は自信なさげに答えた。そして、少女から渡されたものを見た。「これは何かしら?」

 加奈は陽子の手を覗きこんだ。それは満開の桜の下に巫女姿の少女が描かれている美しい装飾のカードだった。巫女姿の少女は桜を見るのがよほど嬉しいのか、両手をいっぱいに広げて幸福そうな笑顔を浮かべていた。攻撃力が記載されていたがその数値はゼロで、カード名は『巫女の永遠の忠誠』だった。

 陽子は加奈にカードを手渡した。

「アマテラスカードね」と加奈は眉間にしわを寄せながら言った。

「アマテラスカード?」と陽子は首をかしげた。「はじめて聞く単語ね」

「トレーディングカードゲームという遊戯なの」と加奈はテキストを読んだ。「カードを集めて対戦するのだけど。でも、このカードは効果の記述が変ね。見た目はアマテラスカードだけど見た目だけで、実際は違うと思うわ」

 陽子は目を丸くした後で、くすりと笑った。

「加奈は、そのアマテラスカードには詳しいの?」

「さわり程度だけど」と加奈は肩をすくめた。「もともと、エンジェル&サイエンスというカードゲームをしていたの。その延長でアマテラスカードもはじめたのだけど。忙しいからすぐにやめてしまったわ」

「なるほどね。それはいいことを聞いたわ」

 加奈は陽子にカードを返した。

 電車で加奈は陽子と出会う前の淑景館の思い出を語りはじめた。ミカエルが自分の切り札だったことや、当時はクラスメイトの誰もトレーディングカードゲームに興味がなくて女中たちとばかり遊んでいたこと。そして、中学生になり懐かしくなって今度はアマテラスカードをはじめたことなどを。

「効果処理に違いはあるけど、基本的なルールはほとんど同じなの」と加奈は解説した。「相手の守りを突破して、相手ライフをゼロにすれば勝ちね」

一言も口を挟まずに陽子は話を聞いていたが、加奈が一呼吸置いたときに意地悪な笑みを彼女に向けた。

「加奈は私に内緒でカードゲームで遊んでいたのね。私に内緒で」

 加奈は顔を赤くして慌てだした。「別に内緒だったわけではないわ」

「冗談よ」と陽子は笑った。「でも、今日は私が知らなかった加奈を知ることができてとても嬉しかったわ。重要な発見ね」

 と陽子は目を輝かせて笑ったのだった。



 この話は、ここで終わるはずだった。

 しかし、この日から奇妙なことが起きはじめた。朝、加奈が目を覚まして携帯電話を見ると二つの眼がこちらを見ている。教室を移動するときに、さっと廊下に備えてある電子画面に狐の姿が走る。変なのに目をつけられたのではなくて、とクラスメイトの女友だちは笑ったが加奈としては冗談ではなかった。野生の人工知能の悪戯など、加奈にははじめての経験だった。

 しかも、陽子の様子もおかしかった。神経質に周りを見渡すことが増え、いつも微笑を浮かべて余裕がある彼女らしくなかった。

 食堂で食事を終えたばかりのときだった。発売されたばかりの音楽をタブレット端末で二人で聴いていると、画面の隅に狐の面を着けた少女が現れた。向こう側から、陽子と加奈に向けて手を振っていた。

 陽子は慌ててタブレット端末の電源を落とした。

「あれは何?」と加奈は問いつめた。

「知らないわ」と陽子は答えた。「私が知りたい」

 加奈は陽子も悪戯を受けていることを確信した。加奈は最近のこと、謎の人工知能が自分のまわりに現れていることを陽子に伝えた。加奈の話を聞くと、まるで感電したかのように陽子の髪が浮きあがり、鬼のような顔をしてタブレット端末を睨んだ。美しい顔が怒りでゆがみ、視線で人を殺せそうな勢いだった。

 これは何かを知っているな、と加奈は確信した。それで加奈は陽子に彼女が知っていることを話すように促した。

「ありふれたことよ」と陽子はため息をついた。そして、食後の珈琲を飲んだ。角砂糖を三つ入れたので彼女が不機嫌なことが分かった。

「さすがに、ありふれてはいないと思うけど」と加奈は言った。「私、はっきりいうと気味が悪くて不安なのだけど」

「それは諦めるしかないわね」と陽子はいじけて言った。「だって、私たちが暮らしている現実世界の裏側には数え切れないほどの仮想世界が存在しているでしょう。そこには数え切れないほどの人工知能たちが暮らしていて、その人工知能たちの一部は現実世界の人工知能たちよりも強力なのよ。私たちの手に負えない存在がいても諦めるしかないわ。でも安心して、加奈。仮想世界の人工知能に殺される人間の数は病気で死ぬ人間の数よりもずっと少ないから」

 いや、安心できないけど。加奈は、あの新宿で出会った少女を思いだした。あれは陽子を狙っていたのだろうか?

「分からない。彼女のことは本当に知らないの」と陽子はため息をついた。

「でも、何か心当たりはないの?」と加奈は問いつめた。

「ないことはないけど」と陽子は落ち込んだ顔をした。「もともと私の周りにはおかしな人工知能が多いの。ごめんなさい、加奈。こんなことになってしまって。でも、加奈だけは絶対に大丈夫よ。私もきっと大丈夫」

 まるで自分が信じていないことを自分に信じさせようとしているようだった。加奈は陽子が心配になった。とても大丈夫だとは思えなかった。

 そして、今回も加奈は間違っていなかった。

 次の日に陽子は消えてしまったのである。

 木曜日の朝、陽子から手紙が来ていた。もしかしたら、しばらく連絡がとれなくなるかもしれないけれど心配しないでという内容だった。加奈は慌てて起きると、陽子の部屋まで走った。何度も呼び鈴を鳴らし扉を叩いても陽子は出てこなかった。寮長の部屋に行き合い鍵を借りて開けると部屋には誰もいなかった。何もかもがきちんと整理されており、まるで自殺を試みる人の部屋のようだった。

 陽子からの連絡は高校にも来ていた。

 先生に相談すると、二条家の令嬢なら普通ではないこともあるだろうと心配しているそぶりすら見せなかった。金曜日、陽子は戻ってこなかった。土曜日も彼女の部屋には誰もいなかった。

 加奈は泣いた。

 もう二度と陽子とは会えないと思った。落ち着きをなくし、人工知能が人間たちを粛清していると騒ぎだした。

 日曜日になると、もう加奈は別人のようにやつれてしまった。同じ寮のクラスメイトたちは加奈が心配で陽子の悪口を言った。そして、月曜日が来た。二日間の休日を終えても陽子からの連絡はなかった。世界が終わったようだった。もう自分は生きていけないと加奈は思った。

 学校へ行き、加奈はタブレット端末で顔を隠して泣いていた。教室ではいつものように授業が行われていたが、この日常が異常に感じた。陽子がいないことを誰もが忘れているようだった。

 そのときだった。

 陽子が授業の途中で教室の戸を開けて入ってきた。そして、先生に「遅れてすみません」と声をかけてから、自然な感じで加奈のとなりに座った。

 そして、加奈を見て驚きの声を上げたのだった。

「加奈、どうしたの? 何かあったの?」

 加奈は怒りのあまり全身の血が沸騰した。そして、昼休みになると陽子の腕をがしりと掴んで彼女を食堂まで連行したのだった。

 注文をするときも、盆を受けとるときも加奈は陽子から目を離さなかった。

「私は逃げたりはしないわ」と陽子は真剣な顔で言った。「それより、何があったのか話して」

「何があったのかを話すのは陽子のほうよ」と加奈はぴしゃりと言った。「木曜日から今日まで何があったのかを話しなさい。欠片も残さずに」

 陽子は困った顔をした。

「加奈、私にも話せないことはあるわ」

「私に話せないことはないわ」と加奈は言った。「私にいつまでも友だちでいましょうと言ったのは陽子のほうよ」

「友だちのあいだにも秘密は必要よ」

「陽子のいじわる!」

 加奈は泣きだしてしまった。

 陽子は動揺した。泣かないで加奈とか、私どうしたらいいの何をしたら許してもらえるのと懇願をはじめた。

「すべてを話せばいいのよ」と加奈は涙を拭きながら言った。

 陽子は迷っているようだった。身体を乗りだしては引っ込めて、言うか言うまいか決心がつかないようである。

「私、また泣くから」と加奈は強迫した。

「分かったわ、加奈」と陽子はため息をついた。「今日、加奈の部屋に行くわ。そこですべてを話します」

「悪いけど、今日は目を離さないから。逃がさない」

「逃げたりはしないわ」

 と言うと、陽子は再びため息をついた。

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