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時刻は七時三十分。本来の出勤時間は八時半で、平時であればウェンズデイの教育の時間ですが、所用のため出勤を開始します。
昨日の今日での辞令のため、昨日は本社スペースコロニーから惑星ラバウまで強行軍。ウェンズデイの法定速度を無視した爆走で到着時間を短縮できたものの、確保出来たのは十分な睡眠時間のみ。我々はこれから一か月間お世話になるラバウの宇宙港の営業事務所の所長に挨拶を行っていません。
地上であれば人類は恒星の光が作り出す昼と夜の感覚に支配されますが、大気圏を超えた軌道エレベーターに立地する宇宙港は人工の輝きが支配する不夜城。二十四時間三百六十五日、様々な惑星からあらゆる資源が取引されるため、ここでは閉店という概念がありません。盆も正月も各惑星の周期ごとに異なるので下手に閉めることが出来ないと言った方が正確でしょうか。そのためここでの労働スタイルはシフト制。標準時で早朝でもお店は営業しているのです。
「ねえ、これ結構高いお菓子だけど買う必要あったの? 別に財布に困っている訳じゃないけどさ」
ウェンズデイは先ほどお土産店で購入した菓子折りを包んだ紙袋を覗き込みながら、活気ある宇宙港の中を営業所に向けて真っ直ぐ歩きます。
〈ウェンズデイ、あなたは自分の立場が分かっていますか?〉
「えーっと、社長令嬢」
〈まあ、確かにそうですが……〉
「え、まさかレッキングシスターズが肩書だなんて思っていないよね」
〈何言ってやがりますか……〉
ウェンズデイのあまりのとぼけ具合に人間で言う所の「怒り」に達すると口調がぶれるのが私の欠点です。MaiDreamシリーズは学習次第で人間らしい「感情」を表出出来るまでに「成長」するよう設計されていますが……ウェンズデイやマスターの前ではともかく、この一か月間は感情のブレを抑えるようにしなくてはいけません。
〈ウェンズデイ、確かに私人としてのあなたは『社長令嬢』ですが、弊社のヒエラルキーの中であなたは『平社員』である事を忘れていませんか〉
今までウェンズデイが所属していたのは外勤の運送部。いわゆるガテン系と呼ばれる文化が存在し、決められた荷物を淡々と運ぶため、業務の大半を宇宙船で過ごします。ここでは、上司とは各社員に荷物の振り分けを行う時くらいしか接触が無く、部下の方も多少態度が悪くても規定時間通りに荷物を届ければ文句が出ない部署。運送員同士は体育会系のノリで仲良くすることが多く、ウェンズデイも不名誉極まりないレッキングシスターズの二つ名をネタに休憩時間にお兄さんたちとおしゃべりに興じたり、腕相撲をしたり(誰もウェンズデイに勝てません)と親睦を深めています。
しかしながら、上司と部下の関係性が希薄だった外勤と異なり内勤となれば文化圏は文化系に。こちらでは肉体派よりも頭の、デスクワークの良し悪しなどが評価される世界となります。
ウェンズデイの学力は決して低いわけではありません。こと戦闘に関わる物であれば弾道計算や火薬の調合・成分の割合を求める問題は専門家レベル。身体能力も抜群で今からでも軍の特殊部隊に入隊できるほど優秀です。
それなのに――ウェンズデイの学力は何故か日常の分野において発揮されません。優れた言語能力で共通語のみならず訪れた先の惑星の異言語を覚えられるのは本人曰く「生きる事に必要だから」。ウェンズデイの中では「生きる事=戦う事」という図式が成立しているのでしょう。それゆえ、その本能に合致しない分野においては……ウェンズデイは未だに中学生レベルの方程式に躓いています。弾道計算ではもっと複雑な式を用いているはずなのに、これが自己の生存に関わらなくなると彼女の頭脳は途端に興味を失い思考を放棄します。
それゆえにウェンズデイの待遇は今まで外勤の運送部。マスターとしてはそこが一番ウェンズデイの才能を生かせる部署だと判断を下したのでしょう。
サマートランスポートは外勤も内勤もそれなりのレベルの人材で構成されています。文化系の内勤であれば各惑星から弊社の高給を目的に就職してきた各惑星から生え抜きのインテリ、高学歴の超エリートがその席を占めているのです。
宇宙港に穴を空けたほとぼりが冷めるまで、ウェンズデイを外に出さないのはいいアイデアだとは思います。しかし、ウェンズデイは体育会系の超エリートであり、果たして内勤と馬が合うのか。運送業では古来より「内勤はエリート主義から外勤を見下し、外勤は内勤のモヤシのような肉体を馬鹿にする」と言うような文化的な断絶が存在します。お世話係である私としてはウェンズデイを守るため、マスターの名誉のためにこの一か月の間だけでもレッキングシスターズらしからぬおしとやかな二人組を演出しなくてはいけません。
〈お菓子一つ、礼儀作法一つで円滑に進むことが社会にはあるのです。私達がこれからお世話になる所はそういう生活圏である事を忘れずに〉
「ああなるほど、ママと一緒に会食する時のテーブルにマナーみたいなものね。だったら大丈夫。ママの外面をまねっこすればいいんだ」
この母娘はどうして内では口が悪いのか理解に苦しみますが……まあ、ウェンズデイの理解はそれほどズレていません。
〈そのとおり。内勤が初めてのウェンズデイはおそらく研修生としてオンジョブトレーニングに入ると思われます。ここであなたは平社員、所長の話をよく聞いて、おとなしくするんですよ〉
「こんな感じかな……こほん、了解しました」
そう言うとウェンズデイは背筋を伸ばし、堂々と歩き出します。まだ慣れないスーツ姿であるにも関わらず、自信に満ちた表情で一歩一歩靴底を鳴らす様は爽やかな印象を与え、男装の麗人の姿に街の人々が思わず振り返るほど。ウェンズデイの礼儀のスイッチは無事に起動してくれたようです。
〈……よかった〉
時刻は八時。その後もウェンズデイは「外面」を崩すことなく、我々は営業所にたどり着きました。巨大なようで狭い宇宙港の社会の中、制服姿の端正なウェンズデイの姿はすでに噂になっているはず。これで弊社の印象アップ間違いなし。これと菓子折りをお土産にすれば社内外にウィンウィンの影響を与えられるはずです。
そして、ここからは私のMaiDreamシリーズとしての仕事が始まります。
我々は営業所の裏口にIDカードをかざし内部へと入ります。
「失礼します! 本日付でラバウ第一宇宙港営業所の窓口職へ異動となりましたウェンズデイ・シャです。こちらは社長より私の世話係を命じられているアンドロイドのジウ。両名到着いたしました」
ウェンズデイは入るなり声を張り上げ、踵を鳴らして合わせ、敬礼を決めます。……その作法は弊社が私兵団だった時代の影響が濃い航路開拓部の物ですが……まあ、上司に対する礼儀の点では間違ってはいません。減点ではありませんが――今日の退勤後から内勤の作法を教えた方が良いですね。
「ああ、君たちが社長の。いやぁ勢いがあると言うか……元気な挨拶だ。ささ入って」
我々が来る事を予期していたのか、ウェンズデイの挨拶は不発に終わることなくきちんと目の前の男性に受け止められました。
首にぶら下げられたIDカードをスキャンします。名前はソラジマ・ハルオ。マスターと同じ東洋の文化圏の出身のようです。背丈は一八〇センチ。キッチリ整えられた七三分けに黒ぶちのメガネ、神経質そうではあるものの切れ者を思わせるツリ目。体型は細目でウェンズデイの基準を用いればモヤシなのでしょうが、流行の青いスーツに身を包み清潔感と爽やかさを演出しスラリとした好青年に見せているのは白が多くなる宇宙関係の建物にマッチしていてなかなかの美意識だと感心します。年齢は二十七と若く、学歴も申し分ない。この年齢で所長となると……野心に満ちた若いエリートに間違いありません。凄まじい人物が上司になりましたね……。
ウェンズデイは気後れすることなく両手で菓子折りが入った紙袋を差し出します。
「つまらないものですが」
「いえいえわざわざご丁寧に……あ! これ、キャナリーのロールケーキじゃないか。これ、僕大好きなんだ」
菓子折り作戦は予想以上の成果をもたらしたようで、第一印象はこれで盤石でしょう。やはり内勤においてはセオリー通りが一番良いようです。あとは窓際でもいいからウェンズデイが下手な事をしなければ今日の業務は終わったと言っていいでしょう。
「僕はソラジマ、まあ、見ての通りこの営業所で所長をやらせてもらっている。お二人の話は社長から伺っているよ。ま、自己紹介はまた改めて。こんな狭い通路で立ち話もなんだし、それに、ジウさんには早速で申し訳ないんだけど急ぎの用事があるからね」
話を切り上げると我々は通路の奥へ奥へと向かいます。
弊社の営業所は、いや、大体の星間運送業社の営業事務所は大まかに以下のような造りになっています。一般のお客様が親族や友人へ送る荷物を受け付ける営業スペース。法人のお客様や大口注文を発注してくださるお得意様との対応を行う応接スペース。社員が休憩を取るため・出退勤の着替え等を行うための休憩スペース。そして個人・法人問わず受け付けた荷物が集積され、宇宙港の宇宙船発着所と直通になっているバックヤード。このバックヤードが営業所で最大のスペースを誇り、あらゆる業務の心臓部になっています。法人取引のみを扱っている同業者はすべてのスペースをバックヤードに費やし、中には宇宙港のハッチの中まで無理やり開通させては宇宙服で作業するところも。
弊社はそんな極端な同業者ほど特異な営業所をもっておりませんが――弊社には弊社なりの特徴をバックヤードに備えております。
ソラジマ所長を先頭に我々は目的のバックヤードへ到着します。IDを認証し次々と飛び込むと――
「うわ、ジウがいっぱい」
そこには私と同様にスカートタイプの制服に身を包んだMaiDreamシリーズの姉妹たちが十体、一列になって椅子の上に座っています。私のスーツは緑色ですが、彼女たちが着ているのはソラジマ所長のカラーに合わせた青色。私も彼女たちも外見的特徴をベースのままカスタムをしていないので――ウェンズデイが驚くのも無理もないです――服装以外に我々を判別する方法は素人では難しいでしょう。
「それではジウさん、早速だけど休憩時間が終わるまであと十五分しかないんだ。並列化を頼むよ」
〈かしこまりました〉
瞳を閉じている姉妹。彼女たちはこれから行われる並列化のためにスリープモードに入っているのでしょう。別に起動状態でも構わないのですが、まあ、画的に人間にとって楽しいものではありませんからこの処置は健全です。
私は十一脚目の椅子に腰を下ろし、姉妹達同様にヘッドセットからコードを伸ばすとそれに接続します。
瞳を閉じて、準備を整え、我々近くのコンソールにOKのサインを表示させます。
「それでは、並列化を開始します」
ソラジマ所長が所長権限のIDカードをコンソールに通し、最終チェックを終えると並列化が始まります。
〈……………………⁉〉
大量に流れ込んでくる姉妹たちの記憶。同時に私から流れ出す私自身の記憶。十一体分の経験値が中央コンピューターに集積されては複製され、我々のそれぞれに流れ出す事を光の速度で何往復も。お互いがお互いに他人の記憶中枢に自己の情報を書き加えたり書き加えられたり、その度に我々のハードは小刻みに痙攣をしてしまいます。人間らしさを追求したMaiDreamシリーズらしい機能なのですが、こればかりは創造主の趣味を理解しかねます。ウェンズデイの「うわっ……」という悲鳴が。
一口で並列化といっても様々な定義がありますが、MaiDreamシリーズにおけるそれは姉妹が持つ記憶・経験値を複製しそれぞれに配分して機体の均一性を図る事を意味します。
我々MaiDreamシリーズは主に内勤に配置されており、分布は人間三人につき十体。そして、二十四時間のシフト制においてはスタッフを三交代制で運用しておりますので、業務においては実質一人の人間が十体の姉妹を運用することになります。
私をご覧のとおり、MaiDreamシリーズは使用者であるマスターの影響を色濃く受けます。これはより効率のいいお世話を提供するためにマスターの好みに合わせる機能・本能と言って差し支えありません。私の仕草が人間臭いと言われるのは四年間のウェンズデイとの日々が克明に影響として出ています。
しかしながら、サービス業において重要なのはどんなお客様にも公平にサービスを提供する事。とある社員の影響を強く受けたままその個体を放置した場合、いい影響であればいいのですが、ローカルすぎる悪癖が付くとグループ全体のサービスが低下する懸念があります。
そのため、内勤のMaiDreamシリーズは癖を、個性を殺す、均等化するために定期的に外部から異なる姉妹を招いては並列化を行うのです。基本二十四時間営業の営業所ですが、弊社にはこの並列化を行うために一日の内一時間のMaiDreamシリーズのための休憩時間が設けられています。私達は偶然にも仕事を始める前にその時間に間に合ったと言うことでしょう。
「ジウ……大丈夫?」
肩が揺さぶられます。瞼を開くとメインカメラにウェンズデイの姿が。心配そうに私を覗き込んでいます。そう言えば普段はウェンズデイが見ていない所で並列化を行っていました。公開の場でこのように物として扱われる姿を見せるのは初めてだったかも……。
〈問題ありません。ウェンズデイ、それよりも朝礼を始めます。この営業所の仕事に関する情報は姉妹たちから完全に共有されました。これから一か月、バッチリ働きますよ〉
「良かった……いつものジウだ」
「なるほど……これが社長付きの……」
私の言葉を聞いてホッ、と胸を撫で下ろすウェンズデイと興味深そうに我々の様子を見つめるソラジマ所長。
なるほど、二人は私の個性がどの程度消えてしまうのか考えていたのですね。
恥ずかしながら、私ほどマスターの影響を受けている場合個性は消えません。癖が残らないようにするための並列化で、期待に応えられないのが道具としては悔しいところです。ところが、私と並列化を行うと姉妹たちが感情豊かになると好評なのが人間の理解しかねる所なのですが。
そんな事を説明しても人間、特にウェンズデイには納得してもらう事は出来ないでしょう。時刻は八時五十七分。姉妹の休憩時間が終わるまで三分しかありません。
〈ウェンズデイ、素が出ています。仕事、でしょ〉
「ああ、そうでした」
「?」
マスターの心労を取り除き、仕事に集中させる事も我々の使命。とりわけ今日はウェンズデイの内勤デビューの日なのですから、余計な事からは目を逸らさせるのが一番です。
二人と十一体はぞろぞろと営業スペースに向かって歩き出します。ウェンズデイは外交モードを維持したままソラジマ所長と笑顔で談笑をしています。
良かった……この分ならなんとか内勤でやって行けそうです。
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