237.打ち取り方


「東北クレシェントムーンズ、選手の交代をお知らせ致します。ピッチャー、紀伊に代わりまして、高橋。ピッチャー、高橋、背番号53」


 いよいよ梅雨も明けて夏本番を迎えた、7月23日、仙台での福岡スタールズ戦。この週末から夏休みに入ったらしい子ども達がスタンドにドッと増えた中で、ムーンズはここまで4連敗と苦しい戦いが続いていた。


「今日もなかなかタフな場面での出番だけど、頼んだぜ。出来ることなら無失点で切り抜けたい」

「分かりました」


 マウンド上で待っていた齋藤の言葉に頷くと、齋藤は高橋の背中を軽く叩いてからベンチへ戻っていく。


 8回の表、1アウトランナー2、3塁。ムーンズが1点リードしているとは言え、シングルヒットで同点、長打で逆転というピンチである。9回にはリリーフエースのヘルマンが居ること、そしてスタールズの打順を考えてもここを抑えればこの試合は勝てるだろう。このピンチを切り抜けるかどうかで勝敗が決まる今日最大のヤマ場である。


「三振狙い、で良いですよね」

「うん、そうだね。1点で凌げば良いって場面じゃないよ、今日は」


 今日マスクを被っている水谷の確認に頷くと、水谷はそれに呼応して頷いてからキャッチャーズボックスに向かう。


 終盤とは言え、1点のリードがあること、そして1アウトということを考えれば最悪1点取られても勝ち越しはさせない、という戦略も考えられる。が、スタールズの中継ぎ陣の強固さを考えれば、追いつかれたらその後で点を取って勝つことは恐らく難しい。ならば勝ち越されるリスクを冒してでもここで0で凌ぎにいく方が良いだろう。

 サードランナーの首藤は球界きってのスピードスターで、内野ゴロや外野フライならかなり高確率でホームに突っ込んでくるはず。つまり、失点せずにアウトカウントを増やす方法はラッキーアウトを除けば三振を取るしかない。


「バッターは、3番、センター、柳谷」


 規定の投球練習を終え、3番の柳谷を左打席に迎える。


 ——セオリー通りに行くなら、最後に外角に逃げていくスライダーで空振り三振に仕留めたいところなんだけど……


 打者を打ち取る時には、基本的に逆算して配球を組み立てていく。長いシーズンを考えたり先発なら1試合のことを考えて組み立てていくこともあるけれど、今みたいに「こういうアウトの取り方をしたい」「とにかくここで打たれる訳にはいかない」という場面ではどうやってウイニングショットまで行くかを考えて投げるものである。


 水谷が、少し首を傾げながら外角低めのストレートのサインを出してくる。


 ——大丈夫か……?


 リアクションを見る限り、水谷にも迷いがあるらしい。「困った時にはアウトロー」というのはよく言われることではあるのだけれども、それを打者に読まれてしまっては意味が無い。初球でストライクを取りたいところだけれども、ピッチャーが代わったタイミングかつチャンスということを考えれば初球から打ちに来る可能性は十分ある。


 正直、配球にセオリーはあれど正解、不正解はやってみないと分からない。打たれなければそれが正解、打たれれば不正解。どれだけ考えたところで、最後は結果論である。


 水谷のサインに頷いた高橋は、一度ふぅ、と大きく息を吐いてからプレートに足を掛ける。ここからクリーンアップに入っていくこの打順でランナーを動かしてくることは無いだろうとは思いつつも一度サードランナーの首藤を目で牽制し、そこから小さく足を上げる。


 ——低めに、丁寧に……


 この場面で一番避けなくてはならないのが長打を食らうこと。意図したところより甘く入らないように気を付けながら、ピュッと左腕を振り抜く。


 指先を離れたボールは、外角低め一杯、ホームベースの角を掠めるような軌道で水谷のミットに……


 カァァァン!


 外のボールに踏み込んで、フルスイングした柳谷のバットがボールを弾き返す。


 ——嘘!?


 レフトに高々と上がったボールを追って、レフトを守る島口が後ろ向きに駆けていく。


 ——嘘だろ? 越えないよな? そんな飛ぶ?


 島口はフェンス際で体を翻してこちら側を向くと、落ちてくるボールに合わせて左腕を伸ばしながらジャンプする。


 ——捕ってくれ!


 左手にはめたグローブにボールを納めた島口はそのままフェンスに体をぶつけ、よろよろっと体勢を崩す。


「GO!」


 島口の捕球が捕球したのに一呼吸遅れて、コーチャーの合図と共に2人のランナーがタッチアップ。外野の最奥部で島口が急いで体勢を立て直して内野にボールを返すも、間に合うはずはない。


 スコアボードに、重い「1」が表示された。


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