捨てた銃弾、ボリジの花よ

朝易 正友

今日の天気は?

「ゴーゴーゴー」


 後ろから聞こえる掛け声と共に、身を宙に踊らせる。体が重力に引かれて、私は空へと落ちていく。


 凍った風がぶつかってきて、私の隅々まで張り付いている。目に、顔に、手に、足に、喉に。まるで炎の中にいるようだ。


 風はだんだんと強くなっていく。その濁流に押され圧され、体がきりもみのように回ってしまう。


「訓練を思い出せ。思い出すんだ!」


 ……アントンに教えられた事を。


『降下したのち、すぐに落下傘を開け。』


 リュックサックの右側にある紐を思い切り引くと、解かれた落下傘がリュックサックから飛び出し、一気に開いていく。


 落下傘によって上へ引っ張られていき、私の体はようやく安定する。それにともなって私を焼いていた風は弱まり、ようやくまともに呼吸できるようになった。


 状況を確認する。安定した今だから分かる事だが、今日は本当に風が強く、私たちは横に薙ぎ払われているようだ。今も、そうやって本隊と私との間は広がっている。ああ、くそ。こういう時はどうすればいいんだ?


 と、その時私の横を何かが通り過ぎた。それは時間が経つにつれ多くなっていく。つまるところ、それは銃弾だった。敵が私たちに機関銃を撃っているのだ。


 最悪だ。宙に浮かんでいる間、弾丸を避けられようか?いや、私に出来ることは地面に着地するまで神に祈り続けることだけだ。


 風を切り裂く音がする。風を切り裂く音がする。風を切り裂く音がする。擦れて裂ける音がする。


 私の足が地面に着くまでいつまでか?ホルスターにはめ込まれた拳銃を握りしめる。


 しばらくしたら、こちらが見えなくなったのか、銃弾の雨が止んだ。助かったのだ。ああ、動悸が止まらない。戦場に足を着けてすらいないというのに、このザマだ。


 ふと地面を見下ろす。流されてきたから当然とは言えるが、そこは予定していた着陸地点では無かった。それどころか、そこには不揃いな岩の絨毯が敷かれていた。


 動悸が更に高まってくる。落下傘だって完全に勢いを削げる訳じゃない。岩に勢い良くぶつかれば、骨の一本二本程度は容易く折れるだろう。


 急いで重心を変えるが、そんな事で容易く方向を変えられるほど美味い話は無い。そのまま岩場に足を着ける。踏ん張ってみるが、それも虚しく私の体は引き倒され、引きずられる。


 痛い、痛い、痛い!おろし金ですられたようだ。全身が熱い。血が流れ出ていく。落ち着け、落ち着くんだ。アントンにも言われただろ!冷静さを欠いた奴から死んでしまうんだ。


 傷の状態を確認するんだ。……ああ、皮は向けてるが、肉まで削げている訳じゃない。鼻血が出てはいるが、出血も少ない。骨も、折れてはいない。なんだ、この程度か…… それでも大したことはないじゃあないか。


 全身に広がる鈍い痛みを無視して立ち上がる。空を見上げると、灰色の雲が覆っていて、すでに私たちを載せていた輸送機は見えなくなっている。地面に視線を戻してみれば、少し遠くに何人か着地しているのを確認出来る。


 少し周りを歩き回ってみる。その何人か以外には全く人の気配が無い。迷わずに合流できると良いのだが。


 ふと、ブーツが水溜まりを踏みしめる。その水溜まりは、何かから薄く広がったかのように浅く、小さく、そしてヌメりをともなっていた。そもそも、前日にすら雨が降っていないこの岩場にはあるべきでないものだった。ゆっくりと、ぎこちなく、首を下に動かす。


 赤。緋。アカ。


 湧き出る絵の具でキャンパスを塗るように、一面に広がって。ちぎれた落下傘の紐、所々破れた布地。アカイロで埋め尽くされたキャンパス中心にあるのは、間違いなくアントンだった。


「あ…… え?」


 どうして?どうして?どうして?どうして?だってアントンは、『俺の指示に従ってれば死にはしない』って、教導ビデオの通りに、訓練の通りにやっていれば死なないって。でも、アントンは死んでしまったじゃないか。じゃあ今まで教わってきた事は……


 ああ、今まで教わってきた事は嘘だったんだ。戦場じゃあ、こんな事でさえ死んでしまうんだ。今までずっと上手くやってきたアントンだって死んでしまうんだ。


「」


 声が聞こえる。関係ない。耳鳴りがする。頭が割れそうだ。恐ろしい。恐ろしい。恐ろしい。アカが広がっていく。一面に広がっていく。


 逃げなきゃ。


「」


 走り出す。ここから離れなければ。

 痛い。ここから離れなければ。

 苦しい。ここから離れなければ。


 走り続け、走り続け、気がつけば、そこは見知らぬ場所だった。もはや元々目指していた平原の面影すらなく、茂みと木々が私の視界を覆い隠している。草を踏みしめる音がして、急いで近くの茂みに隠れ、息を潜める。


 敵の部隊だ。近くにも複数いる。きっとこの森は、敵の部隊の迂回路なのだろう。だから聞こえる。軍靴の音、草のちぎれる音、兵士が聞き取れない言葉で雑談をしているであろう音。


 私はこの森に閉じ込められたのだ。


 草むらの中でじっと待つ。通り過ぎていく。じっと待つ。通り過ぎていく。もう何日動いていないだろうか?喉は乾物のようになって、腹の中には何も無い。


 出来たてのカツレツが食べたい。淹れたてのコーヒーが飲みたい。草や露で誤魔化そうとしたが、もう耐えられない。


クルト、クラウス、ヨハン、君達は今どこに居るのだろうか?アントンが死んで、私が居なくなって、大丈夫だろうか?


 また音が近づいてくる。ここで乾いていくよりは、降伏してしまった方が良いのではないか?良いに違いない。私にはアントンから貰った拳銃しか無い。こんなもので立ち向かったとしても死ぬだけだ。


 茂みから出て、拳銃を置く。


「投降する。殺さないでくれ!」


 銃口を向けられ、敵が何かを話しているのを聞く。撃たないでくれ。誰かが、銃を構えながらこちらに来る。恐ろしい。そいつは銃を振り上げ、最後に私の視界が揺れた事だけは分かった。

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