236.緊急事態

「なあ、聞いたか?」

「齋藤さん? 何をですか?」

「横田の話。全治1ヶ月だとさ。練習中に足の甲にボール当てて骨にヒビが入ったらしい」

「えっ、マジっすか……」


 試合前のブルペンでフォームの確認をしていると、齋藤がドアを開けて入ってきた。

 オールスターも終わり、いよいよシーズン後半戦。ここから先は1試合が今までよりも大きなものとなってくる。オールスター開けのこのタイミングで良いスタートを切れるかどうかが今シーズンの順位を左右する。つまりこの1~2週間が大事になるのだが、この期間を3人もキャッチャーが居ないという非常事態の中で戦わねばならないらしい。


「何でキャッチャーにばっか怪我人が……」

「何か重なるよなぁ。儀間に続いて明石、横田もかぁ……」


 長いシーズン、どれだけ気を付けていたとしても怪我人は出てしまう。ある程度仕方ないことではあるのだが、それでもやはりその影響は大きい。しかも同じポジションに集中するのはあまりにもキツい。


「こんだけキャッチャー居なくなるなんて普通は無いんだけどなぁ。どうするんだろ、これじゃ二軍の試合、こなせないんじゃねぇか?」

「あれ、ウチって何人キャッチャー居ましたっけ?」

「キャッチャー登録なのは6人だな。キャッチャー登録でプロ入りしたのが何人か居るから緊急事態に守れるのは一応10人くらいだけど……」


 ——え、じゃあマジで二軍戦回せないんじゃね?


 タイミングだったり戦術によって異なることはあるけれど、基本的に一軍には3人のキャッチャーを登録しておくことが多い。チームに支配下登録されているキャッチャーは6~8人、育成選手は多くてもせいぜい2人程度である。ムーンズに関して言えば捕手登録の選手は支配下が6人、育成枠が1人の計7人だから、3人も同時に怪我で離脱してしまうとファームに残るのは恐らく1人だけ。一応試合出来ない訳では無いけれど、途中で代打や代走を出すことはもちろん、いくら疲労が溜まったとしても休ませるなんてことが出来なくなる。


「ま、その辺のやりくりは俺たちに任せておけ。ただ、経験の浅いキャッチャーを試合に出すことになるから、すまんがどうしてもお前も含めてピッチャー陣には負担を掛けることになるぞ」

「ウス」


 ——そっか、俺が引っ張らないといけなくなってくるのか……


 今までは先輩とバッテリーを組むことがほとんどだったし、そうじゃなければ同い年の横田と組んでいた。だから基本的には引っ張って貰えていたし、その中である程度自分のワガママを聞いてもらっていた。が、後輩と組むとなるとそういう訳にはいかなくなるだろうし、むしろアップアップになったキャッチャーを引っ張っていかなければならない場面も出てくるだろう。


 ——しっかりしなきゃダメ、だよな……


 色々まだまだなのは自分が一番よく分かっている。それでもしっかりやろう、やらなくてはダメなんだと自分に言い聞かせて、再びブルペンのマウンドのプレートに左足を沿わせた。


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