232.オールスター①


『せっかくの機会なんだから、他のチームの選手にどんどん話しかけてみなよ。違うチームの、しかもトップレベルの奴らに色々聞けるチャンスだぜ?』


 ——そんなこと言われてもなぁ……


 お互いに名前は知っているとは言え、初対面の相手に自分から話しかけるというのはなかなかにハードルが高いことである。しかも、その相手が超一流のスーパースター達ともなればなおさらだ。



 ※ ※ ※ ※ ※ ※



 ——どうしよ、誰とも話せねぇよ……


 仙台から東京経由で横浜に向かう為の新幹線の車内で、紀伊に掛けられた言葉が脳裏に浮かぶ。が、周りの空気感にどうしても呑まれてしまって、何となく萎縮してしまう。今日はお祭りムードで試合の時みたいな緊張感は無いのだけれど、どうしてだろうか、一流選手というのはオーラが滲み出ていてどこか近寄りがたい雰囲気があるような気がする。


 試合前練習の前に全員がグラウンドに集まってやるストレッチも和気藹々とした感じで、もちろん怪我しないようにちゃんと体のあちこちをしっかり伸ばしてはいるけれども、公式戦前のような張り詰めた空気は感じられない。周りと話したり、軽くちょっかいをかけあったりと、思い思いの時間を過ごしている感じだ。


「えっと、高橋君、だよね? 試合で対戦したことはあるけど、初めまして、かな?」

「えっと……、鍵山さん?」

「お、覚えてくれてたんだ」

「え、っていうか鍵山さんこそ俺のこと……」

「覚えてるよー、もちろん」


 何でも無いかのように、いや本当にそうなのかもしれないけれど、普通に話してくる鍵山に何となく身構えてしまう。何年も連続でゴールデングラブやベストナインを獲得し、シーズン最多安打の日本記録まで持つ、超一流と呼ぶに相応しい埼玉スピリッツのスター選手なのだ、緊張するなという方が無理というものだ。


「良い球投げるピッチャーだもん、そりゃー覚えるさ。左バッターにとっちゃ、高橋君みたいな左キラーは厄介な敵だしね」


 ——!


 鍵山の言葉に、高橋は思わずぽかんとしてしまう。対戦相手からの「嫌だ」とか「厄介だ」という言葉は、褒め言葉である。それはつまり、「打ちにくい」と言われているのと同じことなのだから。


「あの、鍵山さん……」


 高橋は初めて鍵山の目をじっと見て、応答ではない自分からの言葉を発する。


「鍵山さんから見て、僕ってどういうイメージのピッチャーですか? どうすればもっと良いピッチャーになると思いますか?」


 それは、勇気を振り絞って投げかけた問いであった。


「お、いきなりだねぇ」

「す、すいません……」


 こんな軽い空気感の中でするような質問じゃなかったかもしれない、と一瞬の後悔が高橋を包む。が、その後悔は鍵山の「いや、」という柔らかい口調での否定と優しい表情によってかき消される。


「こうやって話せることなんかそうあることじゃないんだから。俺なんかのアドバイスが役立つかなんて分からないけどさ。そうだなぁ、高橋君がもっと良くなるのに必要なのは精度かな。再現度、って言った方が良いかな?」

「再現度……?」

「えっとね、なんて言えば良いかな……」


 首を傾げる高橋に、鍵山は腕を組んで少し考えるような素振りを見せてから、言葉を続ける。


「俺だけのイメージかもしれないけど、ストレートも変化球も良いボール持ってるんだけど、抜け球とかも多いなって。追い込まれてもファールで粘ればフォアボール取れたり、甘い球来るな、っていうイメージがあるから、良い決め球はあるのに追い込まれても絶望感みたいなのは無いかな」


 ——なるほど……


 一時代を築いたリリーフピッチャーというのは、分かっていても打てない「魔球」を持っているものである。その威力ゆえ「魔球」が注目されることが多いのだが、彼らはそれだけでなく「打てるボールをほとんど投げない」のだ。プロに入ってくる選手はほとんどが「ベストボールになれば」打たれることはほとんど無い、という球種を何か1つは持っているものだが、その前に甘いボールが行ってしまうならいくら良いボールを持っていようともその前に打たれてしまう。それに、狙い通りの球になる確率が低いのであれば、それだけ打ち取れる確率も低くなる。つまり、いくら良いボールを持っていたとしても、高い精度でそれを投げられないのであれば絶対的な存在になることは出来ないということである。


「でもね、楽しみなピッチャーだな、っても思うよ。いや、バッターからすりゃ嫌だけどさ、もしかしたら近い将来、代表で一緒に野球出来るのかなって思える選手が出てきたんだから」

「え、だいひょ……」

「別に不思議なことじゃないでしょ?」


 突然飛び出した「代表」という言葉を飲み込めずにいる高橋に、鍵山は何でもないというふうに続ける。


「だってしっかり結果出したなら、当然見えてくるものでしょ? 特に左の中継ぎなんてなかなか居ないんだし、日本人のリリーフって少ないし」


 確かに、リリーフには先発ピッチャーに比べて外国人選手が多い。日本だと良いピッチャーは先発を任される風潮があるせいか、先発に比べてリリーフ陣の駒不足に悩まされるチームが多い。先発だと調子の良い若手をローテーションに入れたりすれば良いのに対し、リリーフは一年間安定して投げることが求められるから、というのもあるのかもしれないが。リリーフの柱を外国人選手が担っていることも少なくなく、日本代表では普段先発をやっている選手がリリーフ陣に回ることも珍しくない。が、リリーフをいきなり任されて上手くいくかどうかは「やってみないと分からない」という部分が大きい。故に近年はリリーフ専門で結果を残せる選手が居るのならその選手を呼んだ方が良いという論調も強まってきていて、リリーフの選手の重要性が高まりつつある。それを考えれば、日本代表というのもあながち夢物語ではないのかもしれない。


「まあ、今日はお祭りだけどさ。一緒に代表のユニフォーム着て、一緒にプレーしようぜ」


 ——代表、か……


 今まで自分には縁の無いものだと思っていた。自分に届く訳がない、とてつもなく高い所にある世界だと思っていた。でも、今、そこで戦う選手と同じ場所に立って、こうやって話している。その世界を知っている人が、「一緒にやろうぜ」なんて言ってくれている。


 まだまだ代表なんて考えられる様な立場じゃないことくらい自分が一番分かっている。身分不相応にも程があると、自分でもそう思う。それでも、この人が見た世界に立ちたいと、この人が戦う文字通り世界最高の舞台に立ちたいと、心からそう思ってしまう自分が居た。


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