265.リベンジ①


「8回の表、埼玉スピリッツの攻撃は——、1番、センター、鍵山。背番号8」


 規定の投球練習を終え、1番・鍵山を左打席に迎える。


 ——もう、あの時みたいなのは……


 トラウマ、という訳ではないけれど、この打順であの時のことを全く意識しないというのはなかなか難しい。ある程度はやれるだろうと思っていたのに、決め球は見切られるわ、指に上手く掛かったと思ったボールはいとも簡単に弾き返されるわ。全く歯が立たなくて、力の差をこれでもかと言うほど感じさせられた。そこから同じ舞台で戦う為にフォームまで変えて、やれること全てやってようやくここまで辿り着いたのだ、ここでまたあの時のように打たれる訳にはいかない。


 じっくりと鍵山の様子を伺ってから、内山はストレートのサインを出してくる。それに頷いた高橋は、一度足元のロジンを左手で2、3度バウンドさせてその粉を指に馴染ませてから左足をプレートに沿わせてセットポジションに入る。そこからゆっくりと足を上げて、セカンドベース側へと大きく振る。体重をクロスステップで踏み出した右足に移動させつつ、軸足となっていた左足でプレートを思いっきり蹴る。その力を伝えた左腕を、まるで鞭のようにしならせて鋭く振り抜く。


 ——良い感じ!


 指に掛かったボールが、風を切って鍵山の膝元を突く。


「ストライク!」


 鍵山はピクリと反応しただけで、手を出さずに見送った。


 ——追い込まれても、って思われてんのかな?


「精度の低いピッチャーだと、追い込まれても怖さが無い」と言われたのは、オールスターの時だったから、もう2ヶ月も前のことだ。が、毎日のように試合がある中で、精度を上げるのはどうしても限度がある。それに、1週間に3連戦1カードの2カードで計6試合、そしてリーグに6球団あるということはムーンズとスピリッツが試合するのは2~3週間に1カード、日程によっては1ヶ月に1カードなんてこともある。この期間で印象を大きく変えるほど精度を高める、というのはほとんど不可能と言って良い。


 ——だとしたら、早い内に追い込んで、じっくり料理するってのもアリだな……


 実際、変化球を決め球に使うことが多いから粘られるとどうしてもフォアボールになる確率は高くなってしまう。が、それでも以前よりは精度が上がったという自信もあるし、何より今まではロクに使えなかった左打者のインコースからストライクゾーン内に曲げるスライダーもある程度使えるようになった。ならば、カウントを悪くする前に2ストライクまで持って行って、相手に粘るしかない状況に持ち込めば良い。追い込まれてから粘れると言ってもやはり追い込まれれば打者の方が苦しくなるのは間違いないし、何よりこちらの精度が高くないと向こうが高を括っているのであればそこにつけ込むまでである。


 ——次もストレートか。なるほど……


 今度は外角へのストレートを内山が要求してきた。それに高橋は首を縦に振って同意を示して、セットポジションに入る。ゆったりと足を振り上げると、そこからクロスステップで右足を踏み出す。右肩が開かない様に気を付けつつ、腰の捻りと体重移動で得た力を左腕を伝え、思いっきり振り抜く。


 カツッ!


「ファール、ファール!」


 バットに当てただけの打球は、フラフラッと上がってそのまま三塁側の内野席に入る。


 ——よし、追い込んだ!


 これでカウントは2ストライク。かなり投手有利の状況になった。


 ——あとはじっくり……


 内山からの返球を受け取ると、内山はすぐに次のサインを出してくる。出してきたサインは外に逃げていくスライダー。ストライクゾーンから変化させてボールになる球。


 ——振ってくれたら良いけど……


 そのサインに頷いた高橋は、そのままセットポジションに入る。そこから大きく足を振り上げて、投球モーションに入る。


 ——空振れっ!


 思いっきり振り抜かれた左腕から放たれたボールは、鍵山の手元でスルスルっと外角に逃げていく。バットを出しかけていた鍵山は、ボールが外角に逃げていくのを追いかけまいと懸命に堪える。


「「スイングッ」」


 高橋は左手の人差し指を立ててそれを頭上でぐるっと円を描くように回して、内山は三塁審を指差してスイングをアピール。それを受けた主審が、左手で三塁審を示して判定を仰ぐ。それを受けた三塁審は、胸の前で力強く拳を握る。スイングのジェスチャーである。


「っしゃあぁ!」


 それを確認すると、高橋はマウンド上で力強いガッツポーズと共に雄叫びを上げた。


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