第35話 何を思って働くか


俺なら、やれる。


そうバイトが始まる前に意気込んだことがだいぶ前のように感じる。


それくらい今日はやることや覚えることが豊富で、知村さんからの注意やアドバイスも多かった。


お客さんの案内と注文受け取りは主に俺と田淵くんでやっていて、それを見ている知村さんの眼力の圧をひしひしと背中で感じていた。


そのときは知村さんからの注意はあまり無かったがただ一つ印象に残っていることがある。


それは田淵くんが注文を受け取りに行ったときのこと。

俺から見たら本当にしっかり接客できていて、丁寧に対応しながら注文もちゃんと受け取っていた。


田淵くんが戻って来ると知村さんは彼にこう言った。


「接客が終わったからと言って笑顔からすぐ無表情に戻らないでください。もしかしたらそれが感じ悪く思われるお客様もいるかもしれません。せめてすぐではなく、こちらに戻ってからにしてください。」


知村さんは注文受け取りの仕方を正しくできているかや上手くできているかを重点的に見ていた訳ではなく、表情や仕草を見ていたことが分かった。


正しくやろう上手くやろうとばかり考えていたが、そういうお客さんに対しての意識はあまり考えていなかった。

知村さんが言った言葉でそれがまず大事なことなんだと改めて感じることができ、そのあとの料理運びではそういう意識を優先し、接客をした。


そうすることによってなぜだか、上手くやろうとしていた時よりもスムーズに接客ができていた様な気がする。

たまに料理を危なっかしく持っていたり、姿勢や仕草だったりの注意やアドバイスはあったが、嫌な厳しさでは無かった。


全て当たり前なこと、でも一番大事なことでもあるその注意やアドバイスは、発見でもあり改めて頑張ろうと思える様なものだった。


田淵くんは接客し終わった後すぐ無表情に戻ることはなくなり、すでに様になっている姿がもっと様になった気がした。


「じゃあ、キッチンの見学でもしてみましょうか。」


そう言って知村さんはキッチンの方に俺たちを案内してくれた。


「お、新人!ようやく来たな〜!」


俺たちがキッチンの近くに行くと、明希おばさんと一緒に店を開いた料理長の矢吹 翔太郎(やぶき しょうたろう)さんが声をかけてきた。


「翔太郎さん、お疲れ様です。ここでアルバイトさせていただくことになりました。よろしくお願いします。」


「おう、慎、よろしくな!どんどん働いて売り上げ上げてくれよ。」


「が、頑張ります。」


昔翔太郎さんによく遊んでもらった記憶がある。気さくで大胆で楽しい人だ。


俺が小さい頃から翔太郎さんは明希おばさんのそばにいるイメージがあり、二人は仲が良い。

元々翔太郎さんが店を開きたいと考えていたみたいで、それに明希おばさんも乗ってきたという形でこのお店ができた。

結婚とかそういう話は聞かないが、お互いにとって最高のパートナーなのは見ていて分かる。


「それでこっちが?」


「新人の田淵尚之です。よろしくお願いします。」


「おお。田淵!俺はここのキッチンで料理長を担当してる、矢吹翔太郎だ。よろしくな!」


「よろしくお願いします。」


「おーい!島木!」


自己紹介が終わると翔太郎さんはキッチンの奥にいる島木と言う20代くらいの男の人をこちらに呼び出した。


「なんですか。矢吹さん。」


「ホール担当がたまに料理の方も手伝うことあるだろ?それ少し教えてやってくれ。」


「分かりました。」


島木と呼ばれていた人は島木 雅樹(しまぎ まさき)さん。


お互い自己紹介をし終わり説明が始まろうとするところで、島木さんは知村さんを見て嫌な顔をしていた。


「お前、ホールに戻れよ。」


「私は教育係だから、新人のことは見てないといけないの。」


「俺が今から説明すんだからお前はここにいなくて良いだろ。」


「島木の説明じゃ分かりにくいかもしれないから補足してあげようとしてるんじゃない。」


「は〜〜?お前に捕捉できるとこなんてねえから。俺の説明で十分だから。」


なんか喋れば喋るほど二人の雰囲気が険悪になっていく。


「あいつら同じくらいにバイトで入ってきて何かとああいう風に言い合いになるんだ。まあ、仲は悪くないと思うから安心してくれ!」


翔太郎さんは俺たちに知村さんと島木さんの微妙な関係を教えてくれた。

仲が悪くないとすればこれはなんの言い合いなんだろう。


「ちっ、埒が明かねえ。もう良い。とにかく説明するぞ。」


「最初から早くそうすればよかったのよ。」


「、、、くそ女。」


決着はついていない様だが、ようやく普通に説明が始まろうとしているので安堵する。


島木さんはホール担当が調理の方を手伝う時のマナーやルールを分かりやすく教えてくれた。

主にホール担当が手伝うときにやることは盛り付けで、慣れてきたり本人の希望があれば作る方もできるらしい。


「そういえば知村さんも手伝うことあるんですよね?」


「まああいつはムカつくけど器用だから綺麗に盛り付けたいスイーツとかは安心して任せられる。」


「褒めてくれてありがとう。」


「あ?褒めた訳じゃねーよ。ただ思ったことを言っただけだ。たまに作る時もあるけど俺の方が断然うまいね。」


「何当たり前なこと言ってんの。キッチン担当なんだから私より下手だったら、あんたクビよ。」


「ああ゛?なに人のこと勝手にクビにしてんだよ。」


またなぜか言い合いになっている。

もう島木さんには安易に知村さんの話題は出さない様にしようと思った。


言い合いはなんとか終わり、やっと最後まで説明を聞くことができた。

そのあと島木さんは自分の作業に戻り、知村さんと俺たちはホールに戻った。


* * *


今日の作業はほぼ終わり、時間ももう閉店時間5分前。


ホール担当はテーブルやドリンクバーのところを拭いたり片付けたり、レジの整理などそれぞれ別れてやっている。


知村さんはレジ内のお金の整理をしており、俺と田淵くんはテーブルやドリンクバーの片付け。


「田淵くん、大和くん、今日も良い感じにできてましたね!さすがです!」


真木咲さんは俺と田淵くんの近くに来て、今日の仕事ぶりを褒めてくれた。


「ありがとうございます。」


「、、、ありがとうございます。」


田淵くんは少しの間をおいてお礼を言った。

表情は変わらずだが、雰囲気がほんの少しだけ落ち込んでいる様にも見える。


「田淵くん、もしかして注文の時に千秋先輩に言われたことを考えてますか?」


「、、、まあ、はい。だから真木咲さんが言ったみたいに良い感じにはできませんでした。」


それを聞いて真木咲さんは田淵くんの肩に優しく手を置いた。


「何言ってるんですか!田淵くんは注意されて、その後しっかり出来ていたじゃないですか。ならそれはもう、良い感じですよ!」


そう言って真木咲さんは田淵くんに歯に噛んで見せた。


「、、ありがとうございます。これからも頑張ります。」


その時いつもの無表情が少し緩んだ気がした。

ほっとしたのか、嬉しくなったのか。

そんな二人を見てなんだか自分も安心して頬が緩んでしまった。


閉店の時間になり、本格的にホールの掃除を始める。


「二人とも、今日はお疲れ様でした。明日もこの調子でよろしくお願いします。」


掃除をしていると今度は知村さんが声をかけてきた。


「も〜〜千秋さん!硬いです。だから田淵くんも怖がって怯えちゃうんですよ!」


「いや、怖かった訳じゃないです。」


「、、、それはすみませんでした。まさか怯えさせてしまっていたとは。」


「いや、だから、怯えてもないですから、大丈夫です。」


なんだかみんなの雰囲気が良い。

真木咲さんがムードメーカーになっているのか。

知村さんは真木咲さんが言っていた通り、お客さんのことをしっかり考えて見ていて厳しい時は厳しいけど、優しい先輩なんだと今日見てて思った。


「そうだ二人は、キッチンの手伝いに興味はありますか?もしあるなら明日からも合間に教えますが。」


「あ、俺興味あります。」


「大和くんは興味ありと。田淵くんは?」


「俺は、あまり料理はしないのでそこまでではないです。」


「了解しました。気になったら言ってくださいね。じゃあ大和くんは明日も少し教えますね。」


「はい。お願いします。」


これでもしかしたら、自分で盛り付けたものを出すことができるかもしれない。


そしたら、あいつはどんな顔をするのだろうか。


そういえば真木咲さんも調理の方興味あるって言ってたな。


「あ、真木咲さんは良いんですか?興味あるんで


「うおあーー!なんですか?大和くん!何を言い出すかと思えば!HAHAHA!」


「え?でも昨日


「も〜〜!何も言ってないじゃないですか!どうしたんですか大和くん!」


「?まき、キッチンの手伝い興味あるの?」


「いえいえ!もう全く!私全然料理しないですから!」


「そうなの?」


「はい!」


なんだこの慌てようは。昨日あんなに興味あるって言っていたのに。


真木咲さんの方を見ると、もう何も言うなと訴えかけてくる様な眼差しで俺を見ていた。

その圧に押され俺は口を閉ざした。



* * *



「大和先輩!もう私がキッチンの方に興味あるみたいなことは言わないでくださいね!」


帰りのバスを真木咲さんと一緒に待っているとさっき疑問に思っていたことを真木咲さんが俺にグッと近づいてきて強く言ってきた。


「わ、分かりました。でもなんでですか?昨日はあんなに興味あるって言ってたのに。」


すると真木咲さんは見るからにシュンとしてその理由を話してくれた。


「私、どうして料理が上手にできないのかは分かりません。でも自分が下手なのは分かってます。だから、こんな状態で手伝いたいなんて言ったら迷惑になる。」


「知村さんは迷惑なんて思わないで教えてくれると思いますけど。」


「だからです。思わなくても、このままじゃ作業的に迷惑になるのが見えてます。だから、少しでも上手くなったら言いたいんです。」


真木咲さんなりに自分の料理の下手さで色々悩んでいるのか。


「なので、大和先輩!」


「え、はい。」


「その間はよろしくお願いします!これ昨日作ってきました。」


「あ、ど、どうも。」


渡されたのは小さい小袋。中を見ると焦げ茶色の丸い物体がいくつか入っていた。


「これは、、、」


「無難にクッキーを作ってきました!」


「クッキー、、、」


「そ、そんな嫌そうな顔しなくても!一口でも良いんで家で食べてみてください。明日感想待ってます。」


「わ、分かりました。じゃあこれはまた後ほど。」


その物体を自分の鞄にスッとしまう。

家に帰ってからこれをまた再び取り出すのは結構気が重い。


「ありがとうございます。大和先輩。」


弱々しくお礼を言われると自分がこんなことを思っていることに罪悪感を感じる。


せっかくもらったのだから、しっかり味わって感想を言わなければ。

でもこれを食べ切るのはなかなか難しい様な感じもする。


とりあえずいつもお世話になっている姉にでも少し分け与えよう。

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