246.リプレー検証


「9番、レフト、金刃侑希ィ! 背番号7!」


 ——俊足のスイッチヒッターか……


 スイッチヒッターとは、対戦相手の左右によって自分が入る打席を変える打者のことである。どちらの打席に入らなければならないというルールは無いが、右投手相手の時は左打席に、左投手の時には右打席に入るのが一般的である。金刃もそのセオリー通り、左腕の高橋に対して右打席に入る。


 ——この選手は塁に出すとうるさいし、上位打線に回っちゃうからな。このバッターで切っておきてぇな……


 脚力のある選手に出塁を許すと、かなりそっちに神経を使わなければなくなる。足の速い選手をどれだけ出塁させないかというのは、ピッチングの内容を左右する重要な要素の一つなのだ。


 ——どう組み立てる?


 内山が出したのは内角へのストレートのサイン。そんなにパワーのあるタイプのバッターではないからさほど長打を警戒する必要は無い。初球からガンガン攻めていこう、ということらしい。


 サインに頷いた高橋は、左足をプレートに沿わせ、グラブを胸の前で静止させてセットポジションに入る。そこから大きく足を上げて、一度大きくセカンドベース方向に振ってからクロスステップで着地し、左腕を……


 ——!


 その瞬間、右打席に構えていた金刃がバットを横に寝かせる。


 ——セーフティバント! しまっ……


 ストレートは比較的セーフティバントを仕掛けやすい球種である。が、途中で握りを変えられる訳もなく、そのまま左腕を振ることしか出来ない。


 コツッ……。


 ——マジかよ……!


 バットに当たったボールが、三塁線に元気なく転がる。上手く勢いを殺した、良いバントだ。


「ピッチャー!」


 ——グラブで捕ってたら間に合わん!


 リリースと同時にバント処理のために走り込んだ高橋は、今にも止まりそうなボールを右足を引いて体を反転させながら素手で拾い上げる。そして左足を踏ん張って、無理矢理一塁への送球を試みる。


 ファーストの小山内が、その送球を少しでも早く捕るべく体を目一杯伸ばす。バットにボールが当たったのとほぼ同時に走り出していた金刃が、トップスピードでファーストベースを駆け抜ける。


「アウトォ!」


 ——よっしゃ! ……ん?


 かなり際どいタイミングのプレーに、一塁審は大きめのジェスチャーと共にアウトを宣告。が、その判定を受けて金刃と一塁コーチャーがベンチの方に合図を出す。すぐさまそれに呼応して、一塁側のスピリッツベンチから監督の内が飛び出す。内が主審に向かって両手で四角を描くと、主審はそれに頷いて、それからバックネットに設けられているボックスからマイクを取り出す。


「ただいま、スピリッツの内監督から、セーフ・アウトの判定につきましてリクエストがありましたので、リプレー検証を行います」


 プロ野球においては、1試合に2度、延長戦になった場合には10回以降にもう1度のリクエスト権利が認められている。これは際どいプレーの判定に納得がいかなかった時に動画を用いてリプレー検証を審判団に求めることが出来る制度で、塁上でのアウト・セーフの判定や打球のフェア・ファールの判定、野手が捕球していたかどうかなどの判定について適用される。リクエスト成功の場合にはその権利を失わず、その後もリプレー検証を要求する事が出来ることになっており、場合によってはダブルプレーの判定などでは同時に2つのプレーについてリクエストすることも可能である。


 ——確かに、際どかったからなぁ……


「おい高橋、肩冷やさない様にしとけよ。アウトだとは思うけど、もしセーフになったらまたお前が投げることになるんだから、気持ち切らさないようにな」

「は、はい!」


 ——そうだよ、まだ終わってないんだ、何を安心してんだ俺は……


 当然のことながら、リプレー検証で判定が覆ればこの回のスピリッツの攻撃は続くことになる。3つ目のアウトを取るとピッチャーはホッとして集中力が切れてしまうもので、しかも一度キレた集中力をもう一度取り戻すのはなかなか難しい。こういったキッカケから打線が繋がることもままあるのだが、ピッチャーとしてそれは阻止しなければならない。


 肩を冷やさないように軽く内山に向かって投げていると、球場が急にざわつき出す。バックスクリーンの電光掲示板の画面に、審判団が検証に使っているのと同じ映像が流されたらしい。かつては球場にはこの映像を流さないようにしていたのだが、テレビでは放映されるのに球場では流されないから「球場に居るファンが取り残されるのはおかしいのでは」、という声が相次いだことから今では球場でも映像を流すようになっている。


 ——! どうだ……?


 映し出された映像を見る限り、どっちともとれそうな際どいタイミング。小山内のミットの革にボールが当たる方が僅かに先のように見えるが、ミットが閉じた瞬間には金刃の足がファーストベースに触れているように見える。が、カメラの位置によっても見え方は変わるものだから、どう判断されるかはこの時点ではほとんど分からない。


 ——どうなるかな……


 明らかに謝った判定だと判断されなかった場合、最初に出した判定が優先されることになっている。今回の場合はアウトと判定されているから、「どっちともとれる」なら審判団は判定通りアウトになるはずだ。


 ——うーん……


 審判団がなかなか出てこない。それだけ審判団も判断に迷うプレーだったらしい。判定が覆る時は検証にかかる時間が長いことが多いから、今回のリクエストが長くかかるのはあまり嬉しくない。


 バックスクリーンには先ほどのプレーのリプレー映像が繰り返し流される。その度にどよめき、悲鳴、そういった類いの声がスタンドから聞こえてくる。


 ——あ……


 やがて審判団がグラウンドに出てくる。


 ——どっち?


 主審が一塁ベースを指差して、それから拳をしっかりと力強く握る。判定変わらず、アウトということだ。


 ——よし!


「ナイスプレー! 」

「ウス!」


 判定を聞いてからマウンドをかけ降りた高橋は、ベンチ前で突き出された内山の右拳に、左の拳をぶつけた。


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