ネクロポリス

モモモ

ネクロポリス

その共同都市では死体を労働力に使っていた。

当然、倫理観も、その土地柄に合わせて、鍛えられ方が違っていた。

その教義は、人間において、仕事は快楽である。死の最も怖ろしいところは、ただ寝たきりになって、之以上仕事が続けられないところにある、とされた。彼等の政治屋や教育者および神官達は異口同音に主張して誰も是に異を夾むことをしなかった。


生きとし生けるものは生まれたが最後、必ずいつかは死なねばならない。

その風変わりな慣習をもつ共同体でもそれは免れ得なかった。

彼等の内一人が倒れ、やがて臨終間際が訪れると、

その枕下に族長が訪れて民を代表して神聖なる魔法の薬を病人に飲ませるのである。

魔法の薬を飲まされた重病人は、ひとしきり痙攣した後、意識を失ったり取り戻したりを繰り返す。半日ほどそのサイクルを繰り返すと、彼等は顔にほほえみを浮かべる。族長はこれを認めると神官にこのことを伝え、神官は族長に促されるまま、この重病人の笑みを確認するなり家族の者にようやく臨終を教える。


薬はレモンの香りがした。


果たして、できたてのほほえむ死体は、薬の神聖なる力で再び活動する力を得る。生前いかなる重病人でも必ず起き上がり一通りの労働をしっかりとこなす一端の労働者に立ち戻る。

その後、体が崩れ去る数年の先まで働き続ける。不思議なことだが、転がしておくと数日の内に腐敗しウジの湧く死体だが、この薬の力で労働を行わせると、普通の例から漏れてしばらく腐敗せず長く保つものであった。

この現象を前にした民民は、いかにも仕事のもつ神聖な力が彼の体を保護しているのだと信じた。それ以外の結論はいかなる種類の結論であろうとも神を疑う悪魔の推測であるとして、決して発展させようとはしなかった。


ある時、普段薬を献ずる定めの族長が治らぬ病に罹り、そのまま本復せず死を迎えようとしていた。こうした場合、死者に薬を飲ませる役割は次期族長となるであろう現族長補佐が行うように取り決められていた。


現族長補佐は取り決めに従いこの仕事をこなそうと薬を族長の口元に運んだ。族長は作法が気に入らなかったのか、はたまた痛みのためか、大儀そうに顔を横倒し、この薬から逃れようともがいた。

族長は恐れるように慎重に唇を杯に当たらぬ場所へずらすと、か細く聞き取りがたいが、それでも確かな発音で何言かを族長補佐へ呟いた。僅かに離れた場所に控えるドッグバエラとその他取り巻きの者達には族長が何を話しているのか聞き取れなかったが、息のかかるほど近くにいた族長補佐にのみはこれが聞こえたらしく、族長の耳元に口を近づけ、やはりこれも聞き取れなかったが、流れから推察するにおおよそ族長への返答らしき言葉をささやいた。族長は目を見開き再び何事かをいうとする気色を見せたが、族長補佐は素早く族長の顎を

押さえつけ、物言おうと開いている口の中に薬を流し込んだ。

レモンの香りが漂う。

近くでこれを見ていたドッグバエラは事の成り行きに不審を憶えた。平素よりこの眠りにつこうとしている族長は、この薬に対して死後にかかる不幸な束縛から肉体を解放し、労働たる幸福を与える魔法の薬と自慢げに吹聴していたのに、いざ自己の臨終の際にはそれを飲むことを拒んでいるようにみえたからだ。


「先代は、臨終の際になんとおっしゃったのですか?」

ドッグバエラは尋ね、新族長は笑って答えた。

「病で首が衰えどうしても傾いてしまうので、手で顔を押さえて薬を飲ましてほしいといったのさ。」

ドッグバエラは族長がその次に見せた最後の形相にいささかの不審を憶えたが、薬を流し込む手伝いを自らしたためにあの形相になったのだと考えて一人納得をした。

数年後、この新族長もまた治らぬ病にかかり、死を迎えようとした。

族長補佐を行っているドッグバエラの兄が彼に薬を投与する名誉をいただいている。

彼も同じように首を傾け薬を拒んで小声で何かを言った。

ドッグバエラは目を見張った。また次の族長候補も彼が昔先代にやったように、耳元でささやいて、顔を押さえつけ、レモンの香りの薬を飲ませた。



新族長と、ドッグバエラは兄弟であり、それ相応のなじみがあった。ドッグバエラは族長たる兄に素直に疑問をぶつけてみた。

「実は、先々代の族長の死の際でも、族長は薬を拒んで何かをささやき、族長にならんとするものは、耳元で何事かささやいて、口をこじ開け薬を飲ませた。私は後に、何を聞いて何を言ったのか新族長に訪ねると、病で薬を一人で飲むことが難しいゆえ、補佐してほしいといわれ、承諾したものだといった。今回も同じことが起きたようだが?」

新族長は、先代がやったように笑顔で頷き、ドッグバエラを族長補佐に指名した。首さえ自由に任せられぬ高齢とは思えないと先を継ぐと、そんなことはどうでもいいじゃないかと兄は言い、相手にして貰えなかった。


瀕死の者を労働力に変えるため、毎日のように各家を回った。たいがいは、病の者にも家族にも歓迎されたが、時として奇妙な例外もあった。


一人の男は、頑なに薬を飲もうとしなかった。彼は神聖な祝福の薬を拒むわけを族長とドッグバエラに語った。

「あの屍のような労働者達は、屍に相応しい弛緩した、ともすればほほえみにさえ見える表情を浮かべ何一つ喋ることが無い。だがおれは、そいつ等の一人、俺の、かつては父と呼んでいたものが喋るのを聞いた。それはひどく途切れ途切れで聞き取り辛かったが、ちゃんと意味のある言葉とわかった。聞く構えを見せた俺に彼は言った。「つらすぎる。つらすぎる。殺してくれ、ころしてくれ」と。俺は耳を疑った。目も疑った。族長や神官、そして生前の目の前の親父から聞いていることと全く反対の自体に出会ったからだ。

あいつ等、いや、あの人達には列記として人間らしい感覚があり、意思もある。ただ体が思うに任せられなくなり表現が出来なくなっているだけなんだ。

彼等に対する扱いは知っての通り人間に対するものではない。彼等は生きながら死体として尊厳なき労働を強いられているんだ。

魂は天に帰り、残った肉体が家族の為に奉公するなんてうそっぱちだ。あの体の中にはまだ魂が縛られている。

族長はその男の耳元で何かささやいて、衰弱しながらも狂人の力で暴れる男を、顔を、万力のように押さえつけ、やはり彼の耳元で何事かをささやいた後、薬を飲ませた。

レモンの香りがする。

ドッグバエラはその時に初めて聞きとった。なんとささやいているかを。

彼が族長を始め、全ての拒絶する死者に対してささやいた言葉は「俺の知ったことか」だった。


今回の様な男は案外少なくなく、100人看取れば必ず一人はいた。それ等もすべて押さえつけ無理やり薬を飲ませ労働力とした。

伝染病がはやった。貿易らしい貿易もしていないにもかかわらず、温帯で氾濫原の近くにあるこの国では、ややもすると直起こる。

幸い今期の病はかかる者の少ない病だったが、かかった者の命は無かった。

そして、今の族長がこれにやられて助かる見込みはないという。

臨終の際、新しい族長となったドッグバエラは初仕事としてこの男に薬を飲ませる役割を仰せつかった。元族長ドッグバエラの兄は、彼が薬を保ってくる前から顔を横倒しにして拒んで見せた。彼は不意に薬を口に注がれることを恐れるがために、慎重に唇のみを動かしてこんな事を語り出した。

「なあ、弟よ、俺とお前は連日村々を駆け回り、随分と薬を飲ませ続けてきたな。

その中で、当然憶えているだろうが、薬を拒む連中を多く見てきた。彼等は異口同音に死の労働者達には感覚があるが何も伝えることはできないと述べていた。今になってそれが本当の気がする。おれはそんな風にはなりたくない。たのむ、このまま殺し墓に埋めてくれ。」

ドッグバエラははこのとき初めてわかった。

歴代の族長が感じていたであろう歴史、規範、秩序という重圧を。

彼を特別扱いすることは出来ないと。

ここで彼を助ければ、己の手落ちとなる。

すでに神官を始め族長の家族や、族長なだけに名士もあたりを囲んでいる。

彼は憐憫を示す価値は無い。一体どれほどの懇願を踏みにじっていたことだろうか、

ドッグバエラは自分が一種の因果律の代理人になったような気持ちがした。そして、彼は獣を殺すときのような熱を吐きながら、彼の耳元でささやいた。

「俺の知ったことか」

やにわ、凄い力で抵抗を始めた兄をドッグバエラは全力で抑え込み、そのまま無理やり口をこじ開けて薬を喉の奥へと流し込んだ。

レモンの香りがする。


それから後、ドッグバエラは一種の罪人となった。

因果の執行人となったが最後、その因果に必ず殺されなければならない。

次の執行人は新たなる補佐役の10才下の男トッドであり、死刑囚は自分である。

ドッグバエラはその運命を変えようとトッドに厚遇を試み、また、薬を拒絶する者を物言わせぬ速度で縛り上げる新たな新法を確立した。


族長としてのドッグバエラの手腕はとてもいいもので、次々と労働力を拵えていった。人々は彼をたたえ尊敬した。彼の生活地域は大勢の労働者で栄え始めた。貿易も始まり、彼等の村は今や町と呼ばれるほどに発展した。初代の町長となったドッグバエラは石版に名前を記された。今や彼は絶頂を手に入れ、そしてそれは石版により永遠に不滅となったように感じられた。


貿易品の積荷から新しい調味料を得た。

その時からであろうか、とドッグバエラは思う。しくしくと腹が痛む。その痛みは増す一方で、とうとう倒れて起き上がれなくなった。かすむ目であたりを見渡すと、家族が自分を見下ろしている。声をかけようと思ったが、腹の激痛で上手いように声が出ない。やがて家族は視界から消えて、代わりに自分の助手であるトッドがひとり近づき何かを口元に当てた。レモンの香りがする。

ドッグバエラは、はっとして。首を傾けた。そして出ぬ声で嘆願した。「その薬は飲みたくない、自分の功績はそのくらいの権利はかちえてもいいはずだ」と。

トッドは耳元で小さく、だがはっきりといった。

「貴方はまだこの国のために労働を続けることができる。今、祝福を授けます。ドッグバエラ。」

因果が変化したことをドッグバエラは悟った。しかし、今日のために厚遇をしてきたのだ、そのトッドがいったいなぜ自分を裁くのだろうか?

ドッグバエラははっとする。トッドは何も知らないのだ。このレモンの香りのする薬の後ろ暗い部分を知らぬ初めての族長補佐なのだ。私がいま薬を飲むことを拒んでいる意味はおろか、意思すらわからぬ。それでも結末は変わらない。

尊敬と慈悲に満ちた執行人はドッグバエラの発案した方法で彼を縛り上げ、そして祝福であることを疑わぬ薬を彼の口へとあてる。


たちまち、口は彼の発案した器具にこじ開けられ、生ぬるく、ほのかに甘い、レモンの香りの液体が口の中に入ってきた。器具は鼻をふさぎ、呼吸を求める本能がこの液体を嚥下した。ドッグバエラはごくりとなる喉の音を聞いて、その後全ての事柄に興味を失った。


気がつくと日光の降る屋外であった。石切り場に自分が立っていることに気がつくと、さきの体験が白昼夢であることに気がついた。なんと怖ろしい夢があったことだろう。ほっとして目の前にいる親しい友人に、今見た夢のことを語ろうと近寄った。

妙にもつれる足を駆使して傍によるも舌がしびれて声が出ない。それでも何とか話そうと息を噴出すと、嗚咽のようなうめき声が発せられ、自分でも驚いた。友人は声に振り返りドッグバエラに気が付くと少し哀しそうに眉をひそめた。ドッグバエラがその表情に不審を抱いていると彼は鞭を思いっきりふるいあげ、そのまま己を引っぱたいたのだ。あまりの痛さに昏倒するドッグバエラ。

鞭を振るった友人は、奇妙にして無表情な顔を作り「列に、戻り、石を、運べ」と奇妙に文節を切る言い方で私に指示を出した。彼は再びより一層感情の籠もらぬ声でこの命令を繰り返すと、再びドッグバエラに鞭をくれた。彼は狂ってしまったのだろうか?上手く動いてくれない体を駆使してとりあえず列に向かうことにした。踵を返して、列に向かう途中またしても背中に鞭が走った。ひざを突き振り返ると友人はぎらぎらした目でドッグバエラを見据えたまま

「早くしろ。」

と言った。


今や彼は笑っている。友人と信じていたドッグバエラを鞭で打ちすえ、口の端を歪ませて笑っているのだ。その後も彼は不必要に鞭を振るった。ドッグバエラに対してだけではない。周りの労働者に対してもだ。自分の優越感に浸っているようだった。これも友人に限ったことではない。監視役のほぼ全ての者が、歪んだ笑みを口角に浮かべ日々労働者を打ち付けている。質問者は今鞭で打たれた場所がひどく痛む。しっかりとした味覚を持ったまま、豚のえさを食べさせられている。ぼうふらの浮いた水を飲んでいる。寒さや暑さを感じるままに、馬小屋より粗末な檻の中で寝かされている。嗅覚を持ったまま肥溜めの掃除をやらされる、またはっきり見え、はっきり聞こえる耳に露骨な讒謗とさげすみが休み無く入ってくる。彼は考える頭がある。彼には感じる心がある。だが誰もわかってくれない。伝えるすべも無い。何度か自殺を試みたが、それも許されず、死なない程度に鞭を食らうことになる。彼は自分が作り上げた数々の労働者のことを考えた。彼は労働者を一切人間扱いしなかった日々を思い出した。感覚が健在とは知らなかった。魂がまだ生きているなんて知らなかったのだ。彼は黙って冷たい土のベッドで目を瞑った。雨の音だけが耳に近い。彼は思い出した。心の中で、労働者達の魂が、感覚が残っているかもしれないと感じていたことを、感じていながら非情に扱っていたことを。あの男の話を聞く前から、うすうす感づいていた。知らぬふりをしていただけだ。自業自得といえよう。あの歪んだ笑みをたたえながら鞭をふるうものも、今に、固い土に体を横たえて私と同じことを後悔するに違いない。ドッグバエラはそう考えると動かぬ顔をめいっぱい引きつらせて笑うと、労働者になってよりはじめて安らかな眠りについた。己の口から出るレモンの呼気をかすかに嗅ぎながら。

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ネクロポリス モモモ @momomo_nikoniko

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