245.初バッテリー②


 パチーン! という甲高い音と共に、指に掛かったストレートが内山のミットに吸い込まれる。


「ストォーライッ!」


 主審のコールを聞いて、内山が「それで良い」とでも言うように大きく頷きながら、高橋にボールを返す。これで2ボール2ストライクの平行カウント。


 ——嬉しいな、プロで内山さん相手に投げれるの……


 ネイチャーズに入った時、最初に「プロの世界」を教えてくれたのは内山だった。ブルペンで捕ってもらって、それで『プロでもやっていけるボールだ』と言って貰えて嬉しかったことも、『今のフォームでは恐らくプロでは空振りを取れない』と言われてショックだったこともまるで昨日のことのように思い出せる。この世界を目指していた頃の自分にとって、『その世界に身を置いて居た捕手』の言葉はそれだけ重く感じるものだった。そんな存在だった人と、目指していた世界で再びバッテリーを組めるなんて、夢を見ている様な感覚だ。


 内山が出してきたスライダーのサインに頷いて、高橋はプレートの端に足を沿わせる。そこからゆったりと大きく右足を振り上げて、クロスステップで踏み出す。軸足から踏み出した足に体重移動させた力を左腕に伝えて振り抜く。


 指先を離れたボールが、真ん中付近からグググッと外に逃げていく。踏み込んで打ちにきた栗原が、片手を離して何とかバットに当てようと必死に右手を伸ばす。が、ボールはその少し先を通過、地面を叩く。防具に当ててボールを止めた内山はそれを拾って、丁寧に一塁へ送球。


「アウト!」


 ——よっしゃ!


 2人でプロで取った初めてのアウトは、空振りの三振。三振を取れば良いというものではないのだけれど、やはり「三振とホームランは野球の華」。たかがアウト一つでしかなくとも、気持ちの面でやはりノッていけるものなのだ。


「8番、ライト、川添啓次! 背番号72!」


 ——いつの間にか、一軍に上がってきてたのか。でも、ここでは絶対に打たせん!


 二軍で対戦したことはあるが、一軍では初対戦。スコアボードに表示された川添の打撃成績は41打数6安打で打率.143、3本塁打。出塁率も.166、出塁率+長打率で計算されるOPSも.547と軒並み低い数字だが、ヒット数の割にホームランが多く、出塁率の割にそこまでOPSが低くないあたり侮れない。打率が低くとも一発の怖さはあるから、気が抜けないバッターだ。


 初球、スクリューのサインに頷いて、セットポジションに入る。そこから右足を大きく振り上げて、クロスステップで踏み出す。体重を左から右に移し、その力を利用してシャープに、されどコンパクトに横から振り抜く。


 ——あっ!


「うおっ!」


 ちょっと抜けたボールが、左打席で構える川添の頭の近くを通過して、内山のミットに収まる。


 ——当たらなくて良かったぁ……


 あからさまな抜け球、例えば90キロ台のボールであれば適用されないこともあるが、基本的には顔や頭へのデッドボールは故意であるかどうかに関わらず危険球として扱われ、投じたピッチャーは即退場となる。それだけ危険なプレーであるからそれは仕方ないけれど、当てた側のチームも予期せぬ投手交代を命じられることになるのだから堪ったものではない。そんなプレーは、お互いに望まないものである。


 川添はちょっとムッとした様な表情を高橋に向けてから、一度打席を外す。その間にサイン交換を終えた高橋は、マウンド上で一度大きくふぅ、と呼吸を整えた。


 ——次は外角にストレート、か……


 意図せずともインハイを突いたのだから、セオリー通りの要求である。やはり打者には見たボールの残像が残るものであり、インハイを見た直後だと外角のボールがやけに遠く感じる事が多い。逆に初球にあまりにも良いコースに投げると悪くないコースに投げても甘いボールに感じることがあるから、ピッチングでは「初球からあまり良いコースに投げすぎない」とか「同じコースばかりに投げずにストライクゾーンを広く使え」なんて言われたりするのである。


「プレイ!」


 川添が構え直して主審がプレー再開を宣告するのを待って、高橋はセットポジションに入る。大きく足を上げ、セカンドベース方向に一度大きく振ってから、クロスステップで力強く踏み出す。踏み出した右足にしっかりと体重を乗せて、全力で左腕を振る。


 ——ちょっと甘いか……?


 指先を離れたボールは、内山の構えたところよりもボール1つ分だけ内側に入ってきた。が、それを川添は見切った、というように余裕をもって見逃す。


「ストライク!」


 納得いかない、という表情を浮かべた川添が何か言いながら主審の方を向くが、それで判定が変わる訳もない。


 ——残像が残ってくれてたっぽいな……


 学生時代にはもちろん野手としてプレーしていたから、何となくはその感覚は分かる。あまりにも印象に残ると、次の打席、さらにその次の打席にまで影響する位に残像というのは頭の中に残るもので、場合によっては次の対戦機会にまで影響することさえある。配球の中であえてボールになる「見せ球」を使うのも、まさにこれが理由である。


 首を傾げながら打席に戻った川添をよそに、高橋は内山のサインを待つ。ちらっと川添の方を見てから、内山は高めのボールになるストレートを要求した。


 サインに頷いた高橋は、再びセットポジションに入る。しっかり静止してから、右足を大きく振り上げる。


 ——行っけぇ!


 力一杯左腕を振り抜いて、自分が投げられる一番強いボールを内山のミット目掛けて投げ込んでいく。


 指先を離れたボールが、シュルルルルッと空気を切り裂いて進む。


 ゴスゥッッ!


 川添が力任せに振ったバットに当たったボールが、高々とほぼ垂直に舞い上がる。


 ——ちょっと後ろか!?


「ショート!」

「オーライ! 俺が行く!」


 ——!


 自分の少し後ろに飛んだボールを追いかけようとした高橋は、慌ててショートを守る尾木の走路を開ける。前に走ってきた尾木の足が止まり、落ちてきたボールが尾木のグラブに受け止められる。


「アウト!」


 ——よし!


 これで2アウト。打ち上げた川添が、悔しそうな表情をしながら乱暴にバッティンググローブのマジックテープを剥がしながら、ベンチへと戻っていった。


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